『芹沢大剛 ー2ー』
「逃げてんじゃねぇよ!! クソ猫が!!」
男は低く恫喝しながら、拳銃の引き金を連続で銃弾の雨を降らせて我輩を追い掛けてくる。
こんな銃弾を弾き飛ばすのなど我輩にとっては造作
もないことであり、逃げずに追ってきてくれるのならば好都合、館まで誘導すればいい。
願ったり叶ったりである。我輩は男が見失わない程度の一定の距離を保ちながら、必死に逃げているのを装い館へ向かった。
「俺を何処へ連れて行こうとしているのかは知らんが、目的地に着く前にブチ殺してやる!」
男が背後で声を荒らげて言い放った。
我輩の意図に気付くとは人間にしては上出来だ。しかし、それを知りながら感情に身を任せて危険を顧みずに追跡を続けるから、人間は下等だと言うのだ。
我輩は怯えさせぬよう、右へ左へと跳ねて銃弾をかわしているように見せながら森を駆け抜けると、眼前に館が姿を見ても表した。
「ああ!? てめぇの主人の家か?
フンッ。いいだろう。招かれてやる」
男も館を黙認したのか低く言うと、銃は構えたままだが発砲はせずにゆっくりと館へ着いてくる。
これから男の身に振り掛かる不幸を思えば同情の余地はあるが、敢えて余計なことはせずに我輩は館の扉を念力で開けると、毛足の長い赤い絨毯が敷かれた廊下を進んだ。
壁には本物か贋作かは知らぬが、世界に名を馳せた著名人の絵画が定期的に飾られ、廊下の端には鎧や壺が並べられている。
照明は壁には備え付けられた燭台で揺れる蝋燭の光だけで、良く言えば落ち着いた、見たままを言うなら怪しい洋館である。
「チッ……」
館の怪しい空気を感じ取ったのか、男が不機嫌そうに舌ぬ打ちをした。
気持ちは分からなくもないが、ここに迷い込んで来た以上、男の運命は知れている。せいぜい束の間の暇潰しにされるがいい。
廊下を突き進んで、館の規模を考えると小ぢんまりとしたリビングへ入っていく。
無論、パーティー会場のような無駄に大きなリビングもあるが、イレーネが過ごしやすい大きさを好む為、普段は此方で生活をしている。
男をここまで連れてくるのが我輩の役目だ。後は他のものが好きにすればいい。我輩は出窓に置かれた寝床になっているクッションが置かれた篭に入ると、丸くなって高見の見物をする事にした。
「ハッ。屋敷の割りに随分とシケたリビングだな」
「広ければ良いと言うわけでもありませんでしょう?」
リビングに入るなり毒づく男に向けて、イレーネが微笑みを浮かべて答えた。この女の笑みには感情と言うものが一切籠っておらず、作り物のようで薄気味が悪い。
男は本能で危険と察したのか、瞳を細めてイレーネを睨み付けると銃口を向けて迷わずに引き金を引き絞った。
銃弾はイレーネの眉間を正確に捕らえて、イレーネは瞳を見開いたまま仰向けで床に倒れた。
部屋にはイレーネの他に二人の女と一人の男が、人間が来るのを待ち詫びていた。三人ともイレーネ同様、頭のイカれた連中だ。
「お見事!!」
三人掛けのソファーの真ん中に座っている、白いスーツに身を包んだ、金髪蒼眼の優男が大仰に拍手をしながら嘲るように言った。
この男はクリストファー。悪趣味なもの同士、イレーネと気が合うらしく、フラりとやって来ては何日も滞在していき、気がついたときには消えている風来坊だ。
人間の男は弾かれたようにクリストファーに銃を向けると、睨み付けて低く喉を鳴らした。
「てめぇにもくれてやろうか?」
男の言葉にクリストファーは嘲笑を浮かべて男を見つめ返した。
「あらあら、過激ねぇ……。たぎっちゃうわ……」
ソファーの右側に座っているのは波打つ黒髪を腰まで伸ばした、革のボンテージに身を包んだ女だ。
この女はゾフィー。詳しい素性は知らないが、イレーネとは旧知のなからしく、今は館に住み着いている。
男はゾフィーを一瞥するとつまらなさそうに鼻を鳴らした。
下品な女には興味もないようだ。
「……」
ソファーの左側で、我関せずで紅茶を飲んでいるのは、ティロル。
銀髪碧眼の、見た目は十代前半の少女だ。
無口無愛想でなにを考えているのか分からない小娘である。
いや、小娘なのは外見だけで、実際は我輩より上であろうと踏んでいる。つまりは正体不明のロリババァというわけだ。
この娘もイレーネとは古い付き合いらしく、この館に居住して画家をやっているらしい。
人間の男は三人を警戒して、いつでも発砲できる体制をとっている。
「てめぇら、何者だ!!」
三人のただならね気配に尋常ではないものを膚で感じたのか、男は三人を恫喝する。
「立ち話もなんですので、どうぞお座りください。
お茶を用意いたしますわ……」
なんの予備動作もなしでむくりと起き上がりこぶしのように体を起こして男を見つめて微笑んだ。
額に開いた穴が塞がっていき、異物を吐き出すように額から銃弾が押し戻されて床に落ちた。
「さぁ、此方へどうぞ……」
イレーネが相も変わらず、張り付けたような表面だけの笑顔で言うと、ソファーへ促した。
「歓迎しますわ。芹沢大剛様……」
度重なる異端な状況に、男は瞳を見開きイレーネを仰視したが、スゥーと瞳を細めて睨み付けた。