32.なにをやっている?
私は小さなお屋敷を出ると、鬱蒼と茂った森に足を踏み入れた。
ところどころに、光苔が生えているおかげで、灯りをともさずに進める。
しばらく地面を見ながら、森の奥に進むと、パシャンと小さな水音が聞こえて来た。
そっと覗くと、そこには案の定、目的の魔鹿が水を飲んでいた。
周囲をよく見てみると、そこにはトゲトゲした下草が生えている。
追い込みを失敗すると、逃げられるだけじゃなく、擦り傷だらけになりそうだ。
私は、風向きを確認して、風上にそろそろと移動した。
まだ魔鹿には気がつかれていない。
魔鹿がもう一度、湖の水に口を付けた所で、背後から飛び出して、その首筋に小型のナイフを投げた。
グサッ
魔鹿は、湖の傍に倒れた。
そろそろと近づいて、周囲を見回すが、運がいいことに、そこには魔鹿以外の獣がいなかったようで、私はそのまま魔鹿を手に入れた。
「何をしているんだ、オノウ。」
ビックン
突然、背後からかけられた声に、慌てて後ろを振り向くと、そこには、なぜかラナ様がいた。
「ラナ様、なんで、ここに?」
ラナ様は、底が厚い軍用のブーツで、トゲトゲした下草を踏みつけて、やってきた。
「それは、俺のセリフだ。ここで、いったい、何をしているんだ、オノウ?」
私は、目を見開きながらも、とりあえず、状況を説明した。
「えっと、ですね。明日の食糧がなかったので、それの調達です。」
「なんでまた、森で食糧を調達するんだ。王都に買いにいけ。」
私は、その場で魔鹿の血抜きをしながら、答えた。
「王都の朝市で、食糧調達をしていては、朝食に間に合いません。」
「それは・・・。」
ラナ様は、口ごもったまま、何も言わなくなった。
その間も、私は魔鹿の血抜きをし、持っていた小型ナイフを振るうと、鹿を解体し始めた。
調味料の”純粋の塩”を振って、下味をつけながら、台所で見つけた魔法の袋に、その肉を詰めていく。
ラナ様は、口ごもったまま、何も言わずに、その様子を見ていた。
私は最後の一塊を残して、全て魔法の袋に、入れると、その場から立ち上がった。
ラナ様が、私が手に持っていた魔鹿肉を、不思議そうに見ていた。
私が立ち上がりながら、持っていた生肉を口に放り込んだのを見て、ラナ様は仰天したようだ。
「おい、大丈夫なのか?それ、生だぞ。」
何を慌てて、いるのだろうか。
私はラナ様に、生の魔鹿肉を差し出した。
「ラナ様も食べますか?美味しいですよ。」
ラナ様は、私が差し出した生の魔鹿肉を凝視していた。
「これ、食べられるのか?」
半信半疑のようだ。
「ええ、今、”純粋の塩”を振りましたから、大丈夫ですよ。」
「純粋の塩?」
「知りませんか。教会が魔物退治によく使う塩ですよ。これを魔物にかけると、溶けてトロトロになって、とっても美味しくなるんです。」
私はまた、一切れ口に放り込んだ。
さすがとれたてだ。
蕩け方が、半端じゃない。
うまい。
私が何個も、口に放り込むので、ラナ様も試しに食べたようだ。
途端、ラナ様の顔が歓喜に変わる。
「なんだ、この肉は!物凄くうまいぞ。」
私がもう一切れ渡すと、それを即座に、口に放り込む。
「口の中で蕩ける肉なんて、生まれて始めて食べた。」
私はラナ様の隣で昔と変わらない笑顔を見て、思った。
こんな顔で微笑む男の子がいるなんて、子供の私にわかるわけない。
私がラナ様を女性だと思っても、不思議じゃないよ、うん。
私がそう結論づけていると、ラナ様から手を差し出された。
私は黙って、その手に切った生の魔鹿肉を一切れのせた。
二人は、そのまま生の魔鹿肉を食べ歩きしながら、小さなお屋敷に向かった。