58.離れる時間
どこからかはわからないが、バルが魔術師だということがバレたらしい。
魔術師だからといって、特にギルトに届けなければいけない規定はないし、
この国に来てからは魔術師として働いたことも無い。
罰せられるわけではないので、特に困らないだろうと思っていたのだが、
バル指名でギルドに仕事の依頼が届くようになってしまっていた。
もちろん登録していないので、仕事を受けなければいけない理由は無い。
だけど、指名してきたのが貴族となると話は別だった。
断ってしまって機嫌をそこねてしまうと、薬屋が潰されてしまう可能性が高かった。
この薬屋は、私を拾ってくれた魔女の師匠が作った店らしい。
二人とも旅に出ているだけで、いつか戻ってくると言っていた。
私が勝手にお店を潰してしまうわけにはいかなかった。
「…一度だけ仕事を受けるのを条件に、今後は受けないと誓約させてくる。」
バルがどうしても嫌なら、お店を潰される前に閉めてしまって、どこかに行くことも考えた。
だけどバルは身重の私が旅に出ることに反対した。
産んで落ち着くまではこの街にいたほうがいいだろうと。
こうして最初で最後の依頼を受けに行ったバルが引き受けたのは、
この街の領主を王都まで護衛する任務だった。
水を出せて攻撃魔術も使える魔術師は貴重なんだそうだ。
だから以前も護衛任務が多かったと聞いて、そういうものなんだと思った。
王都へ馬車を何台も引き連れての移動になるため、行き帰りだけでも十日かかる。
王都で婿探しをするために王都での夜会に出席するそうなので、
戻ってくるまでに二週間はかかると言われた。
お腹の子は安定しているし、産まれるまではまだ二か月以上ある。
大人しく待っているからと約束してバルを見送った。
「帰ってきたら一切仕事を受けないってギルドに約束させたから。
レン、ララ、エミリとお腹の子を頼んだよ。
なるべく急いで帰ってくるから。」
バルは出かけるぎりぎりの時間まで抱きしめていてくれたけれど、
その腕から離れて見送るのはやっぱりさみしかった。
カランという音が鳴って店のドアが開いた。
お客さんだと思って店に行くと、ドレスを着た令嬢が一人こちらを睨んでいた。
「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」
お客じゃないかもしれないと思いつつ、通常の対応をする。
変にこちらから刺激しない方が良さそうだ。
「あなた名前は?」
「名前ですか?」
「そうよ。聞こえなかったの?」
「…エミリです。私に何か御用ですか?」
「あなたがシュバルツ様につきまとっている女であってるかしら、エミリ?」
あぁ、バルを狙っている令嬢だったのか。どうしよう。
バルがいない時に来られても困る。問題起こさないように帰ってもらえるかな。
「…つきまとっていると言いますか…。」
「シュバルツ様は私の婿に来ることが決まりました。
私は領主の娘でキャザリーゼです。」
領主様の娘?でも、今領主様は婿探しに王都に行ってるんじゃ?
「領主様のお嬢様でしたら、今領主様が婿探しに王都に行ってませんか?」
「ええ。行っているわ。
だから、お父様に言ってあるの。
旅の間でシュバルツ様のすごさを見てほしいって。
王都にいる婿希望の貴族なんかよりもずっと役に立つわ。
お父様が認めてくれたら、すぐに結婚する予定よ。
だから、シュバルツ様が帰ってくるまでに消えてくれない?」
今まで貴族から仕事依頼が来ていたのは、この令嬢のせいだったのか。
でも、今回のことが終わればもう仕事は受けないって約束になっているし、
シュバルツが私に嘘をつくわけがない。
「申し訳ありませんが、お腹の中の子のためにも消えるわけにはいきません。
ここでシュバルツが帰ってくるのを待ちます。」
そう言ってお腹を撫でて、もう子供が産まれるからあきらめてほしいと願う。
ここにはシュバルツの子がすくすくと育っているのだから。
「…なんてこと。」
令嬢は悔しそうに顔をゆがめると、ドアを思い切り閉めて出て行った。
これであきらめてくれる…わけはないか。
領主の娘というか、貴族のよくわからない理論の怖さをエミリはよく知っていた。
エミリは、本当の名前はエミリア。もとは領主の娘だった。
領主を継いだ両親を恨んだ叔父夫妻に命を狙われたあの日までは。
突然の襲撃だった。
両親は自分たちを盾に、私と妹を逃がした。
反対の方向に一人ずつ走って逃げろと言われ、その通りに走って逃げた。
遠くから両親や妹の悲鳴が聞こえたが、走り続けた。
走って走って、森をさまよっているうちに、泉のほとりに落とされた。
そこが精霊の森で、精霊のいたずらで泉のほとりに落とされたのだと、
教えてくれたのは薬草を摘みに来ていた黒髪の魔女だった。
後から魔女に調べてもらったら、新しい領主には叔父がなったらしい。
すぐさま税率があげられ、領民たちは嘆き悲しんだ。
その二年後、一人娘の従妹がわがままを重ね、それを叶えるためにまた税率をあげようとした結果、
領民たちに反乱を起こされ叔父夫妻も従妹も殺されたと聞いた。
あの令嬢は、従妹に似ている。
自分の欲しいものは必ず手に入れる。人のものなら奪ってでも手に入れる。
だって、欲しいのだから手に入れていいでしょう?何が悪いの?
まだ八歳だった従妹が罪悪感なしにそう言ったのを聞いて、
これが貴族の発想なのだとしたら、私には貴族は向いてないと思ったのを覚えている。
さっきの領主の娘も、きっとまた来るだろう。
バルが欲しいのなら奪ってでも手に入れようとするだろうから。