酒場にて②
「やぁお嬢ちゃん。一人かい?」
「……そうですが。何のご用でしょうか?」
涼やかな瞳で横目して、美女は男を見る。
予想通りのやりとりが始まったのを見て、ルプスが視線を外し、フィリアはジョッキを机に下ろす。
「なぁに。嬢ちゃん一人だと寂しいと思ってな。どうだい、俺らと一緒に飲まねぇかい?」
男の口上に、ルプスは声もなく失笑した。下心まる見えの男たちの口上に、もっと他に言い方があるだろうと、不用意ながら笑みがこぼれてしまう。
少し慌てて口元を掌で隠すが、幸いその笑みに男たちが気づいた様子はなかった。彼らは皆、美女に夢中だ。
そんな彼らに対して、女性はあくまで冷静に言葉を紡ぐ。
「ではお訊きしますが、貴方がたの中にフルーメンへの行き方をご存じの方はおいでですか?」
「フルーメン? あぁ、それぐらい知っているぜ」
女性の問いかけに、男たちの一人が首肯する。
それを見て、女性は双眸を細めた。
「では、御教えいただけますでしょうか? 私、そこで会いたい方がいるのです」
「んー。教えてやってもいいが、ただで教えてやるわけにはいかなねぇなぁ」
相手の粗野さにかかわらず丁寧な物腰で訊ねる女性であったが、当の男たちは下卑た表情をさらに卑しく感じさせるニヤケ顔で応じる。
ここまで来れば、次に男たちがどんな言葉を口にするかは手に取るように分かりきっていた。
それでも敢えて、女性は不審な表情で男たちに訊ねる。
「……と、申しますと?」
「まぁまずは、そんなことはさておいて一緒に飲もうぜ。そいで一晩楽しんでから、行き方だの何だのをなんでも教えてやるよ」
「お断りします」
品のない男たちの誘いを、女性はぴしゃりと拒んだ。
きっぱりとした口振りに男たちの表情が固まる中、それを尻目に女性は続ける。
「私は酒を飲みに来たわけでも、売女に身を窶しにきたわけでもございません。ただ、道のりを知りたいだけです」
可憐な声色ではきはきと言い切ると、彼女は男たちから視線を外す。凛とした拒絶の態度は、周りの下品な男たちを退けるという点で痛快さを感じさせた。
「教えて下さらないと言うなら結構です。お引き取りください」
「おいおい。それが人に物を頼む態度かぁ?」
涼しげな女性の態度に、それが不満だったのか男の一人が絡む。表情には、女性にあしらわれたことに対する苛立ちがあった。
「教えてやると言っているじゃねぇか。そのために一杯ぐらい付き合えよ」
「結構です。それに……」
「それに?」
「貴方がたのような軽薄な男性には全く興味はございません。お引き取りを」
先ほどまで慇懃であった女性であるが、粘着気味な男性たちを相手にしてついに本音を吐露する。冷たく切り捨てた女性の言葉に、ルプスやフィリアを始めとした遠巻きの聴衆が思わず笑みをこぼした。浮かぶのは男たちへの嘲りと、女性の言葉を支持する愉快さである。
一方で、女性に侮られる形となった男たちは、表情を羞恥と憤激で険しくした。
「この女、調子乗ってねぇか?」
「あぁ、乗ってるな。ふざけた物言いだ」
「俺たちを軽薄だと? 随分見下ろした言い方してくれるじゃねぇか」
自分たちの思い通りに話が進まないこと、また女性に軽く見られたことに業を煮やしたのか、男たちは険相で女性の周りを取り囲む。何をしようとしているかは、彼らの粗野な思考を読み取れば簡単に予想がつく。
物騒な雰囲気に移りつつある場の空気に、カウンターの奥に立つ酒場のマスターが焦る。
「お客さん。店内での暴力は――」
「うるせぇぞ爺! すぐに終わるから黙ってろ!」
「あーあ。気に喰わないわね~」
男の一人が声を荒げたところで、カウンター席に座るフィリアがわざとらしく声をあげた。
その声に、男たちや女性、そして酒場全体の聴衆の目が彼女へと集中する。
「道を尋ねているだけの女の人一人に、大の男が数人がかりだなんて。見ていてとっても不愉快」
「んだと、餓鬼? もう一遍言ってみろ!」
「男が女性一人を集団で取り囲むなんてかっこ悪いと言っているのよ」
嘲弄の微笑を浮かべながら、フィリアは席から立ち上がる。彼女が何をする気なのか分かったルプスは、彼女を横目で見ると小さな溜息を溢した。
そんな彼を尻目に、フィリアは首を傾けて、こちらを険しい形相で見てくる男たちに対して舌を出す。
「そんなに女の人をかどわかしたいのならば色町にでも行けばいいのよ。あーもっとも、アンタたちみたいな下衆、遊女さんがたもお断りでしょうけどね」
「調子乗ってんじゃねぇぞ、クソ餓鬼!」
侮蔑の言葉があっさり沸点を越えたのか、男たちは次々と懐に手をやって、そこから折り畳み式のナイフを取り出した。人を殺めることを可能な武器を出したことに、聴衆の一部はぎょっと身を竦ませる。
物騒な空気から危険な空気に変わる中、男たちは女性の包囲を解いて今度はフィリアを取り囲む。
「てめぇらやるぞ! 泣き叫んでも許すんじゃねぇぞ!」
「ふっふ~ん。それはこっちの台詞よ」
周りを囲む計五人の男に、フィリアは少しも動じることなく拳を鳴らす。その顔に緊張はなく、不敵と呼べる自信と余裕が浮かんでいた。
「アンタ達みたいな下衆野郎ども、ただじゃすまさないんだから」
「掛かれ!」
男の一人が号令を出すと、男たちは一斉にフィリアへと押し寄せた。その顔には、コケにされた事への怒りと、これから彼女を嬲ることに対する暗い愉悦が張り付いている。
襲い掛かる男たちを見て、朱髪の女性は「やめなさい」と少し焦りを含んだ制止の声をあげるが、男たちもフィリアも止まらなかった。
四方から襲い掛かるナイフの突きだが、そこに籠る殺意は薄い。男たちの目的はあくまでフィリアを痛い目に遭わせることであって、命までは取る気はないのだろう。せいぜい切り傷を付けて彼女を脅し、恐怖で泣き叫び許しを請わせることが目的の易しい刃であった。
そんな中途半端な攻撃が、フィリアに通用するはずもない。
彼女は最も自分に速く近づいてきた前方のナイフに狙いをつけると、自らそちらに近づきながら身体を横に開き、刺突を躱す。なんなく刃を避けたフィリアは、刺突でがら空きになった男の腹部へ左の拳を叩きこんだ。素早く振りぬかれた拳は男の胸部を捕えて、男を後方へ弾き飛ばす。
カウンター気味の一撃を受けて吹き飛んだ男を見送ることなく、フィリアはその場で左足を軸にして旋回する。初撃を躱された上仲間の一人が吹き飛んだことに動揺した斜め背後の男に対し、彼女は遠心力を込めたハイキックを振り払う。鼻面を捕えた一撃に、男は鼻腔から血を噴きだしながら後頭部より床に叩きつけられてバウンド、砕けた鼻を押えながら悶絶した。
瞬く間に二人を倒したフィリアは振り上げた右足を今度は軸にし、左脚を振り払って横手の男の首筋を強襲する。男の喉仏に突き刺さった爪先は、そいつをカウンター席へと突き飛ばし、背中から机と衝突させた。ルプスと美女の間に叩きつけられたそいつは、喉を押えながら床へと倒れ込み、呼吸困難に陥った様子で擦れた声を吐きながら床に額をこすりつける。
三人を瞬く間に打ち倒したフィリアに、残る二人の男は激昂して襲い掛かってきた。フィリアは左右から迫る両者を一瞥すると、左手の男へと自ら近づく。接近した彼女に、男はナイフを突きだして応戦するが、フィリアはそれを舞うように躱すと、突きだされたその腕を両腕でがっちりと掴む。その状態で彼女は体勢を反転、男の右腕を自らの右肩で担ぐと、男の足を払って彼を背負い投げる。狙いは、右手から迫っていたもう一人の男だ。一本背負いで宙に投げ出された男は、もう一人の男に背中から激突、彼ごと床に叩きつけられる。下敷きになった男も苦悶の声を上げる中、上に乗っかった男は横に転がり落ちて、憤怒の形相でフィリアを睨み据えた。
五人の男を見事転倒させたフィリアに、酒場の聴衆は痛快に感じたのか歓声を上げる。
その声を浴び、フィリアは得意げに腕を組み、対照的に男たちは羞恥と憤激で顔を真っ赤に変えた。
転倒していた男たちは、それぞれ攻撃を受けた箇所を押えながら立ち上がると、再び一斉にフィリアに襲い掛かる。
そんな様を、ルプスは麦酒を呷りながら一瞥していた。
彼はフィリアが戦っている姿を注視することなく、我関せずとばかりに酒を飲むことに集中していた。放っておいても大丈夫だろうと言うフィリアに対する信頼もあるが、それ以上に彼女が起こした厄介ごとに首を突っ込む気がなかったのである。
フィリアがまた誰かを投げ飛ばしたのか、歓声がひとしお大きく上がる中で、ルプスはカウンター席の奥で縮こまるマスターへと視線を移した。目線があうと、彼は頭を下げる。
「すまんなマスター。騒ぎをデカくして」
「あ、アンタあの娘の仲間だろう? 止めなくていいのかい?!」
暴れ回るフィリアについて何かと危惧しているのだろう、マスターの問いかけに、ルプスは首を振る。
「問題ない。痛い目に遭うのは、あのゴロツキどもだけ――」
涼しい顔で答えようとするルプスだったが、途中顔に苦痛の色が浮かべ言葉を区切った。
原因は、彼の右の腕だ。そこには、男たちが手にしていた折り畳み式のナイフが突き刺さっていた。
マスターがぎょっとする中、ルプスは無表情のまま背後に振り向く。そちらでは、フィリアが近寄ってきた男の一人の顎を下から打ち叩き、そいつを数歩後退させてから尻餅をつかせているところであった。
どうやらナイフは、そちらから飛んできたらしい。
それを悟ると、ルプスは大きく息を吐いてから立ち上がり、腕に刺さったナイフを抜く。その際、傷口から彼のどす黒い血が噴き出るが、それに気づいたのはマスターと朱髪の女性の二人だけだ。
彼らが目を丸くする中、ルプスはゆっくりとフィリアと男たちが争う一帯へと歩み寄る。
「――おい」
聴衆の歓声や無頼どもの怒号が響く中で、その声は静謐ながらよく届いた。
その声に、フィリアと、フィリアに再三襲い掛かろうとしていた男たちの動きが止まる。
「今、これを投げたのはどいつだ?」
自身の黒い血で濡れたナイフを持ち上げるルプスに、動きを止めた男たち一人一人に目を移す。
そしてやがて、自分の腕に刺さった際の角度と飛んできた方角から、ナイフの持ち主である男を認識した。
「お前だな」
「何だテメェ? お前もこの餓鬼の――」
「黙ってろ」
戦いの最中乱入してきたルプスに対して凄もうとした男に、ルプスは一瞬で距離を詰めた。
直後、豪音が轟く。
音の正体は、男が背中から勢いよく床に叩きつけられて発したものだ。
大きく床から跳ねあがったその男は、戦いとは関係のない客の足元まで転がると、ぐったりと横向きに倒れたまま動かなくなった。
何が起こったのか――茫然とする周囲の聴衆や無頼たちであるが、やがて男の顔面にくっきりと拳の痕が残っているのを見て理解した。ルプスはただ単に、男の顔面を殴り抜いただけだ。ただ、そのスピードがあまりにも異常で、客たちの目に映らなかったのである。
茫然と沈黙する周囲に対して、ルプスは残る無頼どもを見渡してから、その視線を先ほどまで華麗に戦っていた少女に固定する。
「フィリア」
「な、なに?」
「馬鹿どもの相手をするのは構わん。だが、やるんなら一撃で仕留めろ。ちまちま潰していても鬱陶しいだけだ」
そう言うと、ルプスの姿は陽炎の如く霞んだ。
次の瞬間、彼は右手前にいた男の眼前へと現れる。鼻血を垂らしたその男がルプスに気づいた直後、ソイツの側頭部を衝撃が襲った。ルプスが放った裏拳は男の頭蓋ごと脳を揺らし、男の足裏を床から引き剥がして横手のテーブルの上へ叩きつける。幸い客が陣取っていなかったテーブルは男が叩きつけられた衝撃で砕け、木片を飛び散らせながら真っ二つに折れた。
そいつを無視し、ルプスは更に前方の男へ肉迫する。仲間が二人卒倒したことに瞠目していた男は、目の前に現れたルプスに対し完全に無防備であった。そいつの鳩尾へとルプスは拳を突き上げ、流れるように前進すると、くの字に折れ曲がったそいつの首裏に手刀を振り下ろす。軽く振り下ろされた手は、しかし男の意識を容赦なく刈り取り、顔面から床に叩き伏せた。
新たに二人を昏倒させたルプスは、残る二人を見据えると、ゆっくりと歩き出す。その歩に周囲が沈黙する中で、無頼たちは慌てて両手を突きだす。
「ま、待てくれ。参った、これ以上は――」
「知るか」
許しを請う無頼を無視して、ルプスはそいつの目前へと移動、拳をその鼻っ面に叩きつける。鉄拳は男の鼻を頭蓋の奥に陥没させ、店の出入口へと男の身体を弾き返す。他の客の間を縫って吹き飛んだそいつは、背中から床に叩きつけられると数回跳ね、出口前で静止する。両手をだらしなく伸ばした状態で、男は白目を剥いて痙攣していた。
残る一人、ルプスが目を向けると、そいつはぎょっと身体を震わした後、咆哮を上げてルプスに斬りかかってきた。逃げても無駄だと考えたのだろう、一か八かの特攻を仕掛けたのである。
それは正しい判断であるとともに、ルプスに対しては無謀な選択肢であった。
振り払われるナイフをルプスは半身で躱すと、がら空きになったそいつの顔面へ左の掌底を振り抜く。掌は男の顎を捉えると歯を数本折りながら突き抜け、男を万歳させてよろめかせる。そんな相手へ、ルプスは駄目を押すように回し蹴りを放ち、先の男同様に、出口付近へと吹き飛ばす。顎の一撃で脳震盪を起こしていたそいつはその一打で意識を断たれ、受け身も取れぬまま床を跳ねていき、先の男の上に被さった。
全ての無頼を片付けたルプスは、あまりに凄絶な撃退に茫然とする酒場の観衆を歯牙にもかけず、両手を打ち鳴らしながら、側に立つ少女に目を向ける。
「フィリア。こいつらを店の外へ放り投げておけ。目障りだ」
「う、うん」
涼しげな顔で言うルプスが逆に怖かったのか、フィリアは少し怯えた様子で顎を引く。相方のあまりに激しい撃退劇に、彼女も思わず引いてしまったのだろう。
そんな彼女の反応を不審そうに双眸を細めてから、ルプスはカウンター席へと戻っていく。そのまま自分の席に座るかと思いきや、彼はカウンターの奥にいるマスターに対して小さく頭を下げた。
「済まない。騒がせたな」
「……いや。それよりアンタ、何者なんだ」
声を閉ざす周りの聴衆の心の裡を代弁するようにマスターが訊ねる。その言葉に対し、ルプスは答えようとはせず、懐から金貨を数枚取り出した。
「ごろつきとはいえ、こいつらを一瞬で――」
「これ、酒代と騒ぎを起こした謝礼分だ。あぁ……それと、アンタ」
マスターの言葉を半ばで無視して、ルプスは視線を席に座っていた朱髪の女性へと移した。
話が振られると思っていなかったのか、その声に女性は目を瞬かせる。
「なんでしょうか?」
「フルーメンへ行きたいんだったな。行くんなら、この街の南で一時間ごとに発車する馬車の定期便がある。それに乗って行くといい。今日はもう便がないから、早くても明日出発になるけれどな」
ルプスが告げた言葉の内容に、女性は驚いた様子で硬直する。
目を丸める彼女に僅かに微笑んだ後、ルプスは踵を返す。
「それじゃあな。もしかしたら、また会うことになるかもしれないが」
背を向けながら手を振ると、ルプスは出口に向かって歩いていった。その途中、のびていた無頼を二人ほど両腕で抱えると、一緒に店外へと連れ出して行く。
店を後にする彼を、朱髪の美女は瞬きをしながら見送るのだった。




