誤算
まぶたに感じていた光が唐突に消えて、俺はゆっくりと目を開けた。強い光を浴びた影響か、視界が少しぼやけている。
「ほあっ?」
目の前に金髪碧眼の眼鏡美人がいた。さらっさらの長い髪のあなたは誰ですか。ふーあーyou。
ぶかぶかの白衣を羽織っていても目立つナイスバディは、周りを見回しながら自分の体をパタパタと叩いて首を傾げると、俺を見て眼鏡を外した。
ああ、このマッドな笑顔。教授だろ、コレ。
「転移完了、あとは扉が出来るまで待つだけ、と。つくづく魔術というものには驚かされるね。乱視が解消されたよ」
「え、そこ? 今自分の体を確認してましたよね? 性別も髪の色も変わって若返った事も気付いてますよね?」
「気にした所で時間は戻らないからね」
「過去をほじくる学者の言葉とも思えませんが」
「言い方(笑)。晶君、違うよ。過去の偉業を未来に伝える。それが僕の、君のお父さんの仕事だ。今回の転移は、発掘された魔道具を厳重に保護するために必要な検証作業なんだ。【個人に起きた変化なんて些細な事】さ」
教授はスマホを取り出して操作すると俺に向けた。
「はい? ――って、ええええ?」
自カメモードの画面にはプラチナブロンドの貞子としか言い様の無い姿。
慌てて顔に触れると、確かに髪が。ふわふわのそれをかき分ける。視界がクリアになって、スマホの俺も顔が見えるようになった。
赤みがかった茶色の瞳が見つめている。顔のパーツと配置は、整っていると言って良いだろう。認めたくないが――俺もかよ!
体を確認する。
腕やわらけー、じゃなくて筋肉どこよ。え、自慢のシックスパックは? 打撃を跳ね返す大胸筋は?
と、ここで気付いたけど胸が無い。
いや大胸筋が家出中なのはわかった。俺が気にしたのは、あったら厄介な、風呂に入ると浮くとかダイエットすると何故かそこだけ減るとか都市伝説に聞く、胸の事だ。
女子の象徴が無いって事はもしかしたら――と手を伸ばした股間には慣れ親しんだ感触が。
「……ある! ははっ、教授! 俺には有りますよ! 俺は、男ですよ! 男……あれ?」
でも、俺は首を傾げるしかなかった。
「浮き沈みが激しいね。どうかしたのかい?」
言いたくない。
言いたくないけど、隠してバレた時に精神的ダメージを負うよりは良いだろう。なにせ、こうなった責任は教授にある。
「……なんか、めっちゃ小さいんですが。ナニが」
切実な問題なだけに批難をこめて教授に告げると、
「個人に起きた変化なんて些細な事だよ、晶君」
有無を言わさぬ笑顔で、話を締めくくられた。
テーブルに着いて始まった教授の説明では、黒い球体について以下の事が判明しているそうな。
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名称
渡りのオーブ
作用
空間転移とそれに伴う最適化干渉と調整
魔力の有無や言語の違いも調整対象となる
管理方法
オーブによる登録許諾制
使用方法
オーブに登録された者が触れると発動
設定方法
魔力を込めながら座標を指定
現在はとある王国の協力のもとで王宮地下室に設定済み
注意点
アーティファクトと思われるが意思を示すこともあるため取扱いに注意すること
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俺達の体に起きた変化はオーブによる最適化干渉で、そうする必要があるからなんだと。であるならば帰りは逆順。つまり元通りになる訳で、何も心配はないとの事。
「それならそうと事前に説明が欲しかったです」
「あの不味い薬。最適化とか理性的な理由程度では飲まなかっただろう?」
そう言われると否定出来ない俺がいる。
あれは師範が弟子の活躍を祝う雰囲気だったから断れなかっただけで、教授の狂気を知る者としてなら間違いなく拒否していた。故に。
「……さいですか」
「よろしい。さて、オーブの中の光が消えそうだ。まもなく扉が出来るよ」
納得はしていない。
していないが、心配しなくていいのなら周りを気にかける余裕も生まれる。
俺はようやく研究室を見回す事ができた。
壁際の執務机と来客用の簡素なソファーセット。部屋中央を占拠する大きめの雑用テーブル。大量の資料が収められた鍵付き扉の書架に、同じく鍵付き戸棚が複数。外とのアクセスは廊下に出るドア1つだけ。学生が活動する広い研究室はすぐ隣だけど機密保持のため直結していない。
うん、見慣れた光景だ。
教授は、この部屋が丸ごと転移したのでは無く、部屋の空間だけが転移したのだと言う。
うん、意味がわからん。
そんな事を考えていたら、パリパリっと放電のような音がして、見ると廊下側の壁全体が光り、天井まで届く大きな扉が形作られていく。魔術が何か起こす時の光は様式美なのかもしれないね。つか扉の真ん中にドアがあるままなんだけど。フリーダムだな、魔術。
「さて、晶君。扉を開けてくれるかい?」
「え? 俺がですか?」
「鍵だからね。最初だけは君が開けなければ誰にも開けられない」
なるほど。
「わかりました」
俺はドアを開け――お、廊下じゃ~ん♪
「扉を開けなさい」
首根っこを掴まれた。
ああああ、自由への道が閉ざされる。
ガチャンと大きな音で鍵を掛けた教授は陰のある笑顔で。
「仏の顔もサンドまで。幼い君に教えた事があるよね?」
仏様相手でも2回やらかしてたら次はサンドバッグにされるぞ、というアレですか。
「いや、あれって微妙に違って――いえ、何でもないです。扉ですね。はい、開けます、師範」
俺は逃亡を諦めて、やたら重厚な扉の、これまた豪勢な取手を握りしめた。
引く――ちっ押す方かよ。
死角の解消に時間的ロスがあるし、退却時は留まって引かなきゃならんしで、3次元組手で酷い目に遭ってから嫌いなんだよな。このタイプ。
そっと押して――なんだ? すげー軽いんだけど。そのくせ厚みはあんのな。10㎝くらいか。うーむ。これは向こうに誰かが待っていたら絶対バレる。どうせ見張りがいるのだろうし、堂々と行くか。
俺は胸を張って押し開けた。
そこは地下室などではなく――全体的に落ち着いた色調の広く豪華な部屋で、2つの大きな窓からは陽光が降り注いでいた。
窓と窓の間に配置された大きな執務机の向こうには、ハリウッド女優も並ぶ事を遠慮しそうな美女がいて、使用人らしきメイドさんと談笑して――というか、イチャイチャしていた。
俺は、大きく開けた扉を引っ張って、そっと閉じると教授に向き直り、
「間違い転移です。出直しましょう」
今の光景を忘れる事にした。
のも束の間。
扉が一気に開けられ、取手を掴んだままの俺は、引っ張られた勢いで謎の豪華な部屋に放り出された。
とっさに受身をとって身を捻り、片膝立ちになった所で、
――カツッ!
細身の剣が股の間に突き立ち、ジャージごと床に縫い付けられた格好となった。
剣を持っているのは、漆黒のドレスを纏い、アッシュグレイの髪を巨大な胸に垂らした、先ほどのイチャイチャやってた美女だった。赤い瞳って初めて見たけど綺麗だなぁ。
「子を宿せぬ体になりとうなければ素直に答えよ。どうやって結界を越えた?」
なんだと? いや待て。
向こうとしては突然扉を穿たれた訳だ。剣くらいどうとでもなるけど今は抑えよう。
「俺は巻き込まれた立場です。今の状態を理解しているのは後ろにいる――変態なので、詳細はそちらに聞いて下さい」
「ほう。……その変態とやらは出て来ぬが」
「んな!?」
思わず背後を見る。
教授は口と腹を押さえて震えていた。あの野郎、笑ってやがる。今は女だからヤロウじゃなくてアマだけど!
「余所見とは余裕よの、小娘」
なんだと? いや。いかんいかん。日本の常識に照らし合わせれば、この人は被害者だ。
「いやいやいや、今のは確認させるための振りでしたよね? それと、大きな、とても大きな誤解があるので訂正して下さい。あの変態のせいでこうなってるだけで、俺は、ちゃんとした男です」
後ろから「くはっ」とか聞こえたけど無視無視。
「男? 妾の剣は銀貨1枚程度の隙間で大切なところに突き立てたのじゃがな」
おっと、そこまでだ。
余計な事は言わないほうが身のためだぞ、お姉さん。
「とっさに引いたん、です。でなきゃ怪我して、ます」
「舐めるでないぞ。貴様の動きに合わせて追っておるわ」
「…………ちっ。躱したに決まってんだろが。いい大人が剥きになるなよ。時の流れを鏡で実感するのが早くなるぞ」
おおっと、言葉が荒れたぞお。いかんいかん。深呼吸して落ち着こう。すーはー、すーはー……
「ほほう…………そう来るか」
漆黒灰美人がニヤリと笑った。
「よいか? 小僧。妾は褒めておるのじゃ。妾は躱せなんだとは思ってなどおらぬ。貴様は達人に届こうかという見切りで、躱すまでもないと判断したのじゃ。そうであろ? ただ――」
すーはー、すー…………
「――ソレが小さかっただけじゃ。ぷふっ」
「殺ーーーーーーす!! 仏の顔もサンドバッグだこのやろおおおおお!!!」
「来るが良い! 身ぐるみ切り裂いて鏡に映してくれるわ!!!」
なんでこうなったかなぞ知るか!
こいつは殺す!
泣いて詫びるまで殺す!
制武館3次元組手の真髄《真髄》を味わいやがれ!!!