01.ここはどこ、あなたは誰?
えと、あの、ごめんなさい。何がどうなってるの、これ。
ただいま絶賛ピンチ中。
犬の頭をした人間まがいの何かに追われている最中です。
心の中だからしゃべっていられますが、現実は青息吐息、虫の息。
これ以上走れません。
嘘でしょ、なんなの、これいったい。
怪物は1体どころか6体もいます。
完全無欠の死亡フラグ。
もう足が痙攣してしまって、何かにつまづいた途端、立て直すこともできずに転んでしまった。
何年振りだろ、転ぶなんて。
頭の中で、思い出をサーチ中。そう、あれは小学校4年生の時……。
って、これ走馬灯ってやつじゃない!
立ち上がろうとして、足首に激痛が走った。
足ひねった?
いや、嫌! 違う! かまれてる!
犬頭の怪物が足首にかじりついてる。
痛いって言うより、熱い! 焼いた鉄串が何本も刺さってる!
わたしは叫ぶこともできず、喉からすきま風のような音を出した。
怪物達が周りを取り囲む。
よだれと臭い息が振りまかれる。
濁った黄色い目がわたしをねぶっている。
あ、あ。わたし、これ、いや。
し、しにたくない。
たすけて。
たすけて!
ただ手をあわせた。
仏様にお祈りするように、目をつぶって掌をあわせてしきりにこすった。
そんな事しかできなかった。
たすけてたすけて、たすけてたすけて!
わたしをたすけて!!
何かがふわりと舞い降りた。
わたしの傍らに降り立った。
怪物達の唸り声が風にかき消されて、悲鳴に変わった。
霧雨のように降り掛かる鉄の匂い。
急に辺りが静かになって。
微かな足音が近づいて。
その何かは心に染み入るほど、優しい声で語りかけてきた。
「マスター、もう大丈夫です」
何がどうなったか分からなくて。
でも、その声がとても柔らかく、あたたかだったから。
おそるおそる目を開けた。
見渡す限りの草原が、大きな月明かりに照らされてる。
怪物達の死臭漂う戦場に注ぐ、冷たく冴えきった光の中にその人は立っていた。
金色の髪。群青の瞳。柔らかな表情。
力強さとしなやかさを両立させた身体。
瞳の色と酷似した、深い青を基調とした鎧をまとい。
腰には長いソード。金のレリーフが刻まれた鞘。
言葉を失ってただ見るだけのわたしに、彼は跪いて頭を垂れた。
蜂蜜色の月光が、彼の髪をさらに深く黄金色に染め上げる。
彼はわたしの右足に触れると、なにか小声で唱えた。
指先に蛍の光みたいなほのかな輝きが生まれて、足首の怪我を包む。
温泉に浸かっているように、温かな水の感触があって、痛みがみるみるうちに引いていった。
ほんのわずかの間に、犬頭の怪物につけられた咬み傷は綺麗に消える。
魔法みたい。
っていうか、そのまんま魔法じゃない?!
驚くわたしに向き直った彼は、静かに語りかけてきた。
「お召しに従い参上仕りました。私はユリエル。マスター、御名を」
その声はさっきと同じで、清水のように胸に染み入って。
わたしは雰囲気にのまれて、ため息を漏らすように名乗った。
「芽衣子。八千花 芽衣子です」
「メイコ=ヤチバナメイコ様ですね」
「ち、違います! 八千花、芽衣子! ヤチバナが姓、メイコが名前です!」
「ああ、東方の方ですね.これは失礼致しました。それではメイコ様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「様?! あの様付けはちょっと。呼び捨てで構いませんから」
「いえ、マスターを呼び捨ては余りに不敬です。メイコ様」
「……そのマスターってわたしですよね?」
「はい。おっしゃる通りです」
「マスターのお願いでも駄目なんですか?」
「はい。これはマスターとナイトの契約の外にあると私は考えます。はっきり申し上げれば、常識と言うものです。メイコ様」
ユリエルと名乗った彼は、柔らかな笑みを浮かべたまま、かたくなに様付けしてくる。
なにか、絶対に譲らないって雰囲気がある。
見た目よりも柔軟性がないって言うか、真面目な頑固者?
ああ! それよりも!
「あの、助けて下さったんですよね。ありがとうございます」
「はい。ですが、御礼などなさらなくてもいいのです。貴女は私のマスターなのですから。お護りするのが騎士の誉れです」
「えっと。それが全然分からないのですけど。ここはどこですか? あなたはどこから現れたのですか?」
わたしの質問に、ユリエルは小首を傾げた。
何を問われているのか分からない、と言った風に。
「ここはラトール草原で、私は貴女に呼ばれたので参上仕りました」
「ラトール? 呼ばれた?」
意味が分からない。
わたしはさっき部活が終わって、普通に帰宅していたところで。真希ちゃんや優ちゃんと一緒にしゃべりながら帰っていただけで。
そうだ。路上のアクセサリーショップで、気に入ったリングを買って、はしゃいでいただけで。
なのに、なんでこんな見たことも聞いたこともない場所にいるの?
さっきの怪物はなに?
呼ばれたってどういうこと?
混乱するわたしを見て、不思議そうな顔をするユリエル。
彼はわたしの右手を指差して言った。
蒼い石が留められている銀のリングを示して。
「貴女がつけているその指輪。それこそ契約のリング。こすることで私達、精霊騎士を呼び出す指輪です。この世広しと言えど、たった10個しかない特別な精霊具。ご存じないのですか?」
「知りません!」
思いっきり叫んだよ。
だって、そうでしょ?
いったい何がどうなってるの?
「では、あの事もご存じないという訳ですね」
ユリエルは跪いたまま、伏し目がちに何か思案すると、困ったように笑って言った。
「実は、メイコ様が願いを持って私を召還し、名を交わした時点で契約が定まってしまいました」
契約してしまった、って。
「お互いに内容を確認もせずに契約を結ぶって、詐欺行為じゃないですか!」
「そうおっしゃられると、まったくその通りです。ですが、本来その指輪をしている時点で契約については承知済みのはずなのです。そうでないと身につける事ができませんから」
蒼き騎士は、眉尻を下げて漂うような微笑みを浮かべた。
それがまた申し訳なさそうで、こっちを気遣っているのが感じられて、なんて言って良いか困ってしまう。
「と、とりあえず、契約ってどんな内容ですか?」
ユリエルは一度視線をそらせた後、真摯な顔でまっすぐわたしを見て告げた。
月の光の下、彼の群青色の瞳は深い海の底を思わせる。
きれいな色、と素直に思った。
「貴女の願いを叶える代わりに、貴女の『いのち』をいただきます」
わたしはソッコー、逃げ出した。
はじめまして。阿都と申します。
よくある異世界ものですが、楽しんでいただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。