V.S ラフメイカー
加熱する。
拍動する。
獣の様に犬歯を剥き出しの笑みを造る。息を吐く。白く、曇った熱い息がケイジの口から洩れた。ぐらりと揺れる。ぐらりとブレる。心音が煩い。鋭敏になった皮膚感覚が跳ねる血管まで拾い上げる。
左手にゴブルバーとカランビットナイフを持った。
鋼鉄の右腕を開いて、閉じて、開いて、鍵爪の様に指を曲げた。
近接戦闘仕様。
父が基礎を組み、キティが発展させ、ケイジが血肉に沁み込ませたソレが形を成す。
合わせる様に、ラフメイカーも構える。
重心、後ろ。軽く下げた盾で足元を隠し、右のSMGを挑発する様に時折盾から覗かせている。
腹を破った死体から巻き散らされた糞尿の匂いが籠っていた。くせぇ。風でも吹いてくれねぇかな? うっすらと、そんな思考。ソレを聞き届けたのか、風が吹いた。近くの木々から落ちた葉がケイジとラフメイカーの間を通り過ぎる。過ぎた。それを双方が合図と取った。
一歩。
強く跳ぶ様に。身体を低くしてケイジが疾走する。
一足。
盾で隠していた膝の溜めが解放される。死体が転がり、足場は悪い。それでもラフメイカーは的確に、死体の無い場所を蹴って跳ねて下がる。
尻追い戦と猪突戦。
旧時代の強化兵が選んだのは互いにインファイトだったが、その実は正反対とも言える戦略だった。
蛇の様にケイジが滑る。左へ、左へ、ラフメイカーの盾がある左側へ、潜る様にして射線を制限しながら迫り。ラフメイカーはソレを嫌って横に跳ぶ。追いかけっこだ。終わらない。いや、終われや。ばりっ、とケイジが歯を噛み締める。力を入れる。鋼の右が死体をラフメイカーに投げつける。嫌って大きく跳ぶラフメイカー。そこ目掛けてケイジが砂礫を叩きつける。掲げられた盾で防がれる。視界を遮る。足を止めさせる。一瞬。それで十分、十二分。足を踏みつける。動きを縫い留める。
「追いかけっこはお終いだ。殴り合おうぜ、ベイビィ?」
笑って、右拳を叩き込む。左手の盾で防がれる。右のSMGを狙って、ケイジの左手が叩きつけられる。指を貰うつもりだったカランビットナイフの一撃がナックルガードで弾かれる。反動で弾かれたのを良いことに顔を狙い、ゴブルバーの引き金を引いた。
ここまで底上げしても尚、反応速度はあちらが上だ。
――どんだけ深ぇんだよ。
悪態。吐き出しながら思い出したのはファーストコンタクト。
撃ち出されたパイルバンカーを躱して見せた神速領域の反応速度。
それをラフメイカーは今回も魅せる。
仮面に当たる。仮面が飛ぶ。ダメージは無い。逃がしている。だが別に良い。ケイジはソレをラフメイカーが出来ることを知っている。ならばいい。驚かない。次の一手を打てる。カランビットナイフで装甲の薄い肘の内側を刺して、切って、血を流させた。
「は、」
と乾いた笑いをケイジが浮かべ、深く、歪な笑みをラフメイカーが浮かべる。隠すわけだ。薬品で焼かれた醜悪な顔がソコには有った。
髪が無い。鼻が無い。瞼が無い。皮膚が無い。唇が無い。歯が剥き出しだ。
その顔に、傷に、息を飲んだ。つまりは止まった。馬鹿か。その罵倒をしながら、攻めきれなかったケイジが下がる。
踏んでいた足を上げて引いた。
逃げ遅れた足が踏まれた。
「楽しむんだろ、ベイビー」
初めて声を聴いた。薬品に焼かれた声だった。枯れて、掠れて、ブレている。そんな声と共に、衝撃。鋼の右で受けた。響き渡る金属音。
盾撃。
騎士の技能は中々に凶悪だ。弾かれ、それでも足を踏まれたケイジは下がることが出来ずに、バランスを崩した。
隙しかない。
そこを逃してくれる敵ではない
SMGの連射が至近で叩き込まれる。咄嗟、左手で払い、射線を弾く。罪もない死体に穴が開いた。次。再度の盾撃。それが来ると分かって居たので――
一歩。
歩いた。足を戻した。距離を詰めた。勢いを殺した。そのまま体で盾を押し返しての――ヘッドバット。鼻があったと思われる場所に叩き込む。薬品で焼かれた皮膚は強度が無い。ケイジの鉢がねは皮膚を割って、血を流させた。「――!」。苦悶。吐き出して、今度はラフメイカーが一歩下がった。
攻める。
更に一歩、二歩、鋼の右を使う。炸裂音と共に尖った殺意が風を切って盾を打つ。盾が飛んで行った。チャンスだ。左のカランビットナイフを鎖骨に突き刺――せない。捌かれた。それでも体勢を崩したままに出来た。
くん、と鼻が動く。
研がれて尖った嗅覚が血の匂いを拾う。
それは周囲の血の匂いだ。
それはラフメイカーから流れる血の匂いだ。
それはこれからラフメイカーが流す血の匂いだ。
血の匂いは、きっと――勝利の匂いだ。
ぎっ、と鋼の右が軋む。犬歯を剥き出しにケイジが笑う。更に、一歩。距離詰めてラフメイカーの腹目掛けて杭を撃ち込んだ。
必殺。必ず殺す。その一撃。それを――
――躱してこその強化兵。
飛んで、踏んで、駆けて、蹴った。
以前にケイジがラフメイカーの盾撃相手にやったことだ。パイルバンカーの一撃を踏んで躱したラフメイカーがそのままの勢いでケイジに蹴り足を叩き込む。
違いは一つ。
ラフメイカーは避けた。ケイジは喰らった。
返し技。
それを得意とするラフメイカーとケイジの違いだろう。
ぐらりと脳が揺れた。動きが止まった。それはほんの数秒だ。それはラフメイカーがケイジの右腕を捥いで捨てるには十分だった。
叩きつけられた盾撃は縁を用いた攻撃用。
接続部の金属を歪めて砕く剛腕の一撃。
「――っ、の、ぉ、く、そがぁっ!」
身体が流れる。それは耐え切れない。右足を引く。引いて、地面に付いた所で踏みとどまる。左が前に来た。吐きだした悪態に怒りと痛みを乗せる。乗せる? 乗るか。だが乗った。精神論だ。それでいい。だから痛みは薄れた。薄れたから戦え。
ゴブルバーで顔を狙う。
痛みで涙が滲む。視界がぼやける。それでも引き金を引く。
と、と軽くラフメイカーの身体が跳んだ。銃弾のエネルギーに押される様に、仰け反る様にして後ろに跳ぶ。
ラフメイカーは、跳んで、着地して、咥えた弾を吐き捨てた。
「……ヘーイ。俺、台本貰ってねぇんだが――これ撮影?」
思わず、ケイジが言う。流石に呆れた。これには呆れた。
「これはマグレだ」
「そうかぃ。運が良いみてぇで羨ましいぜ、ハゲ野郎。今度一緒にカジノでもどうだぃ?」
「……殺してやる」
「そうかい。残念だ」
肩を竦めようとする。右が軽い。そういや吹き飛んだったな。ソレを思い出した。ジョイントが歪み、皮膚を傷つけ少しだけ血が出ていた。
「お前も殺して笑顔にしてやる」
「おかしいおかしい、文脈おかしい。ついでに物騒だ。殺さねぇで笑顔にしろよ」
「……笑顔は、良い」
「ヤァ。その文面だけ聞きゃ応援したくなる気分だぜ。それがテメェのポリシー? 成程、笑えるな」
宣言通り、はっ、と吐き捨てる様に笑う。
脈絡のない会話。それでもラフメイカーの瞼の無い瞳には理性がある。狂っていない。歪んでいない。真っ直ぐに、真っ直ぐに――本心からそれが彼の正しさなのだろう。
歪んで、壊れた強化兵。
性能は数段あちらが上。
右腕は吹き飛ばされ、クスリも抜けてきた。反動で身体が軋む。タイムリミットはもう過ぎた。馬車はかぼちゃに、馬はネズミに。奴と踊る為に用意したガラスの靴は落としてしまった。
それでも引けない。引くわけには行かない。
「……既に聖女は手遅れだ」
「だろうよ」
神おろしは、人を喰う。
ある程度安全に行えるようになった今でもそれは変わらない。
「お前は聖女の恋人なのだろう」
「……らしいな」
依り代の人生を喰って、神はおりる。
だから儀式が始まった時点でリコは死ぬ。ケイジの知っているリコは死ぬ。それはもう確定している。
「なら悲しいな?」
「みてぇだな」
だから最後に思い浮かべた。彼女の笑顔を思い浮かべた。自分に向けてくれたその顔を思い浮かべた。もう見ることが出来ないそれを思い浮かべた。
「記憶を失くした聖女はお前を愛さないかもしれない」
「ヤァ。全くだ。否定する言葉が無くて悲しいぜ」
ケイジを好きに成ってくれたリコはもういない。
「――それは駄目だッ!!」
「ヘィ、ヘイヘイヘーイ。テンションの緩急、もう少し抑えてくれねぇかな?」
それでもそれは退く理由には成らない。してはいけない。
「オレが、お前を笑顔にしてやる」
「だったら死んでくんな、モンスター。テメェのきったねぇ面を見てるだけで吐きそうだ」
言った。言葉。それが最後の会話。
「……」
「……」
無言の対峙から、一気に跳ねる身体。跳ねる心臓。失われた時代の残り香。強化兵同士の戦いは色の塗りつぶしに似ていた。
弾丸すら見切るのだ。
当たらないのだ。
故に動きで動きを潰す喰い合いだ。
右手が無くなった。機動の要である足を使う蹴りは放てない。左手。ゴブルバー。カランビットナイフ。それと鉢がね。頭突き。それでケイジは盾を銃撃を、捌いて、耐えて、喰らって、血を吐いて、間合いを詰める。
心臓が、跳ねた。
既にその頃、ケイジの心臓は造り物だった。
それでも心臓が跳ねた。
強襲の時とも、強化兵として戦う時とも違う跳ね方をした。
腕の中にいる女に何を思ったかは分からない。
恋だと言わればそうかもしれない。
愛だと言われてもそうかもしれない。
初めての異性の躰に溺れただけだと言われれば――そうかもしれない。
それでも心臓が跳ねた。その跳ね方は心地よかった。だから良い。それで良い。
もしも、惚れたと言うのなら最高だ。
溺れたのだとしても良い。
身体が燃える。血が燃える。足さばきだけで盾撃を捌き、機動で銃撃をやり過ごし、踏み込んで、地面を踏み砕いて、膝。くの字に折り曲げ、下がったきったねェ顔面に左肘を入れて吹き飛ばす。歯が折れた。折れて肘に刺さった。ちげぇ。噛まれた。骨に刺さった数本の歯の代わりに肘の薄い肉が剥がされた。激痛が走る。動かして、痛みが奔って、戸惑って、だから何だと耐える。
吹き飛んだラフメイカーに向けて引き金を引いた。弾が出ない。弾切れ。あほか。そう思う。致命的な間。それを見てラフメイカーが嗤う。嗤って、一歩踏み込んで、盾撃。ケイジの腹にソレが叩き込む。押し込まれる。それで切断される。あと二歩。それがリミットだ。だが、崩れた。「?」。不思議そうな顔。それをみてケイジが嗤う。
――やっと効いたかよ。
蛭。
ナイフ術と薬品の混合技能。
たっぷりと塗り込んだ薬液が痛みを麻痺させ、血を溶かし続ける。無数のナイフ傷はラフメイカーから大量の血を奪っていた。
血の流れが速い対強化兵用の武器。
それが効果を発揮した。
既に右腕は無く、弾も切れた。
それでもナイフで首を切れば終わる。ここまできた体勢は崩した。それでも盾撃の威力は死んでいない。勢いは残っている。下がれない。止まれない。進むしかない。
一歩踏み込めば殺せる/一歩踏み込めば殺される
それなら踏み込め。
――心臓の赴くままに。
ブーツが地面を蹴った。
左手がブレる。
ラフメイカーの首を掻き切る。腹に盾が深く減り込む。
赤い血が噴き出した。黒い血を吐きだした。
心臓の赴くままに、ケイジは一歩を踏み込んだ。