序章
外では異常気象だの温暖化だのと騒がれているが、常に深い霧に包まれている世界の片隅に、その古い洋館は建っている。
古くはあるが、手入れの行き届いた中々快適な洋館だ。
ここには長期滞在をする物好きと、時たま館主に導かれてやって来るものしかおらず、一般人は立ち入ることも出来ない。
館の主は、本名や国籍は不明のイレーネと言う女だ。人に例えるなら、二十歳を過ぎた頃合いの外見を保った、長い金髪の娘である。
透けるような白い肌に、人形な感情を宿さない無機質な青い瞳。女らしいふくやかな体だが決して肥えてはいない、男を魅了するためにあるような見目麗しい外見を持った女だ。
もっとも、そのイカれた思考回路と漆黒の腹の中を知れば、鬼でも裸足で逃げ出すだろうが……。
このイレーネの趣味がコスプレと言うものらしくて、メイドでもないのにメイド服を着たり、看護師でもないのにナース服を身に着けたりしている。今日は豪華な和服をきっちりと着こなし、紙まで結い上げ金の簪を差している。テーマは大名家の姫かなにかなのだろう。
「大奥の御代処ですよ」
イレーネはそう言うと、くすりと喉を鳴らした。
油断した。心を詠まれてしまったか……。
イレーネは何食わぬ顔でお茶を啜っている。侮れん奴だ……。
「あら、お客様がいらっしゃったようですね。
カルマさん。お迎えに行って貰っても宜しいですか?」
イレーネがにこりと微笑むと、我輩を見つめて拒否権のない質問をしてくる。また、暇潰しに人間を招き入れたのだろう。
あの霧に包まれた森で一度迷うと、死ぬまでさ迷い続ける。館に着くには道先案内人が必要なのだ。
「報償は高くつくぞ?」
我輩は柔らかなソファーの上で立ち上がると、瞳を細めて嘲笑し、イレーネに忠告した。
「はい。今日の内容にも寄りますが、和牛の霜降肉を用意しておきますわ」
イレーネはにっこりと感情のない微笑みを浮かべて言った。
和牛の霜月か……。悪くない。それでは『オツトメ』に行くとしよう。
我輩はソファーから飛び降りると、念で扉のノブを回して外に飛び出し、霧に包まれた鬱蒼とした森を突き進んだ。
空間の歪みは我輩も感じたから、来客とやらの居場所は分かるのだ。
ここらで自己紹介をしておこう。
毛足の長い純白の体毛に覆われ、尾が途中から二つに別れた神のフィルムを持つ四足歩行の姿。
外見や大きさは猫と言う生き物に近いが決して猫ではなく、高い知能と溢れる品性を兼ね揃えた存在。それが我輩である。
名はカルマ。
こことは別の世界で生まれた、至高の存在だ。




