098: 性懲りもなく来たあの貴族③
バルカンさんはしかし、そこで少し思い至ったのか剣の柄から手を離した。
コトちゃんたちは「まさか怖気づいたっすか……!?」なんて心配しているけど、バルカンさんの今の雰囲気からしてそれはない。
「ふっ。やはりワタシに恐れをなしたか、そうともワタシは伯爵家……」
「おぅ、いきなり剣はよくねぇ。俺の怒りは、――この拳から始めねぇとなぁ!!」
バルカンさんの拳が固められた。まるで彼の怒りがそこに凝縮されていくかのようだ。
「えっ、ま、ま、ま……!」
はくしょんの……じゃなくて伯爵家四男のルーアデ・ブゥモーは、余裕さを失い、大慌てで手を押し出している。
バルカンさんの憤怒の気に押されて「ま」しか言えない。……「待て」と言いたかったのかな。
このとき私は、バルカンさんの動作を見る前から「さて、どうしようか」と考えを巡らせていた。
ルーアデ・ブゥモーが殴られようと斬られようとどうでもいいけど(死にそうになったらすぐ治すし)、こんな町中で衝動的な行動をする冒険者を目にして、ギルドの職員として止めなくてもいいものだろうか……と。
伯爵の四男一行を障壁で囲んでしまえば、平和的に片付くのではないのか――そう考えてもいた。
では、なぜ今まで障壁で囲んでいなかったのか。
それは、先ほどまでルーアデ・ブゥモーたちの周りに人が密集していたからだ。文句を言う人や問いただしている人などがいて、一行だけを囲むのが困難だった。だけどバルカンさんが怒りを見せた途端、その人たちは巻き込まれるのを恐れて距離を置き、伯爵四男一行が孤立したのだ。
だから邪魔されることなく障壁で囲むことができるのだけど……。
バルカンさんの気持ちを汲むと「暴力はいけませ~ん」と阻むのはどうだろうなぁとも思う。一発くらいなら目をつむっても……。ただ、この場にいるのに見ているだけというのもよくないような……あ!
これから殴られる伯爵家の四男を見て、いいことを思いついた。
そうだ! これならバルカンさんを止めなかったことを、誰もとがめないだろう。
バルカンさんはすでに一歩踏み出し、二歩目に突入している。
ここで私がやったのは、大きく息を吸い、両手で口元をふさぎ、大きくこう言うだけだった。は、は、はっ――――。
「はーーっくしょーーん!!」
――ぼごん――!!
私は盛大にくしゃみを(する演技を)し、バルカンさんが強烈な拳を伯爵四男の頬にめり込ませる。
殴られたほうは鼻から赤い液体をまき散らし、後ろに飛んでいった。
……よ、よし。これなら誰が見ても、私の両手がふさがっていたために障壁魔法を使えなかったとわかるだろう。
バルカンさんは誰にも止められることなく、ルーアデ・ブゥモーの顔に拳をめり込せることができた。
ルーアデ・ブゥモーは不運が重なってしまった。致し方なかったのだ――。
そんな不運な四男は、自身のお付きの後ろに逃げ隠れ、「痛~い! お前だちワダシを守れ~! 親のいにゃい者はこえだかりゃ……」云々と騒がしくしている。なかなか頑丈だったんだなぁ。
バルカンさんも、人相手だから手加減をしたのだろう。
でもいい音していたし……、顔の形が崩れているような、歯がなくなっているような気がするけど……。――遠いから見えないね。
「やっちゃえっす!!」「やってまえ~!」「やっちゃってくださーい!」
三人は私のくしゃみに驚くことなく、バルカンさんの一撃に熱中して観戦していた。他の野次馬の皆さんもだ。
バルカンさんはさらなる攻撃を加えようと体勢を変えている。ルーアデ・ブゥモーは大泣きしつつ書類を突きつけた。
「うぐぐ~! ま、ままま待て! こえが、これぎゃ、目に入らんか! この孤児院の権利書であるぞ!?」
「よく見えねぇから、お前ぇをぶっ倒したところでじっくり見てやるぜ」
バルカンさんが冷ややかに言い放つと、それを聞いた彼はとりまきを前面に押し出し、挑発的に声を張り上げる。
「よ、よいのかねぇ~? ワタシは暴力に訴えておらん! 契約の話……、話し合いをしようとしているだけなのだぞ!? そんな善良なワタシに暴力を働くとは、そっちが今度はランク落ちになるのだぞ!?」
しかしバルカンさんはそれを聞いてさげすむように彼を見、強固な意思を示した。
「たとえ俺のランクが落ちるとしても、やらなきゃいけねぇときはあると思っている。しかしそうだな……マルタ! 今からギルドに行って、俺をパーティーメンバーから抜いてこい。そうすればお前ぇらのランクは落とされねぇ。『羊の闘志』はそのままAランクのパーティーで続けられる」
暴力沙汰は一人の責任ではなくパーティーメンバー全員の責任になる、とバルカンさんは冒険者ギルドでメンバーの編成をするようマルタさんに指示した。
しかし当のマルタさんはその場から動かず、代わりに自身の斧の柄を肩で支え、挑戦的な笑顔を向ける。
「今日ギルドは休みだよ、リーダー。だからリーダーのパーティー脱退はできないね。それに、――パーティー内の誰かが困っているときは、皆で事に当たるのが『羊の闘志』さ!」
マルタさんはすごくかっこいいことを言っている。
しかし水を差すようだけど、たとえギルドが休みじゃなくても、パーティーメンバーの脱退処理はこんな状況下では難しいですよ。……いや、それはひとまず置いておこう。
「そうじゃ。皆でこやつらを倒して、仲良くランクポイントを下げるのも一興じゃ。ふむ……ゲイルのやつはランクが落ちないよう、頼み込むことにしようかの」
『羊の闘志』の魔法使いさんは楽しそうだ。さらには「そうなるとゲイルのランクが一番上になるかの。リーダーを譲ることになるぞい」と笑っている。
他の『羊の闘志』仲間たちも異論はないようで、リーダーに敵対する集団を挑発していた。
――と、盛り上がっているところに、人ごみをかき分けて先行してくれたルイくんがたどり着く。
「バルカンおじさん! そのデブがマーサを誘拐したことに関わってるよ! だから思いっきり倒していいんだよ。でもね、俺もやるよ! あの腹かっ捌いてやるんだ!!」
ルイくんがデブ……いや、四男に剣を向けて睨んでいる。
確かにこの状況からして誘拐に関わってそうな気はするけど、決めつけはどうだろう。
しかし、ギルドにも来ていたあのお付きの人が、私の後ろにいるマーサちゃんを見て顔色をなくしている。これは間違いないかもしれない。
――あれ? そういえばルイくんが手に持っているのは私の剣ではないか。
あの四男を斬りつけたら血がついてしまうから、使うのはよしてほしい。
剣を返してもらうべきだった。……だけど、剣は置物じゃなくて切る道具だし。でもでも人の血が着くのはやっぱり……。
私が後悔していると、孤児院の院長さんが私たちのほうに駆け寄ってきた。
マーサちゃんが私の箱障壁の中にいるのを見て、顔色を悪くする。
「マーサ! どうしたの!?」
「あ、マーサちゃんは寝ているだけです。お腹いっぱい食べて寝ました」
院長さんには伝わったけど、人ごみの中にいるバルカンさんには、様子がちゃんと伝わらなかったようだ。
そのせいでバルカンさんは、さらに怒りをあらわにする。とうとう剣に持ち替えてしまった。
さすがにこのまま放っておいたら本当に刃傷沙汰になってしまう。
(しょうがない。今度こそ私が、伯爵家の四男一行を障壁魔法で閉じ込めてしまおう――。ん、おや。マーサちゃんが起きたかな)
私の背後から声がしたのだ。
「ふわあぁ……。あ、先生。おはよう……」
マーサちゃんはさすがにこの喧噪で目を覚ましたようだ。でも彼女の周りの障壁はそのままにしておこう。
私は手を前方に向けたまま、マーサちゃんに一応聞く。
「マーサちゃん、例の『金髪のおじちゃん』ってあそこにいる金髪の人だよね?」
私はマーサちゃんの肯定を待った。
「……ん、……ううん。ちがうよー。あの金髪のおじちゃんじゃないよ」
「え」
私はなぜそのときマーサちゃんの返答を待たずに、障璧で囲ってしまわなかったのだろう。
――ドス――。
――私は、気を抜いてしまっていたのだ。
最近、町の中は平和だし、スタンピードが起こっても大事にならずすぐ収束できていた。
だから自分が狙われるなんて、思ってもみなかった。
今の音は弓矢らしき物が刺さった音。
それは、私の腕に刺さった音だった……。
「え、……あ」
その矢は、前方の悪者一行に向けて出していた私の前腕に刺さった。矢じりは貫通し、しかし矢羽までは抜けることなく途中で止まっていた。
「――え……っ、……。……? …………!」
私は、自分の腕に、矢が、刺さっていることを……少しずつ理解した…………。
私は矢で――攻撃されたのだ。




