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気絶してる場合じゃない。

 ロッキーが運転する車で、僕と小百合は病院に向かった。


 アイスクリーム屋を出て十分もしないうちに、小百合は断続的な下腹部の痛みに襲われるようになっていた。いわゆる陣痛というやつだ。


 この時点では、小百合はまだそこまで痛がってはいなかった。


 よくドラマや映画の中で、妊婦が「うっ!」と腹を押さえて蹲るシーンがある。その後は、お約束のように「痛い!」と絶叫し始めるのがパターンだが、現実の陣痛はなかなかそうはならないらしいと、僕はそれなりに勉強して知っていた。


 小百合の場合は破水から始まったが、少量の出血から始まるというパターンが多いらしい。その時点では、陣痛と呼べる陣痛など、ほとんど無いとのことだ。


 ジュリアナの言葉を借りれば「なんか、お腹が気になる。そんな感じよ」ということだ。「気になる」であって「痛い」ではない。そして「やっぱり気のせいかーってなる感じ。全く気にならなくなる」というジュリアナの言葉通り、陣痛は、確実に引く。「そしたら、それからしばらくして、またお腹が気になってくるんよ」ということである。


 実際の出産シーンを見たことなどない我々からしてみれば、ドラマの中の女優がやっているように、「うっ!」から始まり「ギャー!」となり、その状態が生まれるまで続くものだと考えがちだ。


 しかし、陣痛は最初は全く気にならない程度から始まる。そして消える。そして再び訪れるのだが、出産が近付くにつれて、その痛みは徐々に強くなり、痛みが引いてから再び襲ってくるまでの感覚が短くなっていく、とのことだ。


「最初からねえ、終盤の気が遠くなるような痛みが来たら、さすがに耐えられんやろ? だからねえ、痛みに馴れるために、少しずつ少しずつ痛みが強くなっていくんよ。絶対に産めるようになってるんよ。だから安心していいんよ」


 陣痛の合間、苦しんでいる小百合に向かって、助産師がそんなことを言っていた。


「妊娠前に比べて太ったと思うやろ? 気にせんでええんよ。最近は、妊娠しても太りたくないって妊婦さんが多いけどな、出産の時には絶対に血が流れるんやから。体重が四十キロしかない人と、五十キロある人だったら、ドバっと血が流れて、どっちが安全だと思う? 子供を守るためにもな、妊婦さんが元気に出産を終えるためにも、妊娠中に太るっていうのは大事なことなんよ」


 助産師の手が、小百合の腰を力強くさすっている。その言葉は、小百合に向かってというより、僕に……旦那である男に向かって言っているように聞こえた。


 ぼーっと見ているだけではなく、何かしろ。助産師が無言でそう言っている気がした。僕は、自分に何かできることはないだろうかと必死に考えを巡らせ、小百合の腰をさすることに挑戦しようと思い立った。


「もうっ! あんた、邪魔! 向こう行って!」


 マッサージを助産師と代わった瞬間、小百合からそんな言葉が飛んできた。思わず、助けを求めるように助産師を見てしまう。当然のように無視された。


「ヘタクソ! もう、痛い! そこじゃない! ああ、もう!」


 僕はめげずにマッサージを続けた。こんなことならマッサージの練習をしておけばよかった、と思うが、小百合にとっても出産は初めての経験なのだ。練習しようにも、感覚などまるで分からないのだから無意味だ、と後々気付いた。


 僕はおどおどしながらも、先ほどの助産師の手付きを真似しようと必死になった。強くと言われれば強くし、優しくと言われれば優しくした。


 そうこうしているうちに、陣痛の波が引き、小百合はぐったりとしてしまう。僕も一緒になってぐったりした。


 ほっとしたのも束の間、休憩する間もなく次の陣痛がやってくる。僕は慌てて小百合の腰をさすった。


「もう、無理っ! 無理、無理、無理っ!」


 人が人を生むということは、これほどまでに大変なことなのか、と苦しみ悶えている小百合を見て思った。正直、気絶している場合ではなかった。


 余裕があるときはともかく、終盤に向かえば息をつく間もない。小百合も汗だくだったが、自分も汗だくだった。


「もう少しよー!」


 助産師が言った。分娩室の電気が落とされ、やたら明るい医療用の照明が、胎児が出てくるその場所を照らす。トンネルを想像した。出口が明るく照らされている。


 迷うことはないはずだ。ここだ、ここに来い、と僕は強く願った。


 ややあって、緊迫した僕たちとは対照的に、飄々とした担当医が姿を表し、小百合の足の間に落ち着いた。同時に、スタッフの数も増え、邪魔だとばかりに僕は壁際に下がらされてしまった。


 せっかくなので、小百合の頭の方に回った。


「出てきたよー! 頭が見えてるよー!」


 助産師のその言葉に、小百合は少しばかり表情を変えた。長い戦いに終わりが見えている。もう少しだ、というその言葉は、僕が小百合に向けたどんな言葉よりも、彼女の励みになったようだ。


「力、入れてー! いきんで! 押すよー!」


 小百合の腹部の近くにいた看護師が、小百合の腹をリズム良く押し始める。そんなに押して大丈夫なのかと心配になったが、誰も何も言わないので大丈夫なのだろうということにした。


 初めて聞いた我が子の声、その姿は、決して忘れることはないだろう。テレビで見たとおりの新生児の姿をして、息子は生まれてきた。まさしく赤ん坊としか言い様がない声で泣きながら、息子は生まれてきた。


 感動だった。感動としか言い様がなかった。感動のあまり、僕はその場で気絶した。

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