山田 真桜は魔王に再就職
「やべ! 寝ちまったよ…明日の朝までに仕上げなきゃなの…に?」
目が覚めた時あまりの眩しさに徹夜しすぎてこぎたならしくなった俺は目を細める。大学の間に趣味でやっていた筋トレの成果は、1十数日の不摂生でやつれてるように思える。クタクタになったスーツから覗く腕はヘロヘロだ。
眩しい光に慣れてくると目の前には絶世の美女という言葉が似合いそうな女性がファンタジーな格好で俺を見つめている。
薄緑がかった金髪は森の湖の背景がとても似合いそうだ。丸い瞳は美しさの中に可愛らしさも内包している。体に巻きついている白い絹のようなローブもシンプルで、余計に本人の美しさとスタイルを強調している。身長は俺より少し低いくらいだろうか、男性の平均の俺より少しだけ低い身長は、モデルのようにも可愛い少女のようにも見えるギリギリだ。
反射的にその美女にこの俺、山田 真桜は口を開かずにはいられなかった。
「どぉぉぉぉぉしてくれんだよ! 納期今日の朝までだって言われてんのによォ! 間に合わなきゃ今まで我慢した分もパァだ! 次の就職先は斡旋してくれんだろぉなぁ!? あぁ!?」
ただ怒鳴る
絶世の美女を目の前にして出てきた言葉は、納期に追われた社畜の魂の叫びだった。美女もこんな言葉をかけられたのは初めてなのか驚いたような顔で静止している。
「え、えーと」
絶世の美女が口を開く。美女は声までもやはり美しい。
「もう仕事はいいんですよ? 現実の貴方は十数日徹夜を繰り返して息を引き取ったので…」
「…は? よくある異世界転生じゃん…。最近読んでないのにこんな夢見るとはな…」
あるある設定の夢を見てのんびりしてる場合ではない。数分寝たらもうこの納期には間に合わないだろう。必死に頬をつねり起きようと試みる。
「一応自己紹介させてもらいますね。私は調和を司るハルモニアって言います。」
ほーうハルモニアって言うのか、あんまり作品には選ばれない神な気はするけどそんなことはどうでもいい、早く帰してくれ納期が間に合わん。
最早連徹をしている俺に体力など残ってない。少しでも寝てしまったのなら回復を試みようと大人しく美女を眺める。
「現実世界の山田様は度重なる徹夜で息を引き取られました。女神会の審査の結果、素行不良や犯罪歴もないので、可哀想な魂に第二の人生を与える対象者に選ばれました」
へぇ…今の転生物って女神も会議してんだな。なんだか親近感湧くな。
「そして私は調和を司らせて貰ってるので、今は魔王も勇者の席も空いてるので世界の調和的に魔王か勇者を選んでもらうことができます。残った席には後日新しい方を転生させますので」
こういった時って一般人は勇者か村人で成長するもんかと思ってたが、経歴がなくても魔王も選べるのか…
「え〜っと、どちらにされますか?」
「それぞれの特徴もお聞きしたい。せっかく転生の夢を見てるんだ、夢の中くらい仕事のことは忘れて生きてみたい」
夢の中ならば楽しもうと、内容の確認をする。仕事の鉄則だ、たった数ヶ月で癖になってしまった。
「やっぱりまずは、現状把握が先ですね…。少し山田様をお呼びする前の現実世界をお見せします」
美女が指を揃えて俺との間の空間を払う。手が通ったところから監視カメラを覗いたようなアングルで俺を眺める。
「最近の夢はすごいな…VRの経験なんてないがリアリティが凄い…」
就職してからはお金を使う暇もないほど働き詰めだったので、流行ったVRも触れる機会なんてなかった。大人向けのビデオはVR体験したことあるがなんだか画面が伸びていて全く興奮できなかった。
「この先を見てもらえれば分かると思いますが…現実をきちんと受け止めてくださいね」
「あああああああ! 終わんねぇ! この数日間で何人分の仕事してると思ってんだよエロ上司! お気に入りの子の仕事全部こっちに流しやがってこの脳チ〇ポがよぉ!」
おうおう荒れておる荒れておる。しかも俺が言った記憶のあるセリフだ。夢はこんな事までリプレイしてくれるんだな。徹夜しすぎてレム睡眠が濃厚すぎるぐっすり寝たい。
キーボードを恨んでいるのかというくらい強く叩きつけながら必要最低限でタイピングしていく。カタカタと子気味いい音を鳴らせるキーボードは俺に似てガタガタ抜かして文字を打ち込んでいる。
「あぁ…やってらんねぇ。まじなんで俺がこんなやってんだ。初めは俺が仕事遅いせいだと思ってたけど、数ヶ月でこの量の仕事してるなんておかしいんだよ…。でも、転職するにしても二十社落ちたあたりから諦めてたもんなぁ…」
キーボードの軸が変わったのだろうか。先程とは打って変わってスコスコと悲しげな音を立てている。虚空を見つめながらも高速タイピングしていく俺は、力ない音につられて今にも魂を吐き出しそうだ。
「いよっし! 深夜二時からの相棒《怪物エナジー》をキメてあと8時間仕事してタイムカード押すかぁ!」
一番下の引き出しから取り出したのは、怪物エナジーと書かれた缶ドリンク。いちばん広い下の引き出しにぎっしり詰められてるところを傍から見るとなんだか可哀想に見える。
(いや、普通に可哀想か)
清掃の女性は上司と遊んで仕事しないので、飲んだら同じところに缶を戻して休憩時間にまとめて片す。そのせいで休憩のない俺の引き出しはほぼ空き缶だけになってしまった。
「最後の一本か…。三箱くらい買ったのに無くなるの早いな」
何も考えず十数日でそんなに飲むな。飲んでいるのが自分だとしても画面越しに注意したくなる。
「注文しないとなー。休憩ないのに…トイレの時にするか! さて、これ飲んで頑張りますかーっと…っう!」
何故か急に胸を抑え出す。いや何故かというのは分かるのだが、なんの病気かが分からん。もうあれだけ新入社からブラックならいくらでも病気が見つかりそうだ。
目が覚めたら有給…はないから事故にでもあって入院するしかないな。ついでに検査してもらおう。
そんなしょうもないことを考えながら画面の中の俺の様子を伺う。
「ぐっ…かはっ! 息できねぇ…まだ、終わってないのに…」
パタン
キーボードに向けて伸ばしていた手が倒れる。俺はこんな死に方をしたのか。うん、穴があるなら入りたい、いやもう誰か俺を殺してくれ。死んでいるが。
「えーっとこれで分かって貰えたと思いますが…現実世界の真桜様は、度重なる徹夜と不眠、ストレスによる身体のダメージ、座りっぱなしによる血栓、食事をエナドリで済ますなどなど、色々重なりまして…死にました」
「すごいな、生きてた頃はそんなでも仕事しなければと思っていたのに、人に中身を説明されると馬鹿だな」
「普通退職するんですけどね。しかも薄給ですし、なんでこんな頑張っちゃったんですか…?調和を司る私でもちょっとバランス取れてないと思うんですけど」
ハルモニアはとほほとした顔で肩を落とすような仕草をしてみせる。こんなに美しいにも関わらずコミカルな動作はとても親しみやすい。
「そこで、神の私たちも転生者の審査を行うんですけど、ココ最近事故とか召喚とかしすぎまして…。人数制限を設けてほんとに可哀想な若い方を優先的に呼ぼうと決まりまして。それで山田様が呼ばれたというわけです」
俺は世界で何番目に可哀想なのだろうか。歳が行ってるだけで救済されない先輩達に短く黙祷し、同年代の中での自分の立ち位置を理解する。
「あぁ…俺ブラックの社畜だったんだ…しかも同年代の中でトップクラスに可哀想とかなんで辞めなかったんだろ…」
「辞めなかった理由はほんとに分からないですけど、現実を受け止めたところで転生の説明をさせてもらいますよ?」
ハルモニアは仕事だからと今度は手を縦に振り、俺の目の前にさっきの画面と同じ要領で説明書のようなものを二枚出してきた。
「今目の前にあるのは勇者と魔王に転生する契約書です。契約できるのはどちらかひとつ、山田様が選ばなかった方には後日もう一人転生されます」
「俺の次に可哀想な人がいるのか…敵対したくねぇ…」
転生の理屈だと次にこの世界に召喚されるのは恐らく俺の次に可哀想な子だろう。勇者と魔王なんて立場を捨てて腕を組んで飲み交わすべきだ。
「そして、先程の山田様のご質問。職業の特徴ですが『勇者』はこの世界の期待を一身に受けて魔王討伐のために鍛えます。
重圧と過酷さは折り紙付きですが、全ての都市は顔パス。討伐の際の報酬は一生を遊んで暮らせるほどです。大抵の人が勇者に転生するのは皆さん心の中で勇者に憧れるからなんですよ」
ふむ、若いうちに苦労して老後は安泰というパターンか。自分の努力次第で、いくらでも討伐期間は早められるし一生遊べるならこちらを選ぶのも分かる。
だが、一つだけ大きな問題がある重圧、過酷。これは俺の元いた人生と何ら変わらないだろう。勇者になった俺を想像してみろ、モンスターが出たと言われればどこへでも飛び立ち、聖剣を求めて過酷な労働をする。挙げ句の果てにはパーティを組んで命の責任を追う別れもあるのだろう。
圧倒的に無理だ。ただの社畜だ、転生してまでそんなものになりさがる気は無い。
「なら魔王はどうなんだ?」
「不人気な理由は運命で必ず倒されてしまうからです。業務は各地の伝説の装備を擁するダンジョンの管理、定期的に勇者パーティとの戦闘辺りが主ですね。」
「伝説の装備? すごいフワッとした呼び方だな。持っとこうエクスカリバーとかないのか」
「転生者の勇者が代々装備するものですので世代によってウケが変わる名前よりも伝説とかにしてしまおうと上の満場一致で決まりました」
神も縦社会なんだな。上司が決めたことを社員がプロデュースしてるんだ。なんだかハルモニアに親近感が湧く。
「伝説の装備は六種類あって、剣、盾、頭、胴、腰、脚です。それぞれ魔王特攻の効果を持ってる世界に唯一の装備品です。半分ほどで魔王をボコボコに、全部集めれば余裕で封印できるフルセット効果が発揮します」
「なるほど…つまり、ダンジョンを上手く使って勇者に装備を渡さないのが魔王の目的か」
「伝説の装備のダンジョンは六匹の上級魔物が護っているので、魔王としての威厳を上げなければ言うことは聞きません。どちらに転生しても勇者が育つのが先か、魔王が育つのが先かの勝負ですね」
勇者に転生したなら魔王が全てを支配するまでに倒せるレベルまで育つのが目標。当然早い段階での伝説の装備入手は必須になってくるだろう。後回しにすればするほど攻略は楽になっても統率を取られれば一溜りもない。
逆に魔王に転生したならば条件不明だが魔王の威厳を高め六匹を支配下に早く置くことで、伝説の装備を取られないことが目標か。
だがしかし、数ヶ月いくつもの書類に目を通し続けていた俺は落とし穴を見落とさない。
“伝説の装備
勇者のみ装備可
ダンジョンクリアで入手可能”
「ここの伝説の装備の説明のところ…。勇者しか装備出来ないのに入手手段に勇者の文言はないな、誰でも手に入れられるのか?」
「手に入れても装備できないので誰も危険を犯してまで伝説の装備なんて探しに行きませんよ?」
「いや、伝説の装備を魔王が手に入れてしまえば魔王を倒せるやつはいなくなるだろ?」
ハルモニアの可愛い瞳がさらにまん丸になる。今までの転生者には契約書をまじまじと読む奴がいなかったのだろうか。
「えーっと、それはですね…まぁ入手は可能なんですが、それをやられてしまうと私の管理する世界が成り立たないといいますか…」
「だが、伝説の装備を入手しきった魔王は封印される危険性はなく、威厳も高めれば下の魔物にも舐められることはない。俺はダンジョンを管理するだけでいい」
そう、魔王になったら下っ端として働き詰めにならなくていいのだ。身を削ってまで仕事に生きる必要が無くなる。
俺はこの選択肢を見つけた時点で心は決まっていた。
「魔王に転職します」
死んで退職して直ぐに勤め先が決まった。今度は絶対に社畜になんてならない。俺は伝説の装備を集めてスローライフを送ってみせる。