82.一人
ジーンとブランが学園を休み始めてから一週間、俺は仕方なく一人で授業を受けていた。
俺自身はもう学園の授業を受ける必要がないくらい頭に入っているのだが、
無理して一つ上の学年で通っているジーンとブランはそうではない。
いつもならジーンとブランが自分で勉強した上で、
わからないところを俺が教えていたのだがそれができない。
とりあえず戻ってきた時に困らないように、二人の分のノートを取っていた。
エリザが消えてから、俺に話しかけるような不敬な者はいない。
あの一連の事件で、貴族としての礼儀作法の授業が厳しくなったと聞いた。
まず最初の授業で徹底的に身分というものを覚えさせられているらしい。
そのため、ジーンとブランがいなくても、静かな学園生活を送れていた。
だが、今日は違った。
廊下の方からざわめきが聞こえる。
かすかに聞こえてきた俺の名前に、相手が誰なのかわかって、とっさに姿を隠す。
誰にも見えないように認識阻害をかけた上で、
すぐさま音をたてないように教室のすみに移動して様子をうかがう。
教室に入ってきたのは、二人の令嬢だった。
その後ろに王宮がつけた護衛がいるのを見て間違いないと思う。
青みがかった銀髪は見覚えがある色だ。
あの令嬢がジョエル国王の娘、ロザリー王女か。
ツンとした感じが、いかにもわがままそうに見える。
美人に見えなくもないが、ちょっと勇ましい感じが先に来る。
その後ろに、少しおっとりした顔立ちの銀髪の令嬢が付き添っている。
王女より少し背が低く、後ろから見たら姉妹と言ってもいいくらいだ。
ロザリー王女の従姉妹だという公爵令嬢だろう。
「リオル様はこの教室ではなかったの?
そこの者、リオル様はどちらに?」
俺の近くにいつも座っている伯爵家の令息を捕まえると、俺の居場所を聞こうとしている。
やっぱり俺に会いに来たのか。
レイモンドから止められているはずだけどな…。
今日はレイモンドは剣の授業か…。
王女と令嬢の方が先に礼儀作法の授業が終わったという感じかな。
王宮の護衛たちが王女たちを止められるはずもないし、仕方ないか…。
「リオル様の教室はここであっています。
先ほどまでいらっしゃいましたが、帰られたのではないですか?」
「こちらの教室に向かう廊下ですれ違ったりはしていないはずよ?」
「リオル様は転移して帰られますので、廊下に出ることはありません。」
「…なんですって…。それじゃあ、どうやって会えばいいのよ。」
「ロザリー様、そろそろレイモンド様の授業が終わりますし、その前に戻りましょう?
これ以上ここにいてもリオル様が帰られた後では意味がありませんわ。」
「…わかったわ。」
俺がいないことであきらめたのか、二人は教室から出て行った。
その後を王宮の護衛たちが追いかけていく。
教室には華やかな香水の匂いが甘ったるく残り、不快な気持ちになる。
王女たちの授業の予定を把握しておいた方がいいかもしれない。
またこうして教室に来られたら、見つかる前に消えなければいけない。
一度であきらめてくれるような感じには、とても見えなかった。
本当はジーンとブランがいない間に王女たちに会って、あきらめてもらうのが一番だとはわかっていた。
だけど、あの王女たちを前にして冷静に話し合いができるか…
婚約者であるミーシャを見下すような発言をされたら…。
暴走せずにいられる自信がなかった。
いつもジーンとブランに守られていた。
離れたことで、それが一層浮き彫りになっていた。
王女と公爵令嬢への対策を考えているうちに、早くも二週間が過ぎてしまっていた。
今までジーンとブランに頼り切っていた自分が情けなく落ち込みそうになる。
ミーシャやレミリアに相談しようと思えばできたが、
それではジーンとブランに頼っていた時と変わらなかった。
今回は自分だけの力で何とかしたい。
その気持ちはあったが、思うだけではうまくいかなかった。
レイモンドにも心配されたが、レイモンドは王女たちの応対をしている。
結果、俺は一人で行動し悩みこむようになっていた。
たびたび教室に探しに来る王女と公爵令嬢に、
一度こっそり隠れて付いて行ってみたことがあった。
二人の会話から目的がわかればと思ったのだが、王女の目的は俺との結婚。
その上で公爵令嬢がジーンかブランと結婚するというものだった。
なぜか王女は公爵令嬢と一緒の場所に嫁ぎたいらしい。
断るのは簡単な話だった。
何より、俺はこの国の唯一の王女であるミーシャと婚約している。
そもそも婚約している王族に求婚する行為はかなり無茶があった。
問題は、王女が自分はミーシャよりも上の身分だと誤解していることだった。
自分の方が俺に相応しいと本気で思っている様子に…ただ呆れてしまった。
おそらく俺に求婚されたら即座に断ることになる。
そのくらい俺とは考えがあわない王女だった。
だけど隣国とは揉めないように穏便に済ませなければいけない。
俺にとってはどうでもいいことでも、責任を取るのは陛下とレイモンドだ。
勝手なことをして二人に責任を押し付けるつもりは無かった。
だけど、穏やかに話し合って断る…一番俺が苦手とするものだった。
向こうを傷つけずに断るにはどうしたらいいか、悩んでも答えが出なかった。
もう一つの問題についてはわからないままだった。
レランド国のことを王女たちが知っているようには見えない。
こっそり聞いていた時の話でも、ジーンとブランは宰相の息子で、
それ以上の価値があるようには思っていないようだ。
ジーンとブラン、宰相のことを、ジョエル国王は王女たちには話していないだろう。
なんとなくの勘ではあるが、ジーンとブランが王族だから結婚相手にだなんて、
あのジョエル国王がそんな単純なことで動くとは思えなかった。
王女たちがジョエル国王から指示されたのではなく、
ただ高位貴族のところへ嫁入りしたいだけならばいいのだが…。
下手にこちらから何かを尋ねて、二人に興味を持って探られても困る。
早く何とかしなければと思うのに、なかなかいい断り方が思いつかずにいた。
そんなことを悩んでいたためか、
この二週間で貴族や平民の間で噂が流れていることを知ることはできなかった。
「おい、お前知ってるか?」
「何をだ?」
「リオル様、側妃をもらうことにしたらしいぞ。」
「ええ!?だって、ミーシャ王女と結婚するんじゃ…?」
「ああ、だがな。ロードンナのロザリー王女に求婚されたらしい。
で、リオル様なら断るだろうと思われていたんだが、どうやら断っていないらしい。」
「本当なのか!?」
「間違いない。今日もロザリー王女がリオル様を探していたって話だ。」
「じゃあ、今ごろは…ミーシャ王女の許可を待ってるとか?」
「そうかもしれないな。側妃を娶る時は正妃の許可は必要だろう。
…しかしなぁ。意外だったなぁ。
リオル様がミーシャ王女以外も娶るとは…。」
「相手がロードンナ国だから断り切れなかったんじゃないか?」
「なるほどなぁ。」