93.別れ
「もうそろそろ時間のようだ。」
俺のカサカサになった手を愛おしそうに頬にあてて泣くリリーに、
本当なら抱きしめて安心させてあげたいのに、それができない。
もう自分の意思では指一本動かせそうになかった。
あぁ、その頬の涙をぬぐうことくらいしてやりたかったな。
俺と同じくらいしわだらけになったリリーに、それでも変わらず綺麗だと思う。
泣かないでほしい。
こんな風にリリーとシオンとシーナと過ごせて、子どもたちも大人になって、
孫たちに囲まれて生活できて…本当に幸せだった。
「俺は先に行くけど、ゆっくり待っているよ。
今度は年の差がある恋人になるのも…悪くないだろう?
だから…リリーはゆっくりおいで。」
「レオ…いやよ。置いて行かないで…。」
「大丈夫。ちゃんとリリーが来るのを待っているよ。
…安心して。これから先も…リリーが俺の唯一…だから。」
「レオ!待って、行かないで!」
「愛している…リリー。
ゆっくりおいで…。」
………
…………
「それにしても使節団に王女をよこすなんて、ルンデ国王も思い切ったな。
秘宝の王女と呼ばれているんだろう?第三王女。
これまで使節団として国外に出たことは無いはずだよな?」
「ええ。今回は王女の希望のようです。
陛下が即位すると発表した一年前から王女自ら行くと言っていたようです。
ルンデ国王はじめ、王太子たちも反対したそうですが…
どうしても行きたいと王女に押し切られたそうですよ。
そんな押しの強い王女という話は聞きませんでしたが。」
「ふうん。王女の希望なのか。
ちょっとの旅をするのも嫌がる令嬢は多いのに、めずらしい。
どんな王女なんだろうな…。」
「今は十八歳になったばかりです。
とても美しく聡明で、他国からも見合い話が殺到しているそうですが、
あの国は自分で結婚相手を選ぶ風習なのだと…。
そのため婚約もしておらず、かと言って浮いた話もありません。
最低限の夜会にしか出席せず、お茶会も親しい友人としかしないそうで、
秘宝の王女と言われているのはそのせいですね。
王女が誰を選ぶか、国中の噂になっているそうですよ。
もう結婚できる年齢ですから、そろそろ相手を選ぶのではと言われています。
陛下ももう二十五歳になるのですから、落ち着いていただきたいのですけどね…。」
「…俺の話は関係ないだろう?
俺が結婚しなくてもケインが結婚して子もいるんだし、いいじゃないか。」
「それはそうですけど…
王弟殿下の子ではなく、陛下の子がいたほうが国として喜ばしいのですよ?」
「あぁ、ほら馬車が着いたよ。王女を出迎えよう。」
「…またそう言って逃げるんですから。」
豪奢な王女専用の馬車から降りてくるのを見て、時が止まったように感じた。
いや、こちらを見た王女と俺の時間は、間違いなく止まっていたと思う。
お互いに見つめ合ったまま動けずにいるのを、王女のお付きの者が後ろから声をかけている。
俺自身も宰相に背中をつつかれている、のはわかっているんだが…。
何か言わなければ…だけど、何から話せばいいんだ。
先に動いたのは王女のほうだった。
優雅な所作で礼をすると、少しだけ声を大きくして名乗る。
その麗しい声と微笑みに、離れた場所から見ていた者たちの称賛の声が聞こえた。
「ランシャイル国第三王女、フェリス・ランシャイルです。
…お出迎えありがとうございます。」
「…国王のハイド・ジュエンデだ…。
遠いところはるばる来てくれて感謝する…。
フェリス王女…突然だと思われるだろうが、
俺の唯一に…王妃になってもらえないだろうか。」
俺の突然の求婚に、臣下たちが呆然としているのが見える。
だけど、ようやく見つけた。探していた誰かは…この人だ。
俺の求婚に驚いたフェリス王女が、
いたずらを思いついたように笑って首をかしげる。
初めて見るはずの表情が…とても懐かしいのはなぜだろう。
「陛下の唯一…ですか?」
「ああ。弟がもう結婚して子がいる。
俺の子が産まれなくてもかまわない。
側妃を娶らず、フェリス王女だけを愛すると約束する。
だから、俺と結婚してくれないだろうか?」
「…約束を破ったら、逃げますよ?」
「逃げてもいい。きっと誤解だと言って追いかけるから。」
…そして、この続きは…また新しい物語へとつながっていく。