105: 迫りくるもの②
私は、遠くでピカッと光る空を屋根越しに見て、家に入る。午後は風が強かったけど、今は雷雲が近づいているようだ。
「コトちゃん……。ただいま」
この夏アーリズに滞在中の学園生コトちゃんが、自身の部屋の前で待っていた。
「シャーロットさん遅かったっすね、お疲れ様っす! 雷がひどくならないうちに帰ってこれてよかったっすね」
私はここ数日間、夕食を彼女たちの部屋で食べていて今日もその予定だった。だから先に食べずに私を待っていたらしい。
「待ったよね? ごめんね。急に残業になっちゃって……」
「いいっす、いいっす~」
コトちゃんはにこにこと私を部屋に招き入れる。
同じ建物に二階に私、一階に彼女たちが借りていることで一緒に食事することが多かった。
主に朝食は私が出し、夕飯はコトちゃんたち――いや、ワーシィちゃんとシグナちゃんが用意していた。
(……短いあいだだったけど、一緒に食事することができて楽しかったなぁ……)
このしんみりした気持ちは、極力顔に出さずに中に入った。
「じゃーん! 今日もがんばって作ってくれたっす。二人が!」
「ワーシィちゃん、シグナちゃんありがとう。コトちゃんも、お迎えありがとう。――わぁ、おいしそう」
コトちゃんはいつもどおり二人が作ったことを強調し、三人一緒に鼻を高くしている。
パスタにサラダにお肉もおかずに添えて――どれもおいしかった。四人で楽しく食べる最後の夕食なのでさらにおいしく感じた。
私はなるべく思いが顔に出ないように、明るく努めた。
ただ、コトちゃんたちからいつものように明日の用事を相談され、少し悩むこととなった。
「あと、明日の夕ごはん何がええですか」
「この町、いろんな食材があって楽しいです」
ワーシィちゃんとシグナちゃんが、明日の夕食のメニューのことも話題にしたので、さすがに私もこのまま黙っておくのは気が引けた。
だから三人にはもう説明しておこう。どちらにしろ明日ギルドの掲示板には載るのだし……。
今夜のうちに気持ちの整理をつけてもらうのがいいだろう。
「……コトちゃん、ワーシィちゃん、シグナちゃん。明日はっきりわかることだから、今言っちゃうね。――学園生は早急に荷物をまとめて、北の町に向けて出発してもらうことになったんだ――」
上空では雷が近づいてきたようで、音も大きくなっていた。
だからゆっくりと、大きく――伝えた。
「へえ…………え?!?!」
「え、どないな……え?」
「…………、え」
それを聞いた三人は最初はほけ~っと考え込み、そのあと同時に驚く。
窓の外はまた雷が光った。
コトちゃんは手を滑らせてフォークを落とす。ぎりぎりお皿の上に載ったけど、ちょっとの振動で落ちそうだ。
「……明日ギルドに張り出されるんだけど、学園生は急いで町を出る準備をして、遅くても明後日の早朝に出発してもらうことになったの」
先ほど、ギルドで決定したことだった。私が残業したのは、そのことに関する会議が入ったからだ。
「そんなの聞いてないっす!」
それはそうだ。今初めて話しているのだから。
「嫌っす! ボク帰らないっす!」とテーブルを叩くコトちゃん。叩いたせいで、不安定な位置に置いていたフォークが床に落ちてしまった。
「まぁまぁコト。何でなのか聞かないと始まらないでしょ」
シグナちゃんはコトちゃんの落としたフォークを流し台に持っていって、代わりのフォークをコトちゃんへ持っていく。
シグナちゃんは冷静だなぁ……。いや、コトちゃんの皿から外れたところに置いていった。
それをコトちゃんが手を伸ばして取るのを確認して、私は話を続ける。
「最初から説明するとね。ほら、指名依頼の相談をされた日があったでしょ? あ、午前はコトちゃんが洞窟ダンジョンで暴れてた日だよ」
コトちゃんたちに表示されている『ビギヌー洞窟ダンジョン踏破』の称号を、『鑑定』スキルで見ながら話す。
最後のボスを倒したのはコトちゃんだけらしいけど、称号はちゃんと三人についている。
パーティー内の誰かが倒せば、仲間全員に称号が付くからだ。
ちなみに、洞窟ダンジョンの最下層まで行ったくらいでは、称号が付くことはない。私やルイくん、マーサちゃんには特にそういう変化はなかった。
コトちゃんは洞窟ダンジョンと聞いて、気まずそうに目を横にそらした。
私は続ける。
「その指名依頼の相談で、皆にお肉買ってきてもらったでしょ」
コトちゃんはあの日、西から来た商人から大量のお肉を買った。だから皆で焼き肉パーティーができたのだけど――実はそのことが関係している。
どうも西にあるオリビーの森から多くの魔物が逃げるように出てきたのでそれを狩り、その肉を近隣では売りきることができず、アーリズの町で大量に売っていたようなのだ。
オリビーの森というのは普通の森だ。ビギヌーの森のように中に洞窟があるわけでもなく、その森自体がダンジョンというわけでもない。
それなのに魔物が大勢出てきたというのは異常事態だ。
ギルマスはそういった情報を素早く入手し、その森を含め西側がどういった状態か、冒険者たちに情報収集させていたのだ。
昨日ギルマスと冒険者さんが城壁の外で話していたのは、その内容だった。本日ずぶ濡れになってでも情報を届けてくれた冒険者さんもそうだ。
「実はそのオリビーの森に、凶悪な魔物が現れたらしいの。他の魔物が一斉に逃げるくらいの強い魔物でね、それがこっちに――アーリズの町方面に近づいてきているみたいなの」
だから学園生はこの町から離れて、北へ迂回しながら学園都市ジェイミに帰ってもらうことに決定した。
コトちゃんはフォークを手に握りしめる。
「……じゃあ、ボクたちも戦うっす!」
「そう言うと思った……。あのね、逃げてきた魔物に中ランクの魔物もいたから、前回のマルデバードよりもずっと強い魔物が現れたってことなの。コトちゃんが考えているより、ずっと強い魔物がこっちに迫ってきてるんだよ」
中ランクの魔物でも森から逃げ出すくらいの、強い魔物が現れたということだ。
学園生たちは依頼の途中であっても中断して、町から離れてもらう。それくらいの異常事態なのだ。
ほとんどの学園生は短期の依頼だからそれほど処理には困らないけど、『キラキラ・ストロゥベル・リボン』の場合は指名依頼だし、期間が長めの内容だ。だから帰りに孤児院に寄って、その件について院長さんには話しておいた。
依頼が途中で終わるのも残念がっていたけど、せっかくプレゼントとして渡す予定だった服は、まだ縫っている途中で直接渡せそうにないと子供たちが残念がっていた。
でも仕方ないことだし、服は完成したら学園まで届けることができるとのことで納得してもらった。
「ちゃんと学園に事情を説明した手紙を書くから、今回の評価は心配いらない……」
「そうじゃないっす! ボ、ボク帰らないっす!」
コトちゃんは両手に硬く拳を作る。
まぁ、ねばって帰らないと主張するとは思っていたけど……。
「学園生だけじゃないよ。町の人だって、他の町に親類縁者がいるようなら、今回の件が片付くまでその町に避難してもらうんだからね」
さすがに町の人全員を他の町へ移動してもらうのは難しい。他の町が赤の他人を大勢引き受けてくれるとは限らないからだ。
「今日で最後になるかもしれないから、食べたらお風呂に入ろっか」
外は、雨が強く降り出していた。