56.心に潜る
階段を降りていくと、レベッカはシーナが入れたお茶を飲んでいた。
山盛りになっている焼き菓子をもしゃもしゃと食べている。
昨日焼いたばかりの焼き菓子が、もう半分くらいの量になっていた。
「おはよう…何かあった?こんな朝早くに。」
「うん、大変なことになっているようだから、
そろそろ腹をくくった方がいいって言いに。」
「腹をくくる?」
「ああ、リリーじゃないよ。残り三人の方だね。全員座って話しを聞くんだ。」
私は首をかしげているのに、三人は何も言わずにおとなしく座った。
腹をくくるというのはどういうことなんだろう。
「さて、リリー。ここ何度も悪夢を見続けているね?」
「えっ。どうして知ってるの?」
「それは、悪夢だと思うかい?」
あの閉じ込められた部屋、何度も何度も刺された感触。
悪夢以外には考えられない。
「ええ…ひどい悪夢だわ。知らない場所に閉じ込められて、老人に刺されるの。
お腹を何度も何度も。その後は息絶えるまで放置されていたわ。」
悪夢の内容を話すと、シーナとシオンが青ざめていくのが見えた。
レオはさっき話したあったからか、そこまでの反応は見えない。
「レオ、リリーの魔女の魂が起き始めている。
何かの条件がそろってしまったのだろう。何か心当たりは無いか?」
「おそらく…年齢だと思う。二十歳になってしまったからだ。」
レオが私の悪夢の理由を知っている?
魔女の魂が起きたって、仮の魔女の魂だったものが起きるの?
起きるって…何か表現がおかしい気がするけど…。
「年齢か。それもあるだろうが…。
こうなってしまったら、一度きちんと思い出させた方が良い。
下手に少しずつ思い出させると曲がった解釈をしてしまいかねない。
悪夢だと思って気持ちが病んでしまったら、そこが弱みになってしまう。」
「きちんと思い出させる方法があるんですか?」
「あるよ。ここまで封印が解けかけてたら簡単だ。
全部外してしまえばいい。心を守る術をかけた上でね。
そうしてきちんと向き合えれば、リリー自身が封印できるようになるはずだ。」
魔女レベッカとレオの会話にもうついていけていない。
自分の話をしているようなのに、何一つわからない。
「リリー。これから俺が言うことを信じてくれる?」
隣に座ってるレオが私の両手を握りしめるようにする。
いつでも信じているけど、どうしてだろう。レオの手が少し震えている。
「レオ、信じるよ?話してくれる?」
「ああ。俺とリリーは、いや俺たち四人は前世で出会ったんだ。」
「これでいいの?」
二階の部屋に行って、レオと手をつないで寝台の上で横になる。
近くのソファにはシーナとシオン。
魔女レベッカが言うには、私の前世を思い出させる術をかけると、
私の心への負担が大きすぎるらしい。
その負担を三人が少しずつ軽くするために一緒に術をかけることになった。
三人が前世でつながっているから出来ることらしい。
主に術をかけるのは私なので、見るのは私から見える前世だ。
他の三人もそれを見ることになるので、少し恥ずかしい気もするが…。
あの悪夢が前世であったことだとすれば一人で耐えられるとは思えなかった。
「それでは、少しだけ夢の世界に行っておいで。
大丈夫。身体はここにあるんだ。
ちゃんと帰ってこれるから安心して見ておいで。」
レベッカはそう言うと、静かに術をかけ始めた。
また光の渦に巻き込まれて行くのかと思ったら、今度は足元から沈んでいく感じがした。
どこまでも深い闇に吸い込まれて行くような感覚にぞわぞわする。
レオとつないだ手がぎゅっと強く握られて、あぁと思う。
私の感情が強く動けば、他の三人にも伝わるんだった。
大丈夫。一人で落ちて行っているんじゃない。
どこまでも見えない闇の中、視線だけはまっすぐに前を向いた。
「人が落ちてる?本当に?人は初めてだわ…。」
いつものように薬草を摘みに来た帰り、精霊の泉のほとりに真っ黒いローブを着た人が落ちていた。
いや、人なんだし倒れているとでも言えばいいのだろうか。
だけど、ここに来れる人ってめずらしいのよね。
やっぱり、精霊のいたずらでどこからか飛ばされて落ちてきた?
側に近寄って見ると、若い男性のようだ。
まだ息があるのを確認して、回復薬を口に含ませる。
少しずつ、こぼさないように、むせないように。
飲ませ終わって待っていると回復したのか男性が目を覚ました。
黒髪に緑色の目。少し浅黒い肌は他国の人なのだろうか。
「誰…?」
第一声がそれ?疑問はそこなの?
敵意はなさそうだけど、警戒しているのかな…。
「えっと、それは私が聞きたいんだけど。
こんなところで倒れてたのはどうして?」
「…倒れてた?あぁ!…もしかして助けてくれた?」
「そうね、多分?」
男性は起き上がると、ペコリと頭を下げてきた。
「すまない。ここはどこなのかわからないが、俺はテイル国から逃げてきた。
逃げているうちに迷ってしまって、気が付いたらここにいて。
水を飲んだところまでは覚えてるんだが…。」
「逃げて来たって…。確かにテイル国はこの森のずっと奥に位置してるけど。
ここは精霊の森よ?よく通り抜けて来れたね?」
「精霊の森だったのか。よく無事でいられたな…。」
精霊の森と聞いて、自分でもよく無事でいられたと思ったのだろう。
この森は邪悪な考えを持つ者はまず入れないし、
普通の者でも精霊に気に入ってもらわなければ迷うことになる。
気まぐれな精霊に気にいられるのはめずらしいことで、
それを期待して森に入る馬鹿はいない。
「どうして逃げてきたのか聞いてもいい?」
「ああ。領主様の娘に気に入られて、何度も断っていたんだけど…。
護衛任務だって言われて行った先で結婚式をあげられそうになった。
鎖につながれかかったのを抵抗して逃げてきた…あれは危なかった。」
そう言ってため息をつく姿は確かに綺麗で、もてるのも仕方ないと思ってしまった。
切れ長の緑の目にさらりと黒髪がかかって落ちる。無意識なんだろうけど…。
黒のローブ姿から考えてみても魔術師あたりで、この容姿だったら、
貴族は養子にするか婿にするかして取り込もうと思うだろう。
「なるほどね…この先どうやって逃げるの?」
「あわてて逃げてきたから、何も持ってないんだ。
悪いけど、街まで案内してもらえないだろうか。
ギルドに行けば仕事はあると思う。
後からお礼するから。」
「お礼はいいけど、行き先が無いならうちに来る?」
「え?いいのか?」
「うん。私も、同じようにここで拾われたの。
だから人ごとに思えなくて。
うちは薬屋をやってるの。店を手伝ってもらえない?」
「じゃあ、お世話になるよ。よろしくな。
あぁ、俺の名前はシュバルツ。バルって呼んでくれ。」
「私はエミリよ。よろしくね、バル。」
こうして薬草を摘みに来たはずだったのに、滅多にない出会いをしたこの日。
薬屋に新しい住民バルを迎えることになった。