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子作りの話題は、もうちょっと静かに語ろうよ

 それから一ヶ月も過ぎるころ、メープルの腹部を触りながら、義母が幸せそうな顔をして「出きとる、出きとる」と言った。


 熟練のブリーダーである義母は、超音波検査など受けさせなくても、腹部を触ったその感触だけで妊娠が分かるのだとか。


 メープルの妊娠を、僕たちは家族全員で祝った。二頭は、僕が涎が出るような高級和牛をペロリと平らげていた。義父とロッキー、ジュリアナは、いつも以上に酒が進んでいた。


 ロッキーとジュリアナの子供たちは、制限なしでおやつを食べてもいいという許可を得て半狂乱で喜び、義母と小百合、そしてロッキーの妻は、キッチンで互いに笑い合いながら、次から次へと料理を作っていた。


 この家の中で、どちらかと言えば肩身が狭い僕と、そしてジュリアナの旦那は、時折テレビを見ながら「めでたいね」「そうだね」「いつ生まれるんだろ」「さあ」「でも、めでたいよね」「そうだね」「子犬、可愛いだろうね」「うん、めでたいね」などという、今にして思えばあまり意味の無い、不毛な会話を、延々と繰り返していたのだった。


 ジュリアナの旦那は、七三分けに黒い角縁メガネ、地味な色合いのスーツという、いかにも役所勤めが似合いそうな男で、実際、市役所の受付で働いている。


 ジュリアナが、ミラーボールのような服を着て、原色を多用した化粧をし、ハイヒールをこれみよがしにガツガツ鳴らして歩くため、対照的な二人は非常に人目を引く。僕は密かに、ジュリアナの影のようなこの旦那のことを、影さんと呼んでいた。


 僕と影さんが無意味な会話を続けていた時、酒に酔って真っ赤な顔をしたジュリアナが、キッチンにいる小百合に絡み始めた。


「メープルも妊娠したし、後は小百合だけじゃーん」


「そーなんよー。どっか悪いんかねえ。子供欲しいのに、なかなか出来んのよー」


「逆立ちしたらええって言ったじゃん。ちゃんとやってる?」


「しとるってー」


 小百合は当たり前のように答えた。僕はビールを吹きそうになった。影さんは、派手に吹き出していた。そしてひとしきり噎せた後、気まずそうに僕から視線を逸らした。


 聞こえないフリをしていたロッキーとは違い、義父は無表情であったが、密かに硬直していたことを僕は知っている。


「ああ、もう、ええなあ、メープルは。うちも赤ちゃん、欲しいよお。どうやったら赤ちゃん、できるんやろー」


 小百合はから揚げを皿に盛りつけながら、誰にともなく言っていた。それは夫婦の間で密かに交わされる会話ではないかと思うのは僕の考えで、小百合にはそういった考えは存在しない。


「どうやったら赤ちゃんができるんやろーって、お前、やるしかねえだろ」


 ロッキーが当たり前のように、当たり前のことを言ったが、この場合、声を潜めるのが世間一般で言う、当たり前ではないだろうかと僕は思った。しかし、言葉に出しては言えなかった。


「やっても出来んのやもーん」


 小百合は心底残念そうに言っていた。家族間で隠し事はしない。何でもオープンに、というのが我が家の家風なのだが、馴れないうちは彼女らの開けっぴろげな性格に、驚かされることが多かった。


 僕個人は、子供は出来る時には出来るものではないかと思っていた。二人ともまだ若い。この当時の僕はまだ三十代にもなっていなかったし、小百合に至っては、ようやく二十代に入ったばかりだった。


 焦らなければならない必要など、微塵も感じなかったのである。行為後の逆立ちも、それをやって小百合が満足するのなら、それもいいのではないかと思って協力しただけの話であり、何が何でも子供を作るために、そういった裏技を使うのだと意気込んでいたわけではない。


 それに、ブリードされる犬のように、子作りのため「だけ」の行為という考えは、僕にはあまり馴染まなかった。子供は欲しい。それは本心だ。


 だが、どちらかと言えば小百合と夫婦生活を楽しみたかったというのが本音だった。


 僕がアメリカ人であれば、ここで「君を愛しているから」云々と語れるのかもしれない。イタリア人であれば、小百合への愛を歌にして庭で片膝をつき、両腕を広げて大熱唱できるのかもしれない。


 だが、僕がそれをやろうとすると、僕はまず間違いなく爆発してしまうだろう。小百合だって、僕が爆発してまでそういった言葉を望んでいるとは思わない。ちなみに、他の国の男のことは知らない。


 よって、僕は彼女に簡潔に告げた。


「気にせず、のんびりやろう。できる時には、できるさ」


 彼女は頷いてくれた。よって、僕らは行為後の逆立ちを止めた。排卵日を気にすることもしなくなった。朝、目覚めると同時に体温計を手に取ることも。テレビの占いを気にすることも。冷え対策に大枚をはたくことも。精力がつくものばかりを食べることも。男性の劣等感を煽る広告を保存しておくこともしなくなった。


 そして二ヶ月後、小百合がトイレで叫んだ。


「線が二本っ! 陽性反応、出たっ!」


 僕は喜びを感じた。空でも飛べそうなくらい、気分が高まっていた。最高の気分だったが、とりあえずズボンくらいは履いてからトイレから出てきて欲しかったと、パンツ丸出しのまま尿が付いた検査薬を家族全員に見せて回っている小百合を見ながら、頭の片隅で思っていた。

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