40.ただ一人の王子(リーンハルト陛下)
レオルドが廊下へ出て行った後、
泣きながら部屋の物をあちこちに投げているジョセに、ため息をついてしまう。
こんな結果を求めていたわけじゃなかったんだがな。
第一王子として生まれたが育ててくれたのは乳母で、周りにいるのは文官と女官だった。
女王である母は忙しく、ほとんど顔を見ることも無かった。
父が誰なのか、しばらくは知ることも無かった。
父、と呼んでいいのかは未だにわからない。
母の王配だったシュベルト侯爵のことは知っていた。
だが、父として俺に関わってきたことは一度も無い。
一つ年下の弟とはたまに会っていた。王族教育が一緒だったからだ。
歳の差はあったが、弟レオルドのほうがはるかに優秀で、
むしろ俺の進度に合わせてもらっていたような気がする。
弟は王子だが王家のものではない。
それもよくわからなかった。
5歳の時、中庭でレオルドがシュベルト侯爵に叱られていた。
遠慮なしに頭を拳骨で殴られているのを見て、驚いた。
第二王子であるレオルドを殴る臣下がいていいのかと。
そばにいた女官に聞くと、気まずそうにレオルド王子の父ですからと答えた。
何を言われたのかわからなかった。
レオルドの父ならば俺の父でもあるのかと聞けば、そうですと言う。
だけど俺に父がいるなんて話は聞いたことがなかった。
めったに会えない母に会えるように女官長に頼んだら、めずらしくすぐに会うことができた。
今思えばシュベルト侯爵のことを聞くとわかっていたからだろう。
「リーンハルト、あなたに父はいません。」
母はそう言った。
俺に父はいない。でも、レオルドには父がいる。なぜだ?
「リーンハルトの母は私ですが、レオルドの母は私ではありません。
レオルドは成人するまで王子の肩書はありますが、王子ではありません。
リーンハルトだけが国王になる権利を持つのです。
レオルドと比べてはいけません。
あの子が、あの子たちが持つ幸せを、少しだけ分けてもらっているのです。
だから、同じように物事を考えてはいけないのです。
あなたに父はいません。母だけで我慢してください。」
悲しそうな母に、それ以上聞くことは出来なかった。
俺に父はいない。シュベルト侯爵は俺の父ではない。そう理解した。
レオルドはおとなしい弟だった。
黙って本を読んでいるか、部屋にこもっているような子だった。
シュベルト侯爵が消えるまでは。
俺が八歳の時だった。シュベルト侯爵の妻が亡くなったと聞いた。
シュベルト侯爵の妻というのはレオルドの母のことだった。
一度も王宮に来たことが無いのか見たことはなかった。
シュベルト侯爵は妻の葬儀の後、妻の遺体と一緒に消えた。
何が起こっていたのか、俺は女官たちの噂から知ることになった。
幼馴染同士の婚約を壊し無理やり王配にしたこと、
そのせいでシュベルト侯爵の妻が死を選んでしまったこと。
女王にはどうしようもなかったことだと、女官たちは同情していた。
母が俺たちは幸せを分けてもらっていると言った意味がよくわかった。
レオルドの、レオルドの家族の幸せを壊したのは母と俺の存在だろう。
母を亡くし父に置いて行かれたレオルドは、その日から別人のように性格が変わってしまった。
王宮にいるはずのレオルドが、すぐに消えてしまう。
侍従や文官が探しても見つからない。
夕食の時間には戻ってくるので、毎日のように宰相が説教するがまるで聞いていない。
さすがに心配になってレオルドに聞いてみた。
毎日どこに行って何をしているんだと。
レオルドは魔術師になって、魔女の森に修行しに行っていると答えた。
まだ七歳のレオルドが?魔術師になった?
そんなことはあり得ないと思ったが、俺に言ったことで安心したのか、
レオルドは次の日から侍従の目の前で転移して出かけていくようになった。
魔術師になってどうするのかと思えば、「探しているんだ」と。
父と母の行方を探すために魔術師になったのか。
王宮の者たちはもう反対できなかった。
自分たちがレオルドの親を苦しめ、幼き子の親を無くさせたのだ。
みな遠巻きに見守り、口を出すことをしなくなった。
レオルドが王宮にいるのは食事の時間と最低限の王族教育の時間だけになった。
レオルドが十歳の時だった。
王宮に帰って来たレオルドとたまたま会うことがあった。
見たことも無い嬉しそうな顔のレオルドに、思わず何があったのか聞いた。
「やっと見つけたんだ。」見つけた?シュベルト侯爵を?
聞いていいのかわからずに、その日はその会話だけで終わった。
それからレオルドは目に見えて変わっていった。
めずらしく女王に面会を求めたと聞いて驚いたが、話の内容にはもっと驚かされた。
レオルドが面会した直後、母に呼び出された。めずらしいことだった。
大事な話だからきちんと話しておきたい、そう言われた。
母の王配にシュベルト侯爵が選ばれたのは、
母がシュベルト侯爵のことを好きだったからだと打ち明けられた。
隠していたつもりでも、周りには気が付かれていたらしい。
女王として生きていくのに一つだけでも母の願いをと、議会が気を利かせたつもりらしい。
だけど、母はそんなことは望んでいなかった。
シュベルト侯爵夫妻のことは昔から知っていて、
相思相愛の二人の邪魔をするつもりなんて無かった。
それでもシュベルト侯爵が優秀なのも事実で、
婚約者がいない令息の中から侯爵以上の候補を探すのは無理だった。
母はシュベルト侯爵と約束をした。三人子を生んだら王配をやめていいと。
三人というのは、議会を納得させるのに必要な人数だった。
幸いすぐに俺が生まれたが、その後は流産することが続いた。
シュベルト侯爵が消えた後は、新しい王配を選ぶことは難しかった。
何よりも、俺が生まれてから八年、流産し続けた身体はもう限界だった。
一人しか生まなかったことで、俺の子どもは多く求められることになる。
それは覚悟しておいてほしい、そう言った母の目は女王の目だった。
レオルドの面会理由は、好きな人と結婚させてほしい、だったそうだ。
初めての面会で、初めての願いがそれだった。
おそらく母はシュベルト侯爵夫妻に責められている気分だったと思う。
好きな人を唯一にしたい、他はいらない、無理なら他国に逃げる、
そうまで言われて罪悪感を持たなかったらおかしいだろう。
母はレオルドに約束した。必ず好きな人と結婚させると。
もし私が早くに死んだとしたら、リーンハルトお願い、それをかなえてほしい。
母からの最初で最後の願いだった。
この話をした時点で、母は長く生きられないとわかっていたのかもしれない。
縋りつくような母を、哀れに思ってしまった。
そして俺自身、好きな子を選ぶことはできないことに気が付いてしまった。