お買い上げ
話が終わったので、解散と言うことに成った。ミリィをキティが抱き寄せたと言うことは大人の時間でも始まるのだろう。
だったらさっさと立ち去るべきだ。師匠が腰を振ってる姿を見て楽しむ文化はケイジには無い。だから立ち上がったのだが――
「……ボーイ、さっきから何やってんだ?」
半分『はよどっか行け』。だがもう半分は確かな好奇心からキティの声。それが、ズボンを摘まんで引っ張るケイジに掛けられる。
「……さっきも言ったがよ。テメェはマスターキティって存在を甘く見過ぎだぜ、キティ?」
「……どういうことだぃ?」
「強くてタフでカッコイイ。そんなマスターキティに逆らうのは俺みてぇな高貴な奴にとっちゃ結構勇気がいることなんだぜ?」
「ヨ! なんだ行き成り褒めだして気持ち悪いな!」
それはそうとお小遣いだ! と上機嫌になったキティが銀貨を弾いた。ツッコミどころさんはスルーされてしまったらしい。残念だ。そんなことを考えながら、銀貨をポケットに捻じ込む。ありがたく頂くことにした。
「まぁ、そんなわけでよ。テメェに生意気な口を利いた結果――ケツ汗が凄まじい」
トランクスがぐっしょりして漏らしたみたいになっている。肌に貼り付いて気持ち悪いので、ケイジはズボン越しにトランクスを摘まんで引っ張って剥がしているのだ。
「ボーイ。高貴な奴はケツとは言わねぇぜ?」
「んじゃ尻だ。尻汗が凄まじぃ」
ケイジの答えにキティは肩を竦めて、ふぅん、と鼻息を吹き出した。
「……」
多分、馬鹿にされた。ケイジでもそれ位は分かる。
蛮賊ギルドから出て、空を眺めてみれば月は随分と高い位置に有った。「……」動くことも考慮に入れていたので、腹の中には入れてこなかったので、空腹だ。
緊張から解かれた瞬間に自己主張を始める腹の虫を手で撫でつけながら、ケイジは周囲を見渡した。
良い子の街、ブラック・バック・ストリートはこれからが本番だ。出店も出ているし、店の明かりも眩しく光っている。
だが残念。
まともに食事が出来る店は殆どありませんでしたとさ。
出店で扱って居るのはクスリか、クスリを経口で美味しく頂く為のカクテルの店だ。酒場もあるが、スリに気を付けなければいけないし、あそこはウェイターを連れ出すことを目的とした酒場だ。何の気なしに視線を向ければ半裸のエルフが投げキスをしてきたので軽く手を振って散らしておいた。
とてもでは無いが食事には向かない。
仕方がないので、ケイジは中央区を目指すことにした。
開拓者に行儀の良さは求められていないので、普通に酒場はこの時間でも営業している。それでも中央区はある程度は開拓者に清廉さを求めているので、落ち着いて食事が出来る店が多いのだ。
――アリアーヌの酒場で良いか。
情報料とウェイトレスの観賞代のせいで若干割高ではあるが、食事は美味いし、明瞭会計だ。多少は酒を入れても問題ないだろう。
「必殺の斜め四十五度っ!」
ケイジがそんなことを考えて歩き出した所で、奇声と共に衝撃が来た。「……」睨む様に振り返れば、満面の笑みを浮かべたリコが居た。多分ショートパンツをはいているのだろうが、ゆったりとした上着を合わせた結果、穿いてない様にしか見えない。惜しげもなく晒された太股に目が行った。
「……何の用ですかね、お嬢様?」
「ケイジくんが壊れて敬語を話す様になったと聞きましたので、治そうとした?」
疑問形の時点でもうどうにもならない様な気がする。
「ンなんで治るかよ……」
「でも壊れて生意気な口を利いてきた弟はコレを強くやったら治ったよ?」
「……」
それは治ったのでは無い。屈しただけだ。
そんな言葉が出そうになったが、まぁ、どうでも良いことだったので、呑み込む。
「こんな時間にこんな場所で何やってんだよ、テメェ?」
「何だと思う?」
「娼婦?」
「ケイジくん買ってくれる?」
にへら、と楽しそうに笑いながらリコ。「……」それを受けてケイジは苦笑いをした。冗談でも娼婦と言うべきでは無かった。道を歩く何人かが敏感にその言葉を拾って熱の籠った目でリコの肢体を舐める様に見ている。
アンナはその視線に気が付くことが出来る。
彼女は女の子だ。
だが、性別は同じでも、リコはそうではない。知識はあっても、自分がそう見られるとは思わない。だから無邪気に振る舞う。
ケイジ達と擦れ違う様にしてダークエルフの一団が近づいて来た。ニヤニヤ笑って居るのは先程の言葉が聞こえていたからだろう。
「うぉ? お買い上げ?」
仕方がないので、はしゃぐリコの腰を抱き寄せた。
甘い匂い。ミリィを思い出す様で、それとは違うリコの匂いが近くなった。どうやらその対応がお気に召したのか、リコは猫の様にケイジの胸に頬を擦り付けて来た。
銀色の髪がさらりと零れる。
「ねぇ、ケイジくん? リコ、疲れちゃった。そこで休憩、しない?」
しな垂れ掛かる様にしながらリコが言えば――
「しねぇ」
と、ケイジ。
何故ならそこの部屋には監視カメラが有って、映像データの販売が行われているからだ。
「えー……」
わたし、不満です、とリコが鳴いた。
「……ホテルに連れ込むのに失敗した女子の出す声じゃねぇな、おい」
「だって、お買い上げでしょ?」
「アリアーヌの酒場でエール位なら奢ってやるからそれで我慢しろや」
「……それだとおっぱいくらいしか触らせたげないよ?」
「エールで触れんのかよ……」
「ケイジくんだけの特別価格デス。あ、一揉みね?」
「……」
ちょっとミリィに刺激されていたので、割と真剣にケイジは悩んだ。
二人だったので、パーティ用のテーブルには案内されずに、カウンター席に通された。
玉の無くなったヴァッヘンで一番男らしい乙女、アリアーヌは何やら用事でも有るのか、店内には居なかった。
あの食欲がなくなる筋骨隆々のモヒカンが居ないことを喜ぶべきか、それとも彼女の造る美味い料理が食べれないことを嘆くべきか……まぁ、どうでも良い。それがケイジの結論。アルコールを入れる気分でも無かったので、コーラと適当な食事を頼む。瓶が叩きつける様に置かれた。何時もの金髪ウェイトレスか? と思って見たら、赤い髪のお嬢さん、つまりはアンナが居た。
「……バイト?」
「そんなとこよ。そっちは?」
二人で何してんの? と、ジト目でアンナ。
「ケイジくんにエール一杯一揉みで買われた」
「ふぅん。……二揉み、良いわよ?」
「……ヘイ。ヘイヘイヘイ、アンナさんや? 真に受けねぇで貰えっかな? っーか、デケェ声で何言ってん……ほら見ろや、このエールの山! 一瞬で六杯送られて来たぞ?」
あちらのお客様からでーすっ! と笑顔のウェイトレスがジョッキをガン、と置いて来た。ケイジは“あちら”に居る人間種のおっさん達を見ながらこれ見よがしにジョッキを煽った。
すると五人のおっさんがブーイングをして、一人のおっさんが笑顔で近づいて来た。
「……ンだよ? 何か文句でもあるのか、三月ウサギ? 生憎とコッチの二人は発情期じゃねぇんでね。わりぃがソロで済ませてくれ」
ずい、とアンナとリコを庇う様に椅子から立ち、ケイジがおっさんに向かう。挑発的な口調。それでも急に摂取したアルコールに軽くふらつきながら、嗤う。
「いや、そっちの二人はどうでも良いんだ」
だが、何故かおっさんの声は慈愛に満ちていた。小奇麗なちょび髭のおっさんも、酒が入って居るのか、どこか、とろぉんとした目でケイジを見てくる。
ぞわり、とケイジの背筋が冷たくなった。
「君が飲んだと言うことは……君の胸を揉んで良いと言うことだろう?」
――分かっているよ、僕の可愛いお嬢さん。
耳元で囁かれるダンディな甘い声。
「……」
正直、ケイジは気を失いそうになった。なったが、気を失うと女の子の大切なモノを男の子なのに無くしてしまいそうだったので、頑張って耐えた。
「……お断りだよ。ホモ野郎」
「……飲んでおいてそれは無いだろう?」
眉を寄せるな。悲しそうにするな。と、言うかこっちに来るんじゃねぇ。
ハグする様に近寄ってくるちょび髭に、ケイジもファイティングポーズを取る。
止める様なお行儀の良い連中はおらずに、代わりにノリの良い連中が口笛で囃し立て、テーブルがずらされ、舞台が用意される。
「……」
「……」
半円を、描く様にケイジとちょび髭が歩いた。
装備が無いから職業の予測が付かない。肉の付き方は騎士の様にも見えるが、良く分からない。足運びは……近接戦闘に成れている様には見えない。狩人か暗黒騎士。その辺か?
「……」
適当に相手の職業に当たりを付け、ケイジが鋭く息を吐いた。足が床を蹴る。合わせる様にちょび髭が動いた。巧い。動きの造り方が近接戦闘のソレだ。さっきのはブラフって訳か?
拳に拳が合わされる。一度後退、それで釣り出して、踏み込みへ切り替え、脛を狙って踵を叩きつけるがすかされ、そのまま蹴り足が払われた。
「……蛮賊?」
「その通りだ、お嬢さん。いや、ケイジ。キミのことは良く知っているよ?」
うふふと笑って、ウィンクばちこーん。受けて、ケイジは露骨に嫌な顔をした。
そうして、再度、握った拳を叩き込もうと――
「はいはーい! 元気が良いのは分かったからそこまで、そーこーまーでーっ! これ以上アタシの店でお痛は、だぁーめっ! はい、換気―っ! 皆、空気代えてーっ!」
店の主の野太い声で掻き消された。