67.新たな時代
学園のサロンは静けさの中、一人の令嬢の軽やかな声が響き渡っていた。
周りにいる令息たちは、その令嬢の声に耳を傾け、うっとりとしているように見える。
「そうよね。生まれは大事かもしれないけれど、
今ここで同じ学園の生徒として通えていることは運命だと思うの。
そこには王女も平民も無いと思うのよ?
だから、私は皆さんと一緒にいるのが嬉しいし、
皆さんとお話しするのがとても楽しいの。」
「さすがエリザ王女ですね。」
「ええ、本当に。素晴らしいです。」
たくさんの令息に囲まれて賞賛されているのは、陛下の第一王女であったエリザである。
母親のジョセフィーヌ王女が公爵家の令嬢を刺すという事件を起こし、
側妃としての身分をはく奪されたために、今のエリザは王女ではない。
ただの平民ではないのだが、貴族令嬢としての身分も持たない。
それでも王族の血が流れているエリザを放置することも出来ず、とても中途半端な位置にあった。
父親は陛下であり、伯父は辺境公爵家当主、伯母は隣国の公爵家夫人。
兄のフレデリックは伯父の辺境公爵に後継ぎとして引き取られている。
だが、エリザは母親が幽閉されている離宮に今でも住んでいた。
身分の無い王女、肩書を持たない王女、周りはそう見ている。
普通の考えを持つ貴族であれば身分の無い王女に近付くようなことはしない。
血筋だけは間違いなく王女であるのに、
後ろ盾のない令嬢でしかない今のエリザを娶るのは危険すぎるからだ。
社交界にも出て来られないエリザがどのような人間なのか、貴族たちは知ることができなかった。ずっと離宮で隠されるように生きていたからである。
それがエリザが十三歳になり学園に通うになると、エリザを囲む令息たちが何人も現れた。
王女でありながら学園の生徒である以上平等だと語るエリザ。
その理想論に吸い寄せられたように夢中になる令息たち。
これがどれだけ異様なことなのか、わかるものはエリザに近寄らなかった。
エリザの行動を報告された陛下は頭を抱えレオルドに相談したのだが、
レオルドの答えはリオルに任せるだった。
そう、同じ学園にはレオルドとリリーアンヌの息子リオルも通っている。
ちょうどエリザと同じ学年で入学していた。
そして、その学園も三年目となったが、未だにエリザの行動はそのままになっていた。
「リオル様もサロンでエリザ王女とお話しませんか?」
その誘いはもう何度目だろう。
毎回ほとんど話したことも無いような令息が声をかけてくる。
学園であろうと、身分の下のものから話しかけてくるのはマナー違反だ。
それにもかかわらず、エリザの周りの令息たちは声をかけてくる。
たいていはリオルが返事をすることも無く、ジーンとブランが返事を返す。
「お前は誰だ?」
「まず名乗れ。どこの誰だ。」
「…申し訳ありません、タイハール伯爵家次男のケニーです。」
「そうか、家には抗議しておく。」
「そ、そんな!どうしてですか!」
「なぜ、身分が下のお前がリオル様に話しかけてきた?
リオル様が話しかけてもいい許可を出してもいないのに誘いを直接かけるなど、
学園であっても無礼にしかならないぞ?」
「で、ですが、エリザ王女が…誘ってきてほしいと。」
「だから、なんだ?それに、エリザ王女なんていないぞ?
この国の王女はミーシャ様だけだ。」
「え、でも、エリザ王女は王女ですし…。」
ジーンとブランが詰め寄ると、ケニーはあわあわしはじめ次第に声が小さくなっていく。
それを見ていたリオルがそろそろかなと止めに入った。
「ジーン、ブラン、もういいよ、それくらいで。
ケニーって言ったっけ?あのね、よく考えてから行動してくれないかな?
俺は王子ではないけど、王位継承権を持つ王族なんだ。
軽々しく声をかけられたり、誘われて良いことになったら、
いろんなものから声をかけられて身動きが取れなくなってしまう。
俺の学園生活を壊さないでくれる?」
「す、すみません…。」
「それに、エリザは王女じゃないよ。貴族ですらないんだ。
それを王女と呼ぶってことは反逆罪と思われても仕方ないんだってこと、
ちゃんと理解しているか?」
「え?」
「だから、伯爵家に抗議が行くんだ。このまま放っておけないからね。
しっかり父親から説教されて反省するんだな。
このまま繰り返すようだと退学になるよ?」
「…。」
「わかったら、問題が大きくなる前に去れ。」
見かねたのだろう。
ケニーの友人と思われる令息たちが二人、ケニーを抱えるように連れて行った。
ケニーはもう意識を失いかけ、一人で歩けるような状況じゃなかった。
ばたばたと教室から出ていくのを見届け、ふうっとため息をついた。
「最近静かになったと思ったのにね~。」
「ああ、久しぶりだったな。エリザ教のお誘い。」
「あいかわらずリオルに執着してんだな~。こわっ。」
「まぁ、大きな問題おこさないうちは、
こうやって一人ずつ切り離していくしかないか。
あーめんどくさいな。父上も丸投げするのやめてほしい。」
「仕方ないだろう、リオルはまだ王族なんだし。」
「俺はもう王族をぬけたくて仕方ない。」
「あー、はいはい。お疲れ。帰ろうぜ。」
そうだなと三人で帰り支度をして、そのまま転移してマジックハウスへと帰る。
マジックハウスでは妹のレミリアがシオンと本を読んでいるところだった。
レミリアも十三歳で学園に通っているはずなのに、
もうすでに部屋着に着替えシオンのひざの上に乗っている。
レミリアがシオンのひざの上に乗っているのはいつものことなので、それには誰も何も言わない。
「なんだ、レミリアは先に帰ってたのか。」
「おかえりなさい、お兄様、ジーン、ブラン。」
「「「ただいま。」」」
「お兄様たちの教室に行こうかと思ったけど、からまれてそうだったからやめたの。
またエリザ教の人?」
「今日はおとなしいほうだったよ。ジーンとブランに言われて黙ってたから。」
「あら、そうなんだ。つまらないの~。」
「俺はその方がいいよ。めんどくさいから。」
「エリザも早くあきらめればいいのにね。」
エリザからの誘いは学園に入学した当初からあった。
何が目的なのかはわからないが、
エリザは学生はいろんな立場のものと交流するべきという理論を掲げて、サロンに人を呼んでいる。
それだけなら困らないのだが、なぜか度々俺を誘いに来る。
見た目は深窓の令嬢を装っているが、その本性がわかる俺は一度も相手にしていない。
エリザに毒されていない普通の令息令嬢たちは、
俺がエリザと交流するわけにはいかないことをよくわかっている。
そのため、どれだけ断ろうと、どれだけ冷たくしようと、俺の評判に変わりはなかった。
俺としては別に評判が落ちても良いと思ってやっていたこともあるのだが。
父上がジョセフィーヌ王女が話を聞かない人だったって言ってたけど、
エリザもそのタイプなのかもしれない。
俺にはそれ以外にも避けたい理由があるのだが、公表することは出来ず、
ただエリザを見ると殺意がわくのでそばに行きたいとはどうしても思えなかった。
「母さん、今日のご飯は何~?」
「今日は姫様が作るって言ってたから、美味しいと思うわ~。」
「「うわ、やった。」」
俺とレミリアが話しているうちにシーナが戻って来ていた。
ジーンとブランはシーナの双子の息子で、本当は一つ年下なのだが、
俺の従者として同じ学年で通っている。
俺とジーンとブラン、妹のレミリアも、このマジックハウスで生まれ、魔女の森で育っている。
四人が魔術師になるのは自然なことだった。
この森から出るだけでも転移しなければいけないのだから。
父上と母上は公爵家と王族の仕事があるため、日中は王宮か公爵領にいる。
仕事が終わってこのマジックハウスに帰ってきて、母上に時間があれば母上が食事を作る。
母上がいなければ、マジックハウスにいる全員で食事を作るのがルールだった。
俺が生まれてすぐ王族にはなったが、十五歳を過ぎたら放棄することが決まっている。
父上と母上も貴族というよりも魔術師として生きている方があっていると思うらしく、
俺たちも学園から卒業すれば自由に生きていいことになっている。
レミリアは学園を卒業したらシオンと結婚すると言っている。
一応王族なのにとは思うのだが、生まれてからずっとレミリアはシオンから離れない。
魂の番というものらしい。
魔女が言うには出会ってしまったら、もう離れてはいけない存在なんだそうだ。
そのため、レミリアはその立場を公にされていない。
レミリアが王族であることが知られてしまえば、
政略結婚の申込みが後を絶たないことが予想されたためだ。
同じ学園に通っている間はレミリアは俺の妹ではなく、ジーンとブランの妹ということになっている。
まぁ、ジーンとブランから見ても妹のようにしか思っていないだろうから、どちらでもいいのだが。
「とりあえず、今日のことも報告しておいてよ。今日の担当はどっち?」
「今日は俺~。」
「じゃあ、ブランよろしくね。」
「はいよ~。タイハール伯爵家のケニーね。連絡しとくよ。」
「あら、リオル様、またですか?」
「うん、久しぶりだったよ。まぁ、すぐあきらめたから問題ないけどね。
もうすぐ十五歳になるから、あっちも焦ってるのかもしれないけど。」
「結婚できる歳になりますしね。何もなく放棄できるといいんですけどね~。」
「誕生日の翌日には顔出すって、宰相に言っておいて?
放棄の手続きよろしくって。」
「わかりました~言っておきます。」
シーナが淹れてくれたお茶を飲みながら、その辺の本棚から魔術書を取り出す。
いくら読んでもこの本棚の本は読み終わらない。
どれだけ世界中から魔術書を集めたんだろうと思う。
いくら母上が喜ぶからって、父上はやりすぎだと思う。
だけど、そんな風に思ってしまう気持ちも最近はわからなくもなかった。