『仕方がない』と彼女は言った
――行っちゃうの?
隣のベッドからそんな声が聞こえた。
あたしは振り返る。
開けっ放しの窓から街中に焚かれた香の匂いと一緒に風が吹き込んでくる。日焼けして変色したレースのカーテンが靡き、大きな月が見えた。
寝る時は服を着ない。そんな彼女の裸体には真っ白なシーツだけが掛かっていた。
銀色の髪。褐色の肌。
薄い月光の中で見る彼女の後姿は色っぽく、神秘的だ。
あたしはそんな彼女の小さな問い掛けを聞こえなかったことにして部屋を出た。
「……」
夜中、モーテルの一室で眠っていたケイジは扉の前に人が立つ気配で目が覚めた。外で見張りをしているレサトが居るので余程のことは無いだろうと思いながらも、手は枕の下に隠したゴブルガンを掴み、セーフティを解除していた。十秒待つ。それで気配は無くなった。
まぁ、だいたい誰かは想像が付く。それが彼女の選択なら仕方がない。
欠伸をしながらセーフティを掛け直し、ゴブルガンを枕の下へ。大量に取っていた水分の関係上、トイレに行きたくなったので、ケイジは一旦起きることにした。
寝る前には無人だった隣のベッドが埋まっている。何時の間に戻って来たのか、ロイが寝ていた。デカい角が邪魔なのだろう。うつ伏せだ。微妙に寝苦しそうだが、まぁ、そこのところは慣れているのだろう。
――起こさねぇようにしてやるか。
そんな気遣いで音を消して動くケイジ。だが、ロイの手が動き、眼を瞑ったままメモを掲げて見せてきた。
「……起きてたのかよ?」
「ひひ、まぁ、相手さんは本職じゃねぇですからねぇ」
嫌でも起きちまいやすよ。
そんな愚痴に軽い溜息を返した後、メモを受け取る。それから何となくロイ越しに奥のベッドを見てみると『起きてるよ』とでも言いたげに横を向いて寝ているガララが尻尾を振っていた。
盗賊の真似事をして下さったお方は中々の安眠妨害をしてくれたと言うわけだ。
「んで、これは?」
「何、アンナさんに渡したメモと同じモンです。ちょぃと頼まれやしてね。奴〈やっこ〉さんの今晩の行動ですよ」
「……何でこれを俺に渡す」
「気に成るでしょう?」
目を開けて、ひひ、と引き攣った様な笑い。それに「はっ、そーでもねぇよ?」と軽く返してメモを持ったまま部屋の外に出る。トランクスにTシャツと言うラフな格好だが、時間が時間だ。特に誰かに合うことも無いだろう。扉に向かう道中で水筒も回収し、「便所行ってくるわ」とだけ残して外に出た。
モーテルの造りは単純だ。ケイジを出迎えたのは二階分の高さから見えるパッチェの夜景と錆びた手摺りだった。
「……」
夜景に背を向け、手摺りに体重を掛けて水筒を傾ける。
唇を軽く湿らせながら、周りを見渡す。「……」予想通りと言ってしまえばそれまでだが、居るはずの奴が居ない。付いて行ったのだろう。それで良いとケイジは思う。
水分を取りながら、ロイから渡されたメモを見る。どうやらベイブはここよりもいい宿で大人しく寝ているらしい。
分かってはいた。分かってはいたが――
「クソだな」
吐き捨てる様な呟き。
「何がー?」
それが何故か拾われた。声の出所はケイジ達の隣の部屋から。見ればリコが扉の影からひょっこりと顔を出していた。
「起こしちまったか?」
「ううん。多分、ケイジくんよりもわたしの方が先に起きてたよ」
リコがそう言ってケイジの下へ――
「……ヘェィ、レディ? 何か着てきちゃくれませんかねぇ?」
ケイジの目が、ジトっとしたものになる。当然だ。リコは素肌に白いシーツだけを羽織っていた。防御力と言う意味では物理的にも、視覚的にも低すぎる。一応、両手でシーツを掴んで隠してはいるが、歩く度に見えてはいけない部分が見えてしまいそうだ。
「まぁ、誰も居ないし?」
「俺が居るんですが?」
「まぁ、ケイジくんだし?」
別にいっかなー、って思うのデス。
そう言って何やら楽しそうに笑っている。「……」まぁ、本人が良いのなら、別にいい。精々目の保養でもさせて貰おう。ケイジはそう判断した。
「それで、ケイジくん何見てるの?」
「胸」
シーツが月光で透けるので、色々と大変だ。見えそうな気がするが、多分見えない。でも希望は捨てられない。だから視線が吸い寄せられる。
「そうじゃなくて!」
もうっ! と頬を膨らませるリコ。そんなリコにメモを手渡してやる。
「何コレ? ベイブくんの今晩の行動? 何でこんなの見て――え、寝てるの?」
「あぁ、寝てんだよ」
それも俺等よりもいい宿でな、と詰まら無さそうにケイジ。
「え? でも、えー……何か、おかしくない? ミコトちゃん達、助けなくて良いの?」
「ポーズは取ってただろ? 色んな奴に頭下げて、俺等に土下座して、『僕は一生懸命助けようとしましたヨー』ってな」
「それで良いの?」
「……どうかな? どうだろうな? 金にもなんねぇ、ただ危険だけがある。そもそも未だ無事かも分かんねぇ。そう言う状況だから別にコレで良い様な気もするが――」
「気分が悪い?」
「……ヤァ。それだ、リコ。あんまり良い気分じゃねぇ」
「そうだよね。ケイジくん、結構人情派だもんねー」
うんうん、分かる分かる、とリコ。そんな彼女が――
「それで? そんな人情派のケイジくんは、アンナちゃんのこと、どうするの?」
不意に真剣な顔で問いかける。
「……訊きにきぃことをはっきり訊くんだな、テメェはよ」
「その為に出てきたようなものですし」
にこにこと笑顔。それでも目は笑って居ないリコ。そんな彼女の視線から逃れる様に、ケイジは手摺りに大きく体重を掛けて仰け反った。ひっくり返ったパッチェの街が見えた。
「金にもならねぇし、危険だけがある。そもそも、アイツの勝手な行動だぜ? 放置……が正しい様な気がしてる」
「でも気分が悪い?」
「……ヘェィ、俺はこれでも一応はパーティリーダーだぜ? テメェらの、他のパーティメンバーの安全を考える義務ってもんがあるんだよ。気分で判断はできねぇよ」
「レサトくんは? アンナちゃんについて行っちゃったみたいだよ?」
「頼んどいた見張りさぼってな。つーわけで、ソレもアイツの勝手な行動つーわけだ」
「ふーん?」
たっ、と打ちっぱなしのコンクリートを蹴る様にして、リコがケイジの胸に飛び込み、Tシャツの襟元を掴んで引き寄せる。頭が下がる。リコの顔が顔の横に来る。
「ケイジくん、イイコトを教えたげマス」
はぁ、と耳元に掛かる甘い息。近くで感じる『女』の柔らかさ。
「研究所での説明聞いてなかったみたいだね。レサトくんにはね、命令者の順位付けがされてるの。その順番はね、三番目が同率でわたしとガララくん。二番目が神官で攻撃能力の無いアンナちゃん。それで一番はね、君よ。パーティリーダーのケイジくん?」
「……」
「だからレサトくんがケイジくんの命令した見張りをサボるなんてことは無いよ。レサトくんをアンナちゃんに付ける程に心配してるなら……ね? 素直になった方が良いとリコちゃんは思うのですが?」
ケイジくんはどうですかー? 言いながら、ケイジのほっぺを、ぐにぃ、と押すリコ。
「そいうことで、一晩考えてね。取り敢えず今はお休み」
言うだけ言って。訊くだけ訊いて。
リコはケイジに何も言わせずに部屋に戻って行った。
「……」
がりがりと頭を掻くケイジ。水筒に口を付けるが、中身は空だった。「……寝よ」。自分に言い聞かせるように言って、ケイジも部屋に戻る。そうしてベッドに戻る途中――
「お金にも成らなかったし、危なかったけど、ガララはケイジを助けに行ったよ。だから好きにしたら良いと思う。ガララはちゃんと付き合うよ」
「同じく。アタシもお付き合いさせて頂きやすよ」
そんなやけにはっきりした寝言が二つ聞こえて来た。
なんとなく――。
あたしが振り返ると、レサトがはさみとしっぽの銃を構えて同じ様に振り返った。
「ごめん、レサト。何でもないわ」
警戒してくれたのね、ありがと。
そう言って撫でてあげると、気にするなと言う様にはさみが振られた。
パッチェから二日半。レサトが乗せて来てくれたけど、流石に装甲車程の速度は出なくて、少し時間が掛かってしまった。
だけど、あたしは目的地に付いた。
罠に使っている死体は使い回しなのだろう。ストライダーや大ネズミ、その他の動物に食べられない様に持ち帰ってくれていたお陰で跡を追うことができた。
「……うん、大丈夫」
まだ大丈夫。引き摺って運んでるってことは、重い。重いってことは、きっと女の子の死体じゃない。だから、きっと、まだ――
祈る様な気持ちで見る先にあるのは、旧時代の遺跡――と言うよりは建造物。ゴブリンアパートよりも大きいけど、ずっと、もっと公共なモノ。板張りの広い床がここからでも見える。バスケットのゴールも。あたしの村にも、魔女の村にもあった建物。体育館。ソレにしては規模が小さい、かな? うん。小さい。でも、間違いなく体育館だ。足元の地面に土以外のモノがある。拾ってみるとソレはアスファルトの破片だった。それじゃあたしが今いるのは駐車場かな? でも、きっともうここに車は止められない。ここに来るまでの足場が全て沼になっているから、普通の車では来られない。レサトも沈みそうだったもんね?
アスファルトを突き破って伸びる背の高い草に隠れる。見つかりそうで怖い。それでも中の様子が知りたい。
「……」
あぁ、でも無理だ。見える範囲にある情報だけでは何も判断できない。困ったな。不意に服の端が引っ張られる。
「なぁに、レサト」
振り返ると、はさみを掲げて、おらー、とやっているレサトが居た。もしかして――
「中に、入るっていってるの?」
挙げられていたはさみが勢いよく振り下ろされた。
そうよね。アンタ、良くガララと一緒に潜入任務やってたもんね。
「それじゃお願い。……あ、無理はしないでね?」
しっぽが、くるん、と丸を描く。
たぶん、オッケーって言う意味。
「?」
だけどレサトは体育館に行かない。何かを言いたそうにあたしを見つめてくる。なぁに? そんなあたしの疑問に答える様に、大きな、大きな――あたしが隠れられそうな大きな木を指して、次にあたしを指す。うん? もしかして――
「隠れてろ?」
しっぽがくるん。
やさしいこね。あたしはそんな彼が仕事がしやすいようにと素直にその大木の影に隠れる。それを見届け、こちらに向かって鋏を振って『行ってきます』軽量型の自動戦車は音もなく壁を伝い、屋根の穴から建物の中へと入って行った。
一時間程でレサトが帰って来た。リーダー格のホブゴブリンは居なくて、ゴブリンは二十匹程がいるらしい。そして、肝心のミコト達は舞台の下、地下スペースに五人は囚われている。
「直ぐに助けるのは無理なの?」
しっぽとはさみが、しゅん、と力なく下がる。
よくよく聞いてみると、怪我人が居るのと、一人ずつ担いで逃がすにしてもどこかでバレてしまう可能性が高いらしい。そうなると――
「ごめんね、レサト。あたしを背負って中に連れて行ってくれる」
あたしが行くしかない。行って、治して、それから一気に全員で抜け出すしかない。
あたしの問い掛けに、レサトは困ったように周囲を見渡した後、諦める様にしっぽを回してくれた。
ほんとに、いいこ。巻き込んでしまってごめんなさい。そっ、と頭を撫でる。
夜に忍び込むことにして、あたしは少し離れた所に隠れて時間を潰した。
間に合うかが不安だった。不安だったので祈って過ごした。大丈夫。きっと大丈夫。だって今日は満月だ。あたしの信仰するディア様は月の女神だ。満月ならきっと見て下さる。きっと。
だから――と言うわけでは無いけれど、月が真上に昇るのを待ってあたしは行動を開始した。
音も無く背中にあたしを背負ったレサトが昼間と同じルートで地下を目指す。屋根から、舞台の天井裏へ、舞台側面を通って、地下へ。
剥き出しのコンクリートに悲鳴が響いていた。助けて、という言葉が混じっていた。
「――」
唇を噛んで耐える。
あぁ、そう。そうよね。ベイブが逃げてくるのに二日。そこから更に三日。その間、無事でいてくれるはず何て無いわよね。杖を背負ったまま、買ったばかりのGLにケイジから貰った煙幕を装填する。
地下への階段を降り、入り口で壁を背に手鏡を取り出す。
反射しないように。
気を付けて。
中の様子を窺う。『そういうこと』をされていた。それはショックだったけど、しっかりとやることをやる。
数を数えた。ゴブリンの数を。確認して、直ぐに鏡を隠す。三匹。何時もならガララが不意打ちで仕留めると同時にケイジが突撃、固まった所をロイが一匹処理して、人質のせいでSGが使えないケイジがその間に残る一匹を殴り殺してお終い。多分、一瞬で終わる。
でもあたしはガララじゃない、ロイじゃない、ケイジでもない。あたしはあたしだ。だからあたしでも勝てるやり方をしよう。
「(レサト、不意打ちできる?)」
しっぽは、くるんと大きな円を描く。頼もしい。だからゴメンね。アンタに苦労して貰うわ。
レサトが天井から落下すると同時に、一匹の首をはさみで飛ばす。あたしはそこにすかさずGLを撃ち込んだ。煙幕。もくもくと白い煙で視界を防いでいる間にレサトが残りの二匹を仕留めた。銃声が鳴ってしまった。これでもう時計の針は動き出してしまった。上のゴブリンが来る前に逃げないとダメ。
レサトと手分けして五人を一か所に集める。ヒール。今のあたしの限界回数の七回。それで四人の傷はふさがり、歩けるようになった。でも――
「置いて行って貰って構いませんよ」
そう涼しい声で言う彼女の、ミコトの足はもう無理だ。
回復役だからなのか、単なる嗜好か、あたしには分からない。ゴブリンが何を考えてそれをやったのかは分からない。分かるのは、事実。切断されてしまっている。血は止まっても足は生えてこない。
レサトに背負って――だめ。それはだめ。ここからはどうしたって戦闘が発生する。レサトの手は開けておかないといけない。
「……あたしが背負うから」
「いえ、結構です。魔女種に助けられると言うのは遠慮したいので」
笑顔で。
笑顔で、ミコトはコレを言った。魔女種であるあたしにはっきりと言った。その態度に逃げようとしていた残りの四人、トモエと狩人と盗賊、銃士の足が止まる。
バカみたい。教義に従うべきか迷ってるんでしょ?
「後で助けたことを謝ってあげるわ。だから今は従って」
「……すいません。本気で不気味なのですが、どうしてそこまで?」
――どうして?
「だって――」
思い出すのは土下座をするベイブ。ここに突入する前に聞いた悲鳴。
イライラしてきた。思い出したらイライラしてきた。あたしはミコトの汚れたローブの襟を掴むと、ケイジみたいにヘッドバットをした。変な癖が移っちゃった。て、いうか痛い。アイツ、バカじゃない? すごく痛い。
でもその痛みよりもイライラのが強い。あたしはミコトの目を至近距離で見ながら恨み言をぶちまける。
「だって『助けて』って言われたんだもの……」
「あたしだってアンタ達なんか助けたくないわ!」
「レサトが確認に行った時、死んでれば良かったのよ!」
「そうすればあたしは『あぁ、間に合わなかった』とか言って帰れたのに……」
「何で生きてんのよ、アンタ達?」
「バカっ!」
「あと、あたし、ちゃんと気が付いてるんだからね? 前に教会での修行中にあたしの靴隠したのアンタでしょ?」
「死んじゃえっ!」
ふぅふぅ、呼吸が荒い。叫んだせいだ。
言い切ったあたしをミコトが、ぽかんと間抜け面で見ていた。
「……もう一度聞きます。そんな私達――私をどうして貴女は助けるのですか?」
「仕方がないじゃない! あたしは助けを求めて手を伸ばしたんだもの!」
――あれ、お兄さん。あたしは助けてくれないの?
思い出すのは、檻の中の出来事。冗談めかして。それでも心から助けを求めた時のこと。
「仕方がないじゃない! あたしは伸ばした手を取って貰えたんだもの!」
――ヘイヘイ、寂しいね、嬢ちゃん。テメェが『助けて欲しい』って言ったんだろう?
あたしの手を取ってくれた人が、ケイジ達が居た。居てくれた。
「……だから、仕方がないじゃない……『助けて』って手を伸ばされたら、あたしはっ! あたしだけはっ、その手を取らないとダメじゃない……っ!」
だってそうじゃないと悲しい。
だってそうじゃないと救いがない。
だってそうじゃないと、あたしはあたしが嫌いになってしまう。
だから。あぁ、だから――これは仕方がない。
「……」
何も言わずにミコトが背中に乗ってくれた。これで逃げられる。
でも。うん。まぁ、そうだよね?
「あたし達、結構、大きな声で話しちゃったわね」
「いえ、叫んだのは主に貴女で――」
頭を後ろに倒して、後頭部で攻撃。黙らせる。
そんなあたし達を、ゴブリン達が階段の上から見下ろしていた。