魅惑の赤と言ったらこれですわ!
深夜、薄暗い部屋の片隅で蠢く者が居た。
「ねぇ、もう入れても良いですわ」
「えっ、もう入れても良いんですか?」
「硬くなっちゃいます?でも、もう我慢出来ませんわ」
中の様子を見るために掻き回して見れば、良い感じにトロリとしている。
「しょうがないですね、じゃあ入れちゃいますよ」
「は、早くお願いしますわ」ゴクリ
グツグツグツ
「何をやってるんです、お嬢様」
「げげっ!と、戸田。まだ寝てなかったんですの」
「お嬢様が夕方にクーラーボックス持って帰って来たの見てますからね、そりゃ警戒くらいしますよ」
まったく、厨房の中川さんまで巻き込んで何をやってるかと思えば、ん、この臭い…。
「かにすきですか?」
戸田が呆れたような目で見下ろしてくる、それが愛する主人に向ける目ですか、本当に時給下げますわよ。
グツグツグツ
厨房奥の休憩室、一人(戸田)人数が増えて鍋を囲む輪が出来る。
「で、何でこんな夜中に隠れてかにすき食べようとしてるんです?」
尋ねればエリカお嬢様が皿に乗せたカニを見せつけて来る、おおっ、これは随分と立派なカニだ、カニ道楽の看板みたいだな。
ふむ、この前はてっちりを食べたし、次はかにすきか、大阪では人気の鍋だけにお嬢様がコンプリート目指して食べたがるのもよくわかる。
「私今日は朝から石川県に行って来ましたの、そこで頂いた香箱ガニのおでんは最高でしたわ、あぁ思い出したら顔がニヤけてしまいますわ」
お嬢様が令嬢にあるまじき表情を浮かべニヤニヤする、学園でこの表情されたら完全にアウトだ、絶対にウィリアム王子が食いつく。
「で、そこのおでん屋のご主人からお土産にカニを1杯頂いたのですわ」
朝からいそいそと出掛けたと思えば石川県までいっとんたんか、相変わらず食にかける行動力は半端ないな。
帰って来たのは夕方でもう屋敷では夕飯の用意が出来てたから、夜食にしたのか?ん、夜食に鍋?
「はぁ」
はぁ、そのご主人もよく昼間からおでん屋なんか開いてたな、いきなり縦ロールのお嬢様が来店したらさぞ驚いたろうに。
「ほら、この叔父様ですわ」
見せられたスマホには、厳つい顔のご主人が顔をカニみたいに赤くしてお嬢様とツーショットで写っていた、あぁ、お嬢様はコミュ力高いからなぁ、お土産にカニ貰うくらい簡単かも、ご主人遠慮がちにピースサインしてるし。
「ふっふっふっしかも加能ガニですわ、この青いタグが目に入りませんの」ドヤァ
確かに脚の部分に青いタグが付いてる、でも…
「ズワイガニでしょ」
チッチッチッ
エリカお嬢様が人差し指を揺らし、呆れ顔をする。イラッ
「冬の荒れる日本海で、加賀から能登までの石川県漁協が命懸けで獲って来たズワイガニを加能ガニと呼ぶのですわ、その太い脚には身がギッシリ詰まっていてホクホク、甲羅のミソは実に濃厚で…」
「あ、もう良いです、絶対に長くなりますよねその話」
確か前にもお嬢様が説明してたがズワイガニは地域によって呼び方が多すぎるのだ、北陸ではエチゼンガニ、山陰ではマツバガニ、コッペガニに香箱ガニ、セイコガニ、どんだけあんねん!
「ここから良い所ですのに…」
「で、その美味しいカニを中川さんと二人で食べようとしてたんですね」
「あら、かにすきは全部私の分ですわ」
思わず中川さんに目を向ける。
「流石にお嬢様に鍋の準備はさせられませんから、僕は甲羅酒で手を打って鍋をご用意しました」
よく見れば中川さんの横には石川のお酒竹葉の吟醸酒が、こ、こいつ、確信犯だ。
駄目ですよ中川さん、お酒1本と蟹味噌なんかで買収されては、お嬢様を甘やかしてると、いずれ骨抜きにされますよ。
「脚は1杯分しか無かったので一人で食べるしか無かったんですわ」
その上、ヨヨヨと泣き真似なんぞしやがる、どんどんいらん技を覚えてくるなエリカお嬢様。
「…じゃあ私は口止め料に脚2本を頂きますね」
「なっ!4分の一も、戸田、貴女、鬼ですわ、悪魔ですわ」
「じゃないと明日、奥様にチクりますよ」
「マロニーちゃんもつけますわ!」
チョロいな。
中川さんもそこで拍手しない。
とんすいに盛られた昆布出汁のとろみのついたスープに白菜、椎茸、ネギにマロニーちゃん、真っ赤に茹で上がった太いカニ脚が湯気を立てる。
「加能ガニはかにすきが一番美味しいですわ!」
私の向かいでエリカお嬢様がヤッホイと歓声を上げる。
同じ蟹でもタラバガニは焼き蟹が美味しい気がするがズワイガニは茹でが良く合う、このしっとりとした甘みと口の中でホロホロ解ける食感がとても良い。私は鍋では白菜が好きなのだが、カニの出汁を纏った味は格別だった、ついつい箸が伸びてしまう、明日の朝食は少なくしなければいかんな。
お嬢様は深夜だと言うのに遠慮なくパクパクとカニを頬張っている、本当になんでこれだけ食べるのに体型が変わらないのだ、羨ましい。
「お嬢様、この甲羅酒凄い美味いっす、ありがとうございます」
「ホホホ、それは良かったですわ、よろしかったら白菜をお食べなさい、でも料理長には内緒ですわよ、拗ねてしまいますから」
中川さんもお鍋のアクを取りながら付き合ってくれている、お嬢様も私も未成年だからまだお酒の味はわからないけど、蟹味噌にお酒って美味しいのかな、手に持ってる甲羅の中の自衛隊の色みたいな液体を見て思う。
後、料理長には臭いでソッコーバレると思うけどなぁ、言い訳は頑張れ中川さん。
チルルル
「やっぱ、お鍋にはマロニーちゃんだよね、関東じゃ“しらたき”って細いこんにゃくを入れるらしいね、知らんけど」
あぁ、マジでカニ食いてぇ。




