59.最後の時
それから一週間が過ぎて、少し油断していたのかもしれない。
荒々しくドアが開いたと思ったら、前日に熱さましの薬を買って行った老人だった。
確か孫が発熱していたはずだ。どうしたんだろう。
「お前の薬を飲ませたら、よけいに熱があがった!
いったい何を飲ませたんだ!」
え。そんなわけはない。
あの薬の成分はどの病気であっても熱があがることはない。
「おちついて、症状を聞かせてもらえますか?
感染症による熱じゃなかったとしても、あの薬で熱があがることはありえません。
熱がまだ高いのなら魔力症の疑いもありますが、もしかして貴族ですか?」
「あぁそうだ。貴族だったら何か違うというのか!」
「貴族の子どもにはよくある症状です。
多すぎる魔力を外に出せずに熱が出るのです。
魔力を発散する薬を出しましょう。」
「信用ならん。薬を持って一緒に来い!
治らなければ、警吏に突き出してやる!」
「…わかりました。一緒に行きましょう。」
こういうのはとりあえず逆らってはいけない。
一緒についていって処方しよう。
他に考えられる病気の薬もいくつか用意していけば対処できるだろう。
往診用に用意してある薬籠にいくつか薬をつめて、店の外にでる。
古びた馬車に乗るように言われ、その老人と一緒に往診に行くことになった。
馬車の中でも老人は怒り続けていて、何か言っても無理そうだった。
あきらめて大人しく馬車の中をすごし、目的地にたどり着くのを待つ。
着いた場所は古いが大きい屋敷だった。
だが、門番も使用人もいないように見える。
おかしいと思ったのに気が付いたのか、老人が吐き捨てるように言った。
「没落した貴族なんぞめずらしくないだろう。
孫はこっちだ。離れで寝ておる。
早くついてこい。」
早歩きの老人に遅れないようについていく。
屋敷の裏側まで行くと、小屋のような離れについた。
大きな屋敷は維持するのにたくさんのお金と人が必要になる。
老人と孫はこの小屋だけで生活しているのかもしれない。
ドアを開けると石畳みの床の部屋で、奥に小さな寝台があるのが見えた。
誰かが寝ているのがわかる。
中に入ろうとしたら後ろからドンと押されて、転びそうになりながら部屋の中に入った。
その瞬間、足元からすっと魔力が抜かれるのを感じた。
「え?」
歩く足が重い。床に張り付いたように感じる。
その間も、どんどん魔力が抜けて行っている。
「これは、どういうことですか?」
振り向いて老人に聞いたら、寝台の方から笑い声が聞こえた。
「馬鹿ね。いや、違うわね。
ちゃんと言うことを聞いてついてきたのだから、お利口さんね?」
寝台から起き上がったのは、この前店にきた領主の娘だった。
これは、罠なの?
「ここはね、魔女を捕まえるための部屋なの。
知ってる?この部屋に捕まえておいて、魔女の力を利用するのよ。
昔はどこの貴族の家にもこういう小屋があったらしいけど、知らないかしら。」
魔女が迫害されていた時代があったのは知っている。
だけど、それはずっと前の話で、こんな小屋があったなんて知らなかった。
「私を捕まえてどうするの?」
「どうもしないわ。ここにいてもらうだけよ。
もうすぐシュバルツ様が帰ってくるでしょう?
そしたら私と結婚してもらうから、あなたが騒いだら邪魔になると思って。
少しここでおとなしくしていてね。」
そう言うと、老人と一緒に部屋から出て行った。
おそらくこの床が魔力を吸っている。寝台の上にあがると、少し落ち着いた。
寝台の上にいる間は魔力を持って行かれることはなさそうだ。
窓はないし、床を歩けば魔力を吸われる。
エミリは薬の処方に魔力を使えるだけで、魔術が使えるわけではない。
どうにかして逃げるのも難しそうだった。
「どうしよう。バル…レン、ララ…。」
ここに閉じ込められて、十日ほど過ぎただろうか。
その間に与えられたのは水とパンだけ。
いつまで閉じ込めるつもりなのだろう。
そろそろバルは家に戻ったはずだけど、私を探してくれているんだろうか。
店にいたレンとララから事情を聞いたとしても、
あの老人からここにたどり着くことができるのだろうか。
ため息をついてお腹を撫でる。
こんな状態ではお腹の子に影響が出そうで怖い。
無事に育ってくれているだろうか…。
閉じ込められた日に老人が戻ってきたと思ったら、首に魔術具をつけられた。
私の魔力を使って、この小屋に結界を張るものらしい。
領主の娘と老人以外のものは小屋に入れなくなる結界。
これが作動している間はバルたちがここに来ることは難しいだろう。
何とか壊せないかと色々と試していたが、
首の周りに傷がついただけで魔術具は綺麗なままだった。
この寝台で寝ると、嫌な夢ばかり見る。
領主に気に入られて喜ぶバル。
領主の娘の手を取って結婚式に向かうバル。
領主の娘と二人で微笑んで見つめ合っているバル。
きっと、そういう夢を見るように術をかけられているのだろう。
こんな夢には負けないと思うのだけど、ずっと離れている不安は消えなかった。
もしかして、でもそんなわけはない。でも万が一…いやバルは大丈夫。
打ち消しても打ち消しても小さな不安は残り、精神を少しずつ傷つけていった。
バタンと音がして、領主の娘と老人が中に入ってきた。
領主の娘がここに来たのは、閉じ込められた日以来だ。
ここから出す気になったのかと少し期待したが、その目を見て違うなと思った。
あきらかに私を憎む目をしている。
「どうしてシュバルツ様はあんたなんかを選ぶのよ!
信じられない。お父様だってシュバルツ様を婿にしていいって言ったのに!
どうして!どうしてよ!
なんでずっとあんたのことを探してるのよ!
もう、あんたがいるから悪いのよ。早く消えて?」
一気にまくしたてるように叫ぶと、老人が短剣を出した。
え?短剣?消えてって、私を殺そうとしている?
逃げようとしたけど、無理だった。
ずっとここに閉じ込められ、魔力を取られている。
衰弱した身体では抵抗することもできずに刺された。
床に倒れた私を見下ろしながら、領主の娘は言った。
「お腹の中の子が万が一にも生き残らないように、しっかりと始末してよね。」
やめて…お腹の子は…刺さないで。
お願い…この子だけはやめて。やめて。
かすれた声を絞り出すようにしてお願いしたけれど、老人は容赦なくお腹を刺した。
何度も何度も、角度を変えて執拗に何度も刺された。
庇おうとした私の手もそのまま突き刺されて、身体中が血まみれになって、
ようやく老人の動きが止まった。
「これでいいわ。シュバルツ様を迎えに行きましょう?」
機嫌の良さそうな声が聞こえたけど、もうそっちに顔を向けることもできなかった。
守れなかった。お腹の子を、バルの子を守れなかった。ごめんなさい。
ごめんなさい、痛かったよね…。弱い母親で…ごめんなさい。
もう魔力が尽きる。死んだら、誰か気が付いてくれるかな。
ここに来た時に門番も使用人もいず、寂れた屋敷だったことを思いだした。
誰も来ないかも。このままずっとここにいるのかも。
寂しいな…バル…レン…ララ。最後に会いたかったな。
結界がふっと消える。あぁ、私の魔力が全部尽きたんだ。
もうすぐ死んじゃうんだ。
その時に扉が開いて、バルがレンとララを連れて飛び込んできたのが見えた。
「エミリ!」
「エミリ、エミリ、どうして…あぁ。」
バルが呼んでる。レンとララが頬を舐めてるのがわかる。
あぁ良かった。最後に会えた。
やっぱりバルは裏切ってなんてなかった。それが嬉しかった。
そして意識は消えた。