101: 性懲りもなく来たあの貴族⑥
城門から見える街道は、木々が左右を囲んでいた。
特に左側――南の森はビギヌーの森と呼ばれ、道の先、丘のふもとまで続いている。
そんな街道の城門前に一人の――いや、一頭の熊が現れた。
「グオオァァ――!」
野太い咆哮が大きく響く。
耳をふさいでいた腕がびりびりした。
遠くで馬車を追っているバルカンさんたちにも聞こえたようで、走りながら道の片側に寄り始める。
それを待っていたかのように、次の瞬間には大きな熊が私たちの横を走り去っていった。
同時に私が立っている地面も揺れ、猛然と馬車を追いかけていく姿を見ることができた。その揺れが遠ざかるほど、熊さんは遠くなっていく……。
先ほどから「熊」と言っているけど比喩ではない。
ギルマスが自身のスキルによって、大きな熊となり、街道を走っていったのだ。
スキルというのは、確認する方法がなくても『特殊な能力』として昔から認識されている。
確認する方法がないのに、なぜ『スキル』という存在は知られているのか。
それは、使っている本人にも自覚があり、周りも目視できるからだ。
元々背の高いギルマスが、さらに高く大きくなり、四足歩行の熊に――本物の熊となるように。
このような大きな変化があるとスキルを認識しやすく、されやすい。
このスキルは『完全獣化』スキルと呼ばれ、文字どおり完全に獣の姿になるスキルだ。
獣人族の中でも人族に近い外見の人が、かなり稀に持っている。
私が旅をしているあいだにお目にかかったことも、片手で数えるほどだ。
この町にもう一人いたけど、今ではギルマス一人だけになった。
そんなギルマスは大きな熊になったわけだけど、服がビリビリ破けるどころか、地面にそのかけらも落ちてない。
獣化系スキルには複数の種類があり、『完全獣化』スキルというのは獣化する際に身に着けている物は、どこかに消失する。だけど人の姿に戻るときは、ちゃんと変身前の姿へと戻るのだ。まるで、収納魔法で身の回りの物を一瞬で出し入れするかのように。
私は『獣化』系スキルは使えないから、どういう感覚かはわからない。というより、さすがにこのスキルは、どんなにがんばっても発現しないからわからないけども……いちいちギルマスの服が破けていたら困るから、それでいいのだ。
「俺らも続け~!」
道を空けていた冒険者たちも、ギルマスが通りすぎてから一緒に犯人を追い始めた。
「く、熊っす……!」
ギルマスの後ろにいたコトちゃん、ワーシィちゃん、シグナちゃんは三人仲良くまたも尻もちをついていた。
(ギルマスのことは、学園生にも知られていると思ってたんだけどなぁ……)
それよりも、私も走って追わなくては。
ギルマスが熊さんになっても、ちゃんと力の加減はできる。けど、バルカンさんたちが彼らをボコボコにしすぎて、虫の息にさせても大変だ。
私も急いで追いついて、そんなことがあったら(適度に)治癒魔法をかけないと!
そして、自分の腕を見た。私も個人的に(少々の)恨みがあるから走る。
(ギルマス……もうあんなところまで……はぁっ、はぁっ)
ギルマスはもうバルカンさんたちに追いつき、彼らが片側によけた道を躍動感のある動きで走っていく。
あの四男が馬車の中でどうしているのかは知らないけど、背後を見たら驚くだろうなぁ。
馬車の速度からバルカンさんたちには追いつかれない――と高をくくっていたところに、後ろから大きな熊が迫ってくるのだから。
(おや、気づいたのかな。馬車から何か投げられてる? ……ぜーはー、ぜーはー)
馬車に乗っていた四男一行は、幌の中から箱のような物を投げてギルマスにぶつけていた。
ぶつけられたギルマスは、『完全獣化』スキルによって、力と速さと耐久の値が格段に上がっているから箱が当たったくらいではひるまない。
そのままの速さで馬車に近づいていく。
「ああ~! 商品が~!!」
私の後ろから悲痛な声が聞こえた。商人さんも馬車が止まることを信じて走ってきたらしい。
あの箱には、売り物が入っているようだ。
(お、ギルマスが追いついた。いや少し通り過ぎて、……なるほど、馬車の進行方向を防いだのか……これなら馬車を傷つけずに……って)
ぜ~~、は~~!
疲れた。
「シャーロットさーん、休んでていいっすよ! ボクたちが行ってくるっす~!」
さっきまで確かに尻もちをついていた『キラキラ・ストロゥベル・リボン』の三人が、私を追い抜いていく……。
三人とも、私と違って元気よく走っている。
じゃあ……、私が走るのはもうやめよう。
熊さんが道をふさいだことによって、馬車は止まったし。バルカンさんたちも追いついて、馬車の後ろから乗り込んだみたいだし。
(私は疲れた。さっきからずっと走っているし、治癒魔法も使ったし、もういいよね。四男たちが生死をさまよっても、きっと大丈夫、大丈夫。――ん?)
走るどころか歩くのもやめた私の足元に、筒状の物が当たった。四男たちが投げた箱から飛び出た物だった。
「布……?」
それは布を筒状に丸めたもの――『反もの』だった。
「ああ! かわいい商品が……、地面に落とされて……かわいそうに……」
とっくに私に追いついていた商人さんは、道に散らばった商品を拾い集めている。
「わ、私も拾いますね……」
馬車は道の脇に停めて、もう逃げ込まれないように見張りを置いたようだから、こっちはこっちで拾う作業をしていても大丈夫そうだ。
お付きの人だかは木と光障壁に挟まれているけど、気にせず反ものを拾おう。
丸い人物がバルカンさんに蹴られているようだけど、あっちはあっちで任せようじゃないか。
追いかけていった皆さんは、商品をなるべく避けて走ってくれたようだ。へこみや靴跡はなく、地面も乾いているから少し払っただけで土は落ちた。
「それにしても奇麗な布。しっかりとして……ん?」
「ああ、奇麗だろう? うちで品種改良した木から採取してね。それから……して…………で、染料は…………」
商人さんは商品の説明を始めたけど、私はそれどころではなかった。
この色とりどりの反ものは、どれも奇麗に染められていて、甲乙つけがたいほどどれも美しい。
それだけでなく、『鑑定』スキルで見たらなんと! 魔力、知力、集中、耐久、精神の値が上がる布だったのだ。
こんな布は初めて見た。私は反ものを大事に拾いつつ、頭を回転させた。
(その分、値も張るけど……これはよい出会いだ。でも私が布を持っててもなぁ。う~ん、――そうだ!!)
私は、マーサちゃんがボタンを縫うという話を思い出して、閃いた。
「あ、あのっ。この反もの、売ってくれます?」
このような立派な布は、おそらく服飾系のお店に卸すのが一般的だろう。
案の定、商人さんもそのつもりだったようだけど、私が「向こうで馬車泥棒を捕まえている子たちにプレゼントを考えている」旨を話すと、商人さんは快く頷いてくれた。
だから私たちは、丸い人物の泣き声が聞こえても、お付きの者が氷と雷攻撃を食らっていても、仲間その一が宙を飛んでも、その二が熊さんに踏んづけられても、その他いろいろあっても、全く意に介さず手早く反ものを拾い集めた。
(うーんと、私に矢を撃った人も殴られているだろうけど、四男一行も冒険者たちも団子状態だから『探索』スキルを使ってもごちゃごちゃしていてよくわからないなぁ)
落ちついた頃に確認しよう。
そんな私たちの頭上を、黒い影が飛び越え、馬車のほうへと向かっていく。
それは、鳥のような影だった。