71.狂気の始まり
「リオル!どうして!?
あなたと結婚するのは私でしょう?どうしてミーシャなのよ!
違うって、はっきり言って!」
食堂中に響き渡る声でエリザが叫んだ。
思わず魔術をぶつけたくなるのを咄嗟にジーンが止めてくれた。
落ち着けと自分に言い聞かせながら答えるが、思った以上に低い声が出てしまう。
「どうして俺がお前なんかと結婚しなきゃいけないんだ!
俺はミーシャと結婚するって、もう何年も前から約束してるんだよ!
いいかげん、つきまとうのはやめてくれ。お前なんか大嫌いなんだよ!」
「うわぁ…容赦ねぇ。」
「言いすぎだよ、リオル…。」
「言い過ぎで構わない。これでミーシャに誤解されたらどうするんだ。
いいか、ここで聞いていたらお前ら。
もしこれで誤解するような噂をばらまいたら、容赦しないぞ。
俺が好きなのはミーシャ、ただ一人だ。
浮気したこともないし、する予定もない!
陛下にも認められて、ミーシャが十五歳になったら結婚するって、
もう何年も前から決まってるんだよ!
わかったら、そこのお前ら。エリザを連れて帰れ!次来たら許さない。」
真っ青になった顔でハラハラと涙を流して、
今にも倒れそうになっているエリザを見て舌打ちしそうになる。
こいつの本性を知っている俺は騙されないが、他の者は違うだろう。
だが、はっきりと否定しておかなければ揉め事に繋がるのは間違いない。
「何度でも言う。俺が好きなのはミーシャだけだ。他はあり得ない。
わかったら、そいつを連れてどこか消えろ!」
もう一度令息たちの顔を見渡して言うと、青ざめた顔で令息たちはエリザを連れて行った。
令息たちの顔はわかった。あとで宰相に連絡しておこう。
エリザ側につくようなら容赦しない。
「リオル…うれしいけど、少し落ち着こうか?」
「ミーシャ…悪い。」
「うんうん、わかってるからいいよ。ほら、ご飯食べて落ち着こう?」
いつの間にか隣に来ていたミーシャに肩をたたかれて我に返った。
おとなしくうなずいて食べ始めると、周りからほっとした雰囲気が伝わってくる。
「…ミーシャ様天使。
リオル様があんなに怒るなんて見たことなかったけど、
ミーシャ様がいれば大丈夫なのね。」
「本当に。お似合いすぎて、悔しいとか思う気持ちにもならないわ。
あの令息たちも馬鹿なことしたわね。」
「ええ、お二人の仲は公表されてはいませんでしたけど、見ていたらわかりますわ。
本当にお似合いですもの。間に入ろうとするなんて…信じられません。」
どこかの席に座っている令嬢たちが小声で話しているのが聞こえる。
俺に聞こえないように小声で話しているのだろうが、
話し声って、小声にした方が聞こえることもあるんだよな…。
まぁ、文句じゃないようだし、ミーシャとの仲を祝ってくれているようだからいいんだけど。
「はー。また宰相に報告することが増えそうだな。
これで落ち着くとは思えん。」
「まったくだ。」
「どうしてよ!どうしてミーシャなのよ!
リオルは、あれは私のものになるはずなのよ!」
近くにあった机の上のインク壺や万年筆を壁に投げつけると、真っ黒なインクが飛び散った。
それを見ても顔色一つ変えずに離宮の女官長ユリアはそばについている。
こうなってしまったエリザはしばらく暴れた後でないと話を聞かない。
それをわかっていて、落ち着くのを待っていた。
「…なんで側妃の子どもごときに奪われるの!」
ジョセフィーヌ王女がエリザを身ごもった時、その時のジョセフィーヌ王女はまだ王妃であった。
元王女であり、王妃だった母から生まれたエリザ。
身分にこだわらずに交流しているエリザではあったが、
誰よりも自分の身に流れる血の尊さを誇っていた。
だから側妃から生まれたミーシャは自分よりも格下であると決めつけ、話しかけたことも無かった。
レイモンドに話しかけていた理由は、ただ単にリオルと一緒にいるからだ。
レイモンドですら、後妻の子だと思っている。
リオルだけは特別だった。
初めて会ったのは、学園の入学式だった。
王族でありながらリオルは公の場に顔を出していなかった。
もちろんエリザも離宮に幽閉されているので、公の場に出ていても顔を合わせることは無かっただろう。
だが、公の場に出てこないだけではなく、リオルの容姿は一切公表されていなかった。
入学式の日、リオルの周りだけ静まり返っていた。
特徴的な黒髪に緑目。
レオルド様にそっくりと言われている端正な顔立ちに、王族というよりも騎士のような身体つき、
間違いなく高貴な生まれであるのが一目でわかる姿に誰もが目を奪われていた。
あれはリオル様だ、そう誰かが言った言葉はすぐに周りに伝わっていった。
レオルド様とリリーアンヌ様のお子で、王位継承権を持っているのに公の場に出てこない公爵家の嫡男。本当に存在しているのかどうかもわからなかったリオルだが、その場にいた誰もが思った。
だから公に出てこなかったのだと。
陛下よりも、王子たちよりも、ずっと威厳がある令息。
もし王太子を決める前に姿を現していたなら、国を割る理由になっていただろう。
陛下を大事に思うレオルド様がそんなことを許すわけがない。
ほとんどの令息、令嬢たちはその気持ちを重んじ、必要以上にリオルに騒ぐことはしなかった。
その例外がエリザとその周りの令息たちだった。
エリザは一目見て、あれは私のものだと感じた。
生まれ変わる前からずっと欲しかった、運命の相手だと思った。
あれはきっと前世なのだろう。
黒髪で緑目の魔術師に恋をした。
だが、その魔術師は突然自分の前から姿を消してしまった。
あきらめきれず、探して探して、父親に無理やり結婚させられた後もあきらめられなくて。
自分が病気で余命短いことを知ると、魔術師に依頼して、
運命の相手に近い場所に生まれ変わることにした。
今度こそは手に入れて、二人で幸せになるのだと。
そして生まれ変わった自分は王女だったが、幸せな環境とは言い難かった。
ずっと部屋に閉じこもり、話すこともできない母、顔を見ることすらできない父、
話を聞いてくれたのは女官長のユリアだけだった。
「ねぇ、ユリア。
どうしてリオルはミーシャと結婚することになったの?」
部屋の中が壊すものがなくなった頃、ようやくエリザは話すことにした。
王族同士の結婚に理由がないはずがない。そう気が付いたからだった。
「陛下の考えはわかりかねますが、
おそらくはミーシャ王女のわがままが通ったのだと思います。」
「ミーシャのわがまま?」
「はい、ミーシャ王女を生んだ側妃は異例の輿入れでした。
結婚式はせず、ひっそりと輿入れし、初夜の儀以外は閨も共にしていません。
すべてはジョセフィーヌ様が傷つけたことへの詫びだと言われています。」
「お母様のせいだっていうの?」
「ジョセフィーヌ様だけのせいではありません。
王女で王妃だったにもかかわらず、側妃に落とされ離宮に閉じ込められたのです。
その元凶とも言えるミランダ王女を刺そうとしたのです。
それを勝手に盾になって刺された令嬢を側妃になど…。
おそらく生家の公爵家の力が強かったのでしょう。
おかげでジョセフィーヌ様は心を壊してしまわれた。お可哀そうなことです。」
「そうよね、お父様だってお母様が王妃のほうが良かったのに、議会が反対したのでしょう?
新しい王妃が来るから離宮に行けだなんてあんまりだわ。
ミランダ王女が刺されていれば、こんな面倒なことにはならなかったのに。」
また悔しさを思い出したのか、ドレスの端をギリっと握る。
しわになってしまったら、もうそのドレスは着ないだろう。
エリザの生活にかかるお金は王宮と辺境公爵家から出されていた。
幽閉されていても、何不自由なく暮らせていた。
そのことにエリザは何一つ感謝もしていなかったけれど。
「まだ婚約しただけで、結婚したわけではありません。
王族が婚約解消することなどめずらしくありません。
王命で変わることも多いですから。」
「王命?」
「そうです。陛下にお願いして、リオル様との結婚を命じてもらいましょう?
政略結婚させられてしまう前に、リオル様をお助けするのです。」
「そうね、リオルを助けなきゃ。
で、どうやってお父様にお願いするの?」