022: 青天の霹靂
しとしとと小雨が降っている。
ギルドの床、特に出入り口は滑りやすいだろうか。
いや、二年前の改装で滑りにくい素材にしたから転ぶ人はいない。
でも、あとで手が空いたら拭こうかな。
――と、あまり会いたくない人が来訪したので、その人の後ろにある床に注目してしまった。
その人は、今は雨具を着ているから全体的に暗い色。だけど、室内では白っぽい服を着ることになっている治療院の人。
「来ましたか?」
「いいえ。それらしい方はいらしてません。もう来ないかもしれません。冒険者かどうかもわかりませんので……」
私は神妙な顔を心がけた。
この「来ましたか」というのは、ゲイルさんの腕を修復した治癒魔法使いが、ギルドに来たかどうかを尋ねているのだ。
あのとき私がゲイルさんの腕を治したあとで、『羊の闘志』の皆に口止めをした。
ゲイルさんを除くメンバーとともに、治癒について大体の口裏合わせを考えて完成したのがこれだ。
「ただの通りすがりを名乗った人が治療してくれました。ダボっとしたコートを着てフードを目深にかぶった人で、声では女性かも男性かもわかりませんでした。ゲイルさんの腕を治したあと、お礼も受け取らず去っていかれました……」
スタンピードの騒ぎが落ち着いた頃、噂を聞きつけてやってきたこの治療院の人に、そう告げたのだ。まるで台本があるかのようにすらすらと大嘘を並べ、表情はそのままを維持して言ったのを覚えている。
つまりこうだ。
ゲイルさんが、謎の魔物に腕を千切られるほどの攻撃を受けて、皆で止血を試みた(ここまでは事実)。するとどこからか、フードをかぶった男女不明の人物が来て、ゲイルさんへ治癒魔法を使ってくれた。
彼の腕が完全に修復したら、すぐにそのフードの人物は去っていった。こちらが「お礼をさせてくれ」と叫んでも、振り返らず闇に消えていった。
――という話にした。それで済んだと思ったのだけど……。
「それでは、その方が治癒にかけた時間は、どのくらいだったか覚えていますか」
それ以来、この人は何度もギルドにやってきて、ゲイルさんを治療した人物がたずねてこなかったか聞き、ついでのようにあの日の様子を聞いていく。そのたびに私も、同じ話を何回も答えているというわけだ。
「いいえ……。私、もう気が動転していて……とても長く感じました。近くには異様な魔物もいて、常に攻撃されてましたから……。とても気が気ではなくて」
ああ、怖かった……。とそのときを振り返るように語った。
性能のよくない『演技』スキルは使わないでおく。
隣にフェリオさんがいるから、逆に怪しまれないようにしなければ。
「……そういえばあなた。以前図鑑を買いに来た人ですね」
「え、はい。『人体の図鑑』ですよね。……仕事が忙しくて、日々勉強中ですが、なかなか追いつかなくて」
(いやあ、実はですね。『人体の図鑑』のおかげで、私の治癒魔法の能力が上がったと思います。彼も助けられて、新しく『人体学』なるスキルも会得できて嬉しいです。治療院にいらっしゃる腕のいい治癒魔法使いさんは、皆さん持ってらっしゃいますよね。『人体学』スキル)
――――と、間違っても口は滑らせない。
そう。ゲイルさんの腕を治癒したからか、いろいろと能力が上がった。
まず私の魔力と知力が上がった。耐久も、なぜかほんのちょっぴり上がった。「痛いの怖い」と思ったせいなのかは不明だ。
力(腕力)は上がらなかった。さすがに、包丁をふっ飛ばしたくらいでは上がらないらしい。
そして、何と『人体学』という新たなスキルを習得した。
『人体学』スキルを持っているのは、多くは治療院で実力がある人たち。
私は治療院にお世話になったことがないけど、そこの治癒魔法使いさんはよく見かけていた。広場でお昼を食べていると、同じく彼らも食べに来るからだ。
治療院でも能力の高い人と、それ以外の人。どこが線引きなんだろうと、最初は興味本位だった。私も治癒魔法を使うし、参考にしようと思ったのだ。
そこで『鑑定』スキルで観察したところ、この『人体学』というスキルが重要だということに気づいた。
この世界では、『鑑定』スキルに代わるような魔道具もない。だから彼ら自身、そんなスキルを習得しているとはわからないだろう。だけど、高度な治癒魔法を使えるか、使えないかの違いは、このスキルによるものだと予想した。
そして、私もスキルを手に入れるべく、手始めに治療院に赴いたのだ。そこで、分厚くてお高い『人体の図鑑』を購入した。治療院にいる人たちはこの図鑑を勉強すると聞いたから、きっと関係あると思ったわけだ。
でも読んだだけでは『人体学』スキルは発現せず、別の勉強も必要なのかと思っていたところ、先日見事にスキルが手に入ったのだ。
実に満足している。――しているけど、そろそろ帰ってくれないだろうか、この人。
まだ何か聞きたいことがあるのか。それとも何か隠していると思われているのか。今日の雨とどっこいどっこいのしつこさだ。
雨の中わざわざ来ていただいて申し訳ないけれど、残念ながら本当のことは言えない。
メロディーさんがカウンター業務で忙しそうにしているから、早くこちらのカウンターを開けたいんだけど……。
それに右隣のフェリオさんは、査定しながら手が空いたらこっちを見てくるし。
私が怖がっているところを見て、無表情ながらも眉を軽くピクピクさせていた。
どういう表情ですか。私が怖がっているのはおかしいですかね。
いつも顔を合わせていた知り合いが、大変なことになっていたら、怖いと思うじゃないですか。まぁ、魔王様の魔法のおかげで、安全安心な気持ちで治癒に専念できたけどね。
私が考え事をして、だんだん興味のないような対応になってくると、治療院の人はため息をついた。
「いいですか。腕でも足でも、そのように短時間に治癒できる方は稀なのです。彼ら『羊の闘志』の話では、スタンピードでの狩りが終わりに近づいてきてから、戦闘が始まったようです。その後、彼らが町に着いた時間は、私も現場にいたので知っています。それがっ、逆算するととても短いっ!」
だんだん興奮してきたようで息が荒くなっていく。
「……こういった方は稀なのです。私たち治癒魔法を長年使ってきた者でも、どのようにやっているのか教えを乞いたい。……ふぅ」
「ええ?」
素で驚いた。
「あの、でも確かそちらの治療院さんでは、高度な治癒をされる方、たくさんいらっしゃいますよね」
大げさではないだろうか。
「ここはスタンピード発生率が高いことで有名な町ですよ。他の町より高水準の者たちがたくさん集まっている、いえ我々が集めているのです。この町のために!」
他の町では、そのような治癒魔法力のある者は少数しかいなかったり、村単位だと一人もいないことが普通。
治療院の方は、胸を張って教えてくれた。
胸を張られてもね。他の町から恨まれてないでしょうね。
私は冒険者時代、いろんな国、町、村に行ったけど、治癒魔法が使えるものだからわざわざ治療院には行かなかった。
だからこの町の治療院が私の中での基準になっていたのだ。
他の町でも腕くらい修復できる人が十人はいる。
村だと一人くらいはいる。
――そう勝手に思っていた。
「すごさがわかりましたか」
「はい。よくわかりました」
(絶対治療院さんに、私のことを知られてはいけない! ということが)
「どう治癒魔法を使っているのか」と聞かれても困る。
まさか講習会か料理の手順を教えるかのごとく、「『鑑定』と『探索』と『人体学』をお手元にご用意ください。治癒魔法を使って、それぞれの手順を見ていきましょう」とはいかないからね。すみませんが、今までどおり頑張ってください。
こういうとき、本当に能力値を測る魔道具がなくてよかったなぁと思う。
そんなのが発明されて、やれ治癒魔法だ、『鑑定』だ、『探索』だ、『人体学』だ、まだまだたくさん持っているぞ! などとバレたら大変だ。
治療院の方は「今日のところはこれで帰ります」と、来たときより強くなった雨に打たれながら帰っていった。お忙しいだろうから、もう来なくていいと思う。
姿が見えなくなると、「そういえば今日の午後に会議があるんだっけ」と思い出した。
サブマスはこの雨の中、外出したけど帰ってくるのかな。何の会議だろう。先日の魔物の件かな――――。
◇◇◇◇
――――ピカ――――。
部屋いっぱいに、一瞬光が入る。
つい先ほどから、雨は降りがひどくなり、雷も鳴り出していた。
青天ではないけど霹靂。
しかし、私の中では青天の霹靂。
光ってやや時が過ぎてから、どどーんと音が鳴る。
『個人の能力を計測する魔道具開発に関するお願い』
私は、冷や汗を流していないのが不思議なぐらい動揺している。
この顔を誰にも見られてはならない。
思わず、このお知らせの紙で表情を隠した。
「何やってんだ?」
私が、お知らせを間近で読んでいるように見えるのだろう。ギルマスは軽く疑問を投げかけた。
「ぃえ、……この誤字がどうしても気になってしまって」
最初「紙の模様が気になって」と意味不明なことを言おうとしたけど、ちょうどよく誤字があってよかった。
『概要。
王都の冒険者ギルド本部にて能力値を測る魔道具を開発。
魔力、体力の他にスキルも計測可能の予定。
ついては王都だけでなく、各町村のギルドに登録されている冒険者の中から、様々なランクの者たちを集め計測実験を行いたい。
各ギルトより規定の人数を選定し、指定の日時までに王都へ派遣するよう要請する。
協力者には報酬とランクポイントの付与を予定。』
これはお願いというより、王都にあるギルドの本部から各ギルドへの強制依頼だ。
ちなみに、王都にあるからといって、ギルドは王家のものではない。お互い不干渉だ。
ただ、この町であった例の事件のこともあって、『多少手を組むことがある』ということをここにいる全員が知っている。
(魔道具作るより麻酔薬開発してくださいっ。いや、麻酔じゃなくても他にもっとあるよね)
私はただ動揺していた。
現在この依頼書のせいで、二階のギルマス・サブマスの部屋で会議が行われている。
メンバーは、ギルマス、サブマス、フェリオさん、なぜか私。
「なぜ私なんでしょう」と聞いたら、「冒険者と関わる時間が長いから」だって。
フェリオさんはここが長い。途中抜けていた時期があるけど、それでも全体で見れば長期でいる。
何を決めるか知らないけど、三人でいいじゃない。一階のメロディーさんが心配なんで、私は抜けまーす。と、抜け出せないだろうか。
しかし悲しいかな、会議は始まってしまった。
ギルマスが今回の議題を話す。
「今回決めようとしているのは、どう選定するかだ。人数は指定されているから誰を選ぶかだな」
「人体実験に参加させる人をこちらで選ぶんですか」
私は早速、嫌そうに言う。
「人体実験とはずいぶんな言い方だね。こういう魔道具ができたら、もっと世の中が明るくなるかもしれないっていうのに。……でも、そうか。そう疑ってかかる見方をされることもあるか。あとで確認しとくね」
サブマスは自身の金髪を顔回りから払い、ペンで何かをメモした。
いくら期待度の高い魔道具だからといっても、私は手放しに喜べないなぁ。お金がもらえるなんて新薬の臨床実験みたいに感じる。……捻くれた考えだろうか。
現在、本部がアーリズの町から寄越してほしいと指定している人数はこちら。
SSランク……0人
Sランク……0~二人
Aランク……十人
Bランク……十人
Cランク……三人
Dランク……三人
Eランク……三人
Fランク……0人
Gランク……0人
王都は、町がそれぞれ抱えている冒険者の人数とそれぞれのランクをはっきり認識している。
SSランクはこの町に元からいないので、まあいい。問題はS~Cランクが二十五人も抜けること。
「二十五人も抜けて、スタンピードが起きても大丈夫ですか」
「たぶん、これでも考えてくれているほうだと思うけどね。ただ、向こうもできるだけこの町の冒険者を測定したいのさ」
スタンピードが起こりやすいという理由で、アーリズの町はほかの町や村より魔物と日頃から戦う機会が多い。町によって同じランクでも差異があるのか比較したい、という意図もあるらしい。
「昔は、今より人が少なかった時期もあるから、おそらく大丈夫」
フェリオさんの昔は当てにならないんですけどね。私の感覚で大昔ということではないですか。
しかしまあ、本部から寄越せと言われているのではどうにもならないよね。
そして今回の会議は、この招集にどのような選定方法を使って赴かせるかという会議。
Sランクの選定はめどが付くので、問題はAランクだ。
まさか、明日から依頼掲示板に『Aランクの人限定の依頼! 先着十名。新魔道具の動作確認に参加してくれる人!』なんて出すわけにはいかない。騒動になってしまう。
A~Cランクは、人数が他のランクとは桁違い。ギルドに押しかけられては困る。
また、ピカっと光り、二呼吸置くとドーンと鳴った。
そのとき、一階からメロディーさんの「きゃー!」という叫び声が聞こえる。
これはいい機会! メロディーさんを助けるために会議をとんずらだ。
「私、下行って見てきます!」
「いい。メロディーは雷怖いだけ」
即行でフェリオさんに止められた。
確かに『探索』スキルを使っても、襲われている感じではない。
「さっきから光ったら叫んどったぞ」
このお知らせのせいで動揺してまして。聞こえませんでした。――あ、それともギルマスの聴力がいいからかな。熊の獣人さんって耳がいいらしいし。
「彼女見ていると普通のお嬢さんって、こうだよねって思うよ。こちらのお嬢ちゃんは雷ごときじゃあ怖がらないからね」
雷を怖がっていたらスタンピード殲滅戦に出れないですよ、サブマス。雷を使う魔物もいるし、味方の攻撃魔法にだって雷があるんですから。
「そう。それなのに治療院を相手に『あの魔物怖かった』と言っていた。耳を疑った」
フェリオさん……。そのほうが「この子に聞いても無駄だな」って、治療院さんも思うでしょ。早くお帰りいただきたかったんですよ。
「何だ? それ」
ギルマス、わざわざ聞かないでください。
「さっき……」
話さなくていいじゃないですか。……あ、稲光がちょうど羽に反射してきれいですね。
って、――――一とおり話し終えられてしまった。
「……ぶふふふ、くく。またやっていたのかい。あれ」
宝石泥棒のときの『演技』を思い出したのか、サブマスが笑い出した。
「シャーロット。あの魔族の魔法は、快適空間とか言ってなかったか」
そうなんですよ、ギルマス。魔王様は、風魔法も一緒に使っていたのでしょうか。中の空気が清浄化されてました。治癒魔法使うのにいい空気だったと思います。
――さぁさぁ、その話はもういいでしょう。
早くこの会議終わらせましょうよ。
脱線したけど、今出ている案はこうだ。
・完全にこちらで個人を指名。
・パーティーをこちらで十選び、そのパーティーの中からメンバー一人選んでもらう。
・全員呼んでくじ引きしてもらう。
・半分こちらで決めて、半分は依頼をぼかして貼って先着順。
などなど。
頭を悩ませつつ、また雷が光った。
少しこちらに近づいているらしく、光ってから鳴り出すのがさっきより早い。
「全部こちらで決めたほうが……、混乱は少ないんだけどな!」
言っている途中でゴロゴロと雷が鳴ったから、それに張り合うように大声を出すギルマス。
「でも気! をつけないと贔屓と言われそう! ですよね」
私も雷の音にかき消されないよう、仕方なく声を張る。
また光って、一階からメロディーさんの声が聞こえたような気がした。
「かとい……全員くじ……困る。主に場所」
ちょっと聞こえなかったですけど、全員でくじ引き大会は困るってことでいいですか、フェリオさん。確かにくじ作りは大変だし、皆呼んだら場所取りますよね。
「…………ね…………が妥当だね」
何が妥当なんですか、肝心なところが聞こえませんよサブマス。
年長者二人も声を張り上げてもらっていいですか。
「とりあえず、全員呼んでくじ引きはなしの方向ですね」
私はお知らせの紙にメモした『全員くじ引き』の文字を二重線で消した。
すると突然、思いついたようにギルマスが案を出す。
「そうだ! Aランクのリーダーだけ呼んでだ。そこでくじ引きしてもらおうや。たぶん、こういうのはリーダーが行きたがるだろうしな」
「よさそうですね。くじは何枚必要かな。メロディーさんと作りますね」
あと他に必要になりそうなものをメモしておく。
「くじ引きで済めばいいけどね。そうだ。シャルちゃんも行くかい?」
「は?」
サブマスは、いったい何をおっしゃるのでしょう。
すごい声出しちゃったけど、ちょうどよく雷鳴ったから聞こえてないよね。
くじ引きで済めばいいとはどういうことか。いや、そんなことよりも。
「嫌ですよー。自分の能力を知られるなんて恥ずかしいです。遠慮します! それにこういうのは、ふだんから冒険者をしている人たちが行くべきですよ」
私は絶対に王都に行きません。
断固拒否。
うっかり『鑑定』スキルがバレて帰れなくなったら大変だよ。
「おい、俺はもうカウンター業務したくないぞ?」
そうでしょ〜、ギルマス。私がいなくなるとそうなりますよ。抗議してくれると思ってました。もっと言ってください。
「それに、この期間は何かと面倒」
うんうん。ん? 面倒なことあるっけ? いえ、援護射撃ありがとうございます、フェリオさん。
「……確かにこの時期は、いてもらったほうがいいのかな」
とりあえず危険な王都の本部には、絶対、今後も、近づかないようにしますよサブマス。
「――好奇心の強いシャルちゃんにしては珍しいね。今回も飛びついてくると思ったのに」
「全然興味ないですよ。……はて。私、そんなに好奇心強いですかね?」
「いろいろあるけどね。ギルド職員だから『魔物図鑑』を買うのはいいとしても、職を変える気もないのに治療院で『人体の図鑑』買っていたのが一番驚いたよ」
え、皆買わないんですか? あると便利なのに。
「辞めるのかと思った」
「冒険者で買うやつ、珍しいよな」
もったいない。『人体学』スキル、手に入るかもしれないのにね。
【「ぃえ、……この誤字がどうしても気になってしまって」】
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――・――・――
そしてこちらの話は、
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