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旅立ち

 とある国立大学の研究棟。その片隅にある研究室で、


「晶君、高校の部で準優勝だって? 軽量級とはいえ1年生でそれは凄いじゃないか」


 真っ昼間だというのに飲みかけの缶ビールをぷらぷらさせながらそう話すのは、短髪丸眼鏡に白衣がトレードマークのやさオヤジ、諏訪山遥すわやま・はるか教授。

 親父・支倉大志はせくら・たいしの友人で40才の考古学者。ここに「ジャージのままでいいからおいで」と呼びつけた人だ。俺にとっては親父と同じく空手の師でもある。

 その関係で元々フリーダムな人だってのは知ってたけど、昼イチの研究室でお酒ってのはどうなんだろうね。


「敗者の代表とも言いますけどね。これが命のやりとりなら死んで終わってます」


「なんでそう殺伐としてるかねぇ。大志の息子ならもっとおおらかに受け止めそうなものだけど」


「悔しいからに決まってるじゃないですか。それと、親父や教授の鍛練はファンタジーなので、誰が子供になったとしても比べるだけ無駄です」


 親父は大学生時代に空手の黒帯を取得した後、同期で同じく学生だった諏訪山教授と一緒に、仕事の傍ら続けられる社会人体育として、組み打ちも有りの制武館せいぶかんという流派を立ち上げたそうな。


 それは、まあいい。


 初段の修得は一般的な内容だからそれもいい。


 2段からは昇段の難易度が極端に上がってて、野外でサバイバルしながらの鍛練と組手、3段ともなると木や枝を足場に利用した3次元の組手が必須だったりするのがイミフなんだけど。社会人体育はどこへいった。


 ああでも、この人達は普通にこなすんだよなぁ。


「いやぁ、君も大概人の道を踏み外しかけてると思うよ。遺伝子レベルで」


 失礼な。


「犯罪者予備軍みたいに言わんで下さい。つか、そんな話のために呼んだわけじゃないでしょう?」


「ささやかな祝宴も目的のひとつだよ。君はオープントーナメントに制武館として初参加、見事決勝まで進む活躍を見せた訳だからね」


 諏訪山教授は乾杯するみたいに右手で缶を掲げる。

 ん? 俺は応えた方がいいのかな。目の前のテーブルには、やけに渋いお茶の入った大きな湯呑みがある。


 んーーーーーー飲みたくない。飲みたくないないぞお。


 師が乾杯の素振りを見せてるから応えざるを得ないんだけど、乾杯したらグイッと行かなきゃならない。


「改めて、おめでとう」


 追い打ちですか。いい笑顔ですね。教授。


「ここで師範モードの空気をぶつけてくるのは卑怯だと思います」


「ん? なんの事かな?」


「……さいですか」


 俺は諦めて湯呑みを持ち上げ、掲げる。


「乾杯」


 さて、今のはどっちの台詞だったのだろう。自分で発した気もするし、教授が言ったようにも感じた。そこら辺が曖昧になってしまうくらいには、お茶に意識を持ってかれていた。


 息を止めて―――グイぃぃぃぃぃッ―――


「―――っ、ぷはぁっ!」


 渋ッ


 にッがッ!


 という心の叫びを圧し殺して、俺は口元を拭った。うげぇ。


 ぱん! ぱん! ぱん!


「あっ! はっ! はっ!  いやーーーー、気持ちいい飲みっぷりだね」


 教授は手を叩いて爆笑していた。くそう、俺は面白くない。


「もしやただの嫌がらせですか」


「まさか。僕も飲んだし体に悪いものではないよ。大丈夫たぶん


「今【たぶん】て言った!!」


 俺がビシッと指差したら教授の目が泳いだ。3往復くらい。


「教授。師範。……何を飲ませたんですか」


「ただの薬草茶だよ」


 じっと目を見て尋ねてみたけど、さっきみたいに動じない。これはもう揺さぶれないか。


 教授ではなく師範としての過去を振り返ってみれば、無意味な事をする人ではない。比較対象が天然で無意味な行動の多い親父だから全く無いと断言できる訳ではないけど、まあまあ常識人だと思う。ただ、意味さえ見いだせばどんな理不尽も意に介さず通すところがあるのも確かで、一言で表すなら、マッドなんだよなぁ、この人。となれば、この辺か?


「事実だけど肝心なところは伝えないスタイルですか?」


 お、眼鏡をくいっと上げた。少しは動揺を誘えたのか――


「まあ付き合いが長いと読まれることもあるよね」


 にっこり。

 教授の体から、何かがゆらりと立ち昇る。


「こっ……――」


 こえええええええ!


 百本組手を命令してきたときの目だコレ! 怪我は骨折からとか言い放ったときの目だ! ヤバイ、絶対なんか理不尽なこと言われる! 離脱しなきゃ――と、ここでポンと肩に手を置かれる感触が。



「君が僕の考えを読んだのなら。……逆もあると思わないかい?」



 教授の声は背後から。


 ああ、そういや3次元組手の達人だったね。動きが見えなかったよ。詰んだわコレ。


「それじゃ、本題を話すとしようか」


 背後から降ってくる教授の声は実に。


 実に楽しそうだった。





 俺は教授に指示されて研究室の隅にあった黒い球体を持ってくると、テーブルに用意してあった座布団の真ん中に置いた。


 それだけで妖しい空気に満たされた感じ。なんというか、対面に座る教授が占い師か悪い教祖に見えてくる。


「うん、いい感じだ。さて、晶君」


 だけど教授の声はどこまでも爽やかで、考古学者らしく歴史探究に心踊らせているのか、とても輝いた目をしていた。


「もうすぐ僕たちは異世界に転移する」


 なんですと?

 にわかには信じがたいと言うか、なにこれ。ドッキリ?


「は? あはは。いやいやいや。そんな馬鹿な」


「うん。まあそうなるよね。でも術が発動したのは事実なんだ。実は君無しでは成立しなくてね。ほら」


 そう言って教授が示したのは黒い球体。黒いんだけど中に光が見えるような……LEDでも仕込んであるのかな?


――パリン!


 と思ったら、ガラスが割れるような音と共に薄皮みたいなのが飛び散った。


「おおっ?」


 何となく破片のひとつを目で追って床に落ちるのを見て気付いた。なんか床が発光してるんだけど。


 教授は異世界転移と言った。


 信じがたい話だけど目の前の光景は如何にもな感じで、俺は言葉を失って眺めるだけだった。


 じっとしていた時間は1分だろうか。それとも10分だっただろうか。


――パリン!


 また音がした。て、あれ? 球体はそのままだけど、光の強度が増したような。

 今度の破片は、飛び散るというより拡がる感じで、最初より遠くに落ちて、ゆっくりと消えていく。まるで、この部屋に染み込むように。


「教授。信じたくない俺がいますが……俺が居ないと成立しない、てのは?」


「そのままだよ。この魔道具に直接触れた事で、君は世界を繋げる鍵となった」


――パリン!


 さっきより間隔が短くないか?


「魔道具? 鍵? ……さては俺が飲まされた妙に渋い液体も何か関係してますね?」


「この現象とは無関係だよ。あれは異世界に合わせた体質にするための薬さ。僕も飲んだと言ったよね?」


「聞きました。異世界転移、信じましょう。さては巻き込んでくれやがりましたね?」


「大志の許可は貰ってるよ」


 なんだと? 親父もグルか!


――パリン!


 球体の光が、床の光が強くなる。


 うん、落ち着いて、状況を整理――


「する振りして撤収!」


 俺は研究室のドア目掛けてダッシュした! これなら考えを読めまい! 異世界転移なんぞに巻き込まれてたまるか!


 ッ! やべ!


 悪寒がして身を低くした俺の頭上を、教授が飛び蹴りの姿勢で追い越してドアの前に着地。すでに此方を向いている。


「逃がさないと言った!」


「初耳だよこの野郎!」


 俺は教授のふくらはぎ目掛けて右の蹴りを放つ。カーフキックだ。当たればダメージ、かわせば重心がズレる。


 だが教授は俺の師。


 衝撃を左足の膝下だけで完全に吸収し、そのまま俺の足を巻き込みながら斜め前へと踏み込んできた。

 上体が霞み背中が見えて後ろ上段廻し蹴り――いや、蹴り足のタメが無い! 踵落としか!

 スウェーでは避けきれないと判断した俺は、踏み込んで両腕で上段受けを作り、踵落としの衝撃を受けながら重心を前に進める力に変え、渾身の中段突きに繋げる。


 だが。


「うっそ! 膝ァ!?」


 教授の軸足が床を離れ、膝蹴りとなって飛び上がってきた。俺は突きを諦めて身を捻り、床に転がった。

 すぐに身を起こして構えをとる。


 ひりついた空気。


 僅かな判断ミスが致命的となるであろう緊張感。


「……えげつねぇわざを。師範は弟子が可愛くないんですか」


 このままでは危険。そう判断した俺は、仕切り直しのため、わざとふざけた言葉を口にした。


「師に向かって『この野郎』と怒鳴る弟子が何を」


「先に心理戦をしかけたのは師範でしょうが」


 これでいい。

 相手は化物を超えた達人の師範だ。勝てっこないのは判ってる。だけど負けるつもりも無い。


 五感の全てを強者と交える拳に集中し、己の糧とする。危険と隣り合わせの中でしか得られない、生きているという実感。


 これこそが、空手の醍醐味。


 口元が緩むのを感じつつ、俺は軽く腰を落として――


「どうやらタイムアップだね。お疲れさま」


 師範の、教授の言葉が聞こえた瞬間、強烈な光に包まれた。


 しまっ――――転移っ!


「逃げそびれたああああ! 俺のアホおおおおおお!」


「君のそういうところ。間違いなく大志の遺伝子だよ」


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