転移予定地
俺はジャージが割けるのも構わず踏み出すと、同時に漆黒灰――名前も知らんからこれでいい!「美人」なんて付けてやらん!――が引き戻そうとしていた剣を、その手首を右手で掴んで阻止。手前に引っぱってその反動を自分の加速力に上乗せする。
奴の右腕に沿って左足で大きく踏み込むと、肩口の真横にポジションをとって左手で奴の右肩を抑え、踏み込んだ速度は右足を上げる力に。腕と肩を固定しての膝蹴りだ。
奴の脇腹にヒットするタイミングで軸足も地面を蹴り――
――ちっ、左手で迎えやがったか。ふわっとした感触しか無い。しかも同時に後ろへ飛んで押し込む力まで逃がされた。
だが腕と肩は捕らえたままだ。逃がすかよ!
膝蹴りの右足は、まだ奴を追っている。今度こそ左足で床を蹴ると自分の体を奴の腕に引き付け、宙にあった右足で奴の右膝を撃ち抜く様に攻撃――入った! おし!
反撃などさせん! そこを土台にして飛び上がる。
左廻し蹴り――入った――から右後ろ廻しの踵落とし――これも入った? まさかガードしてない? ――に繋げ、奴の肩を踏み台にして更に飛び上がる。
「くうっ! はっはっは! やるではないか小僧!!」
漆黒灰が俺を目で追って笑う。
げ。全然効いてないだろ、あれ。
つか受けるだけで攻撃してこないってことは――俺は先手を譲られたのか? ダメージが通らない事を見越して? それほどまでに実力差があると?
くそっ、だからどうした!
強者であろうと臆せず向かえ! 業を尽くさぬは恥である! 生死の狭間に極意在り!
これこそが、空手の醍醐味!
「まだまだ! 制武空手はこっからなんだよ!!」
3次元組手は、周囲の自然物や構造物を、時には攻撃対象をも足場に利用して、主に相手の頭上から攻撃する技術だ。
漆黒灰を土台に飛び上がり完全に頭上を抑えた俺は、落下エネルギーを増加させるべく膝を抱えて空中で反転。加速のための足場を――
――やっべ、何も無ぇわ。
屋内に手頃な木々などあるはずもなく、この豪華な部屋の天井は冗談のように高いところにあった。
ふとシャンデリアに目が行く。
金かけてんなぁ……せめてアレを引きちぎれたら金銭的な嫌がらせになったのに。
「どうした小僧!! 止まって見えるぞ!!」
うん。今、頂点だからね。
「それで終わりか小僧!? 妾は容赦などせぬぞ!?」
にっこにこだな、漆黒灰。てめぇ分かってて言ってるだろ。ちくしょう。
「応さ! かかって来いや! 黒乳女あああああ!」
ああ、自由落下で身動き取れないのに。どうして俺は余計な事を口走るかなあ。
「妾の乳は黒くなどないわああああ!!」
うむ。
漆黒灰さんは大層ご立腹であらせられる。
さもありなん。
「慈悲は無いと思え小僧!! 鏡で貴様のソレを鑑賞しようではないか! 共になああああ!!」
そう叫ぶ漆黒灰さんの真っ赤な瞳は爛々《らんらん》と光を放ち、見ようによってはドン引きされるレベルの変態っぷりなんだけど。よし、後で教えてあげよう。周りの人に。
漆黒灰さんが剣を構えた。
その剣先がぶれるや、ぶわっと無数の刃となり、俺に襲いかかる。驚いたことに、それらは一切体に触れること無く、ジャージだけを切り裂いて行く。
エッチとか変態とか叫んでみたいところだけど明るい未来が見えないのでされるがまま。
布が無くなりそうだったから股間を隠したら攻撃の最中なのに剣先でチョンチョンとつついてくる。どんな腕だよ。
ジャージだった布切れが花吹雪のように舞い落ちる。俺も一緒に舞い落ちる。
さて。
俺は正座し両拳を膝の前に着いて、頭を下げる。
「参りました」
武人なれば潔く敗北を認めるもの。
「面を上げよ」
「……はい」
俺は顔を上げた。
「ふむ。もっと楽にしてよいぞ?」
言わんとする所は分かってる。俺、顔しか上げてねーもん。なんとか誉め殺しで誤魔化せないかな。
「いえ、これで大丈夫です。お声がとても綺麗ですね」
「ふははっ、ならばしかと聴かせてやろうかの。――上体を起こせ」
「それだけは御勘弁を!」
俺は再び頭を下げた。作戦失敗。もう土下座だね、これは。
床しか見えない視界に、剣先が侵入してきた。
「ミレア。鏡を持ってまいれ」
「畏まりました」
頭上の言葉に、遠くから透き通る声。先ほどのお相手さんかな。控え目な足音が近付いてくる。
「む? ミレア、待て。――そこな女、随分と愉快な気配を醸しておるのう」
「おや、お気付きで」
漆黒灰さんの問いに答えたのは、姿が見えないからすんげぇ違和感だけど教授の声だった。
「武に携わる者なら気付くであろうよ」
うん、俺にも分かる。
教授は親父と組手をする時の気配を漏らしていて、
「まあ、僕では勝てないでしょうね」
そんな事を言いつつも嬉しそうである。
「その割りに、今にも飛び掛かって来そうじゃがな?」
「制限が無ければ、そうしていたかもしれませんが。渡りのオーブ、御存知でしょ?」
「む? ふむ、なるほどのう……開けたのは妾じゃしな、良かろう。客人よ、名を教えてくれぬか」
「諏訪山遥と申します」
「うむ。マリア・エスファの名において、諏訪山遥を許可する」
漆黒灰さんはマリアさんだそうな。
その名前なら俺にも慈愛をと言いたいけれど、ここは地球じゃないから無理だろうね。ところで教授が客人扱いされているみたいだけど、何があったのだろう。「土下座なう」の俺には何がなんだか分からない。
視界から剣先が消え、ふわりと何かが俺を覆った。
「晶君、それを羽織って立とうか」
あ、教授の白衣か。これはありがたい。俺は急いで着ると全てのボタンを留めて立ち上がった。ぶっかぶかだね。裾を引き摺りそう。
「諏訪山殿、妾は勝利の報酬を貰っておらぬぞ」
そこ。黙りたまえ。
「後で幾らでも好きにして下さい」
え?
「見捨てないで下さい、教授。俺の保護者でしょう?」
「保護者とな? 貴様、先程は変態と罵っておったではないか」
「罵ったのではなく事実を述べたまでです。そして、父の許可を得て俺を異世界に連れ出した人なので、立場は保護者です」
「という事じゃが、どうなんじゃ? 諏訪山殿」
「彼の親から一任されているのは間違いないですよ。なので全ての責任を僕が、彼に押し付けます」
「ミレア、今の言葉を記録せよ」
「畏まりました。証人は私です」
そんなーーーーー!
このままだとオムコに行けなくなる事案が発生するだろ!
「諦めるんだね。こっちとしては、それどころじゃ無くなった訳だし。――マリア殿下」
「よい、申してみよ」
「ありがとうございます。こうなったら全て明かすしかないのですが、我々はオーブの動作を検証するため、セントグランド王国の協力のもと、王宮の地下室に転移する予定でした」
「ほう。と、いう事は3回以上の転移を予定していたのじゃな?」
「やはり、そう考えますか」
「まあの」
え、何この会話。
俺にはサッパリ分からないんだけど。
「教授?」
「詳細は後で説明するよ。僕達はオーブに救われたのさ。転移予定地だったセントグランドは――」
教授は床を指して、
「――この星の反対側にある人族最大級の国なんだ。そして、こちらの御方は」
今度はマリアさんを手のひらで示す。
「マリア・エスファ第1王女殿下。魔王が治めるミッドグランド王国の次期国王候補であり、人族が最も恐れる、最強の魔人なのさ」
「え? あ……え?」
じゃあ、俺らは人類の敵のもとに転移したって事か? なんで教授は落ち着いているんだ? それに、オーブに救われたって……意思があるっぽいから取扱注意みたいな説明だったけど、マジか? マジなのか? だったら、人族が何かを企んでオーブがそれを阻止した事になるんだけど?
となると……俺らにとって魔族は敵ではない?
困惑しながらマリア王女を見ると、彼女はニヤリと笑って、ひらひらと手を振る。
「まあ強さも天敵扱いも本当じゃがの、妾は争いを好んではおらぬよ。それは手合わせした貴様なら分かるであろ?」
確かに。
マリア王女からの攻撃は最初の脅しだけで、あれだって殺気がなかったから俺は避けなかった訳だし、俺の攻撃を全部受け止めてからの反撃でも、卓越した剣のコントロールを見せて俺には傷ひとつ付けなかった。
教授の口振りは、割りと近い過去に彼自身が人族と接触していた事を窺わせる。でなければ人族と魔族の関係に詳しいことへの説明がつかない。
「ミレア、この2人を客間に案内してくれるかの。妾は父上と話してくる故な」
そう言って踵をかえしたマリア王女は、数歩で何かを思い出したように止まり、俺を見た。
「まだ貴様の名を聞いておらんが、なんという?」
「晶。支倉晶だ。……です」
「アキラか。うむ、良い名じゃな」
それだけ言って、マリア王女は部屋を出ていった。