真実
ローズマリーの許を後にしたルプスは、フィロとジピンを探して村の中を彷徨っていた。
そんな折、ふと視界の隅で、こちらに対して手を挙げる影があるのに気が付く。振り返ってみると、そこではローブを身に纏った初老の男性が、にっこりと笑顔でこちらを見つめていた。その姿を見て、ルプスは微笑を浮かべながら近づいていく。
「先生ですか。どうかしましたか?」
「いえ。ただ、君を偶然見つけてね」
近付くと、ソフォスははにかむように笑いながらそう言葉を返してくる。後頭部に手をやって頭を掻いた後、彼はルプスの目をじっと見据える。聡明さを讃えた目で見つめられ、ルプスは笑みを消した。
「少し、一緒に歩きませんか」
「……いいですよ」
ソフォスからの誘いに、ルプスは頷いた。二人は並び立つと、村の北へと伸びる道を進みだす。道中、通行人の幾人かが声を掛けてくる。昨晩魔獣と魔王を追い払ったルプスたちの活躍は村中に知れ渡っており、その感謝から声を掛けてくる者は少なくなかった。
彼らの謝礼に程々に対応しながら、ルプスはソフォスを横目で見る。視線が合い、ソフォスおもむろに口を開いた。
「そういえば、結界が破られた原因を伝えていませんでしたね」
「あぁ。結局なんだったんですか、アレ」
訝しげにルプスは訊ねる。対魔獣のための結界がどうして破られたのか、その理由が気になる所だった。
「実は、魔獣に対する結界を張ったのですが、それに魔王へ対する耐性を付加させるのを怠っていましてね。結果、魔王によって結界の一部を削られて、そこから魔獣たちの侵入を許してしまったというわけです」
「うっかりってレベルじゃないでしょう、それは」
間抜けな発言に、ルプスはソフォスに向けるには珍しい厳しめの目付きで彼を見る。責める様なその視線に、ソフォスは苦い顔をしながら両手を差し出した。
「えぇ。魔王用の結界は作るのに時間が掛かりますから、翌日にやろうと思っていたんですよ。そうしたら、先に魔王が来てしまったわけです」
「今からでも遅くない。もう一度結界を強化しておいてください」
「気になるのですか。その、狼の魔王が言っていた『あの方』というのが」
心中を窺うような口調で、ソフォスはルプスに訊ねる。ヴノが言っていた最期の言葉は、昨日のうちにソフォスにも話していた。
彼からの問いに、ルプスは首肯する。
「あぁ。言葉を素直に受け取るならば、ベルム級以上の魔王が別にいるという意味でしょう。そうだとすれば、いつその別の魔王がこの村に現れたとしてもおかしくない」
「そう言うと思って、すでに結界を強化する準備は始めておきましたよ」
くすりと笑って、ソフォスはルプスが求める行動をすでに始めていると告げる。その言葉を聞いて、ルプスはやや安堵した表情となる。
「ですが、この結界が完全に発動するには正午を過ぎるのを待たなければなりません。もう少しだけ、時間が掛かります」
「その時間までに、魔王がこの村に現れないのを祈るしかないというわけか」
「えぇ。そういうことです」
ルプスが厳しい口調で言うと、それを聞いたソフォスは顎を引く。視線を前へと向けた彼は、並び歩くルプスの気配を感じ取りながら続ける。
「私はしばらくこの村に留まる気です。貴方は?」
「同じです。少しでもロゼの体調が整ってから出ることにしようと思っている」
「そうですか……。久しぶりの彼女はどうでしたか?」
やや笑みを溢しながらソフォスが言うと、その言葉にルプスは肩を震わせる。咄嗟に周囲に目を馳せ、村人などが近くにいないことを確認すると、彼は横目でソフォスを一瞥した。その目付きは、禽獣のように鋭い。
「その話は、人前でしないでください」
「今周りに人はいません。聞き耳を立てている人もね」
慌てるルプスをからかうように、ソフォスはくすりと笑みを溢しながら言う。その態度に、ルプスはげんなりした様子で顔をしかめてから、再び周囲に目を向ける。本当に誰も聞いていないか確認すると、彼は小さく溜息をつく。聞かれてはまずい話をされることに対する神経の集中を余儀なくされたことに対する疲れ、苛立ちがそこにはあった。
そんな彼の気苦労を知らずに、あるいは知った上で意地悪く、ソフォスはのほほんと続ける。
「それで、彼女が追って来た理由はどんなものでした?」
「……王国で王位継承権に関する騒動が起こっているらしい。それの影響で、誰かが彼女に連れ戻すよう命じたそうです」
「そうですか。しかし、彼女は容易には見つけられますまい」
横目でちらりと、ソフォスはルプスの表情を窺う。その視線に気づいたルプスは顔をしかめるが、それに構わずソフォスは平坦な笑みを浮かべる。
「あの頃とは、髪も瞳も色が変わってしまった。私が掛けた魔法の影響でね」
「そうですね。彼女が推理小説の主人公の探偵でもない限り、謎は解けないでしょう」
頷きつつ、ルプスは乾いた笑みを浮かべる。そこには、普段は憮然とした彼には珍しい複雑な感情の混合が表情となって浮かび上がっていた。
戸惑いや迷い、それらを露わにする彼に、ソフォスは問う。
「どうする気だい、ルプスくん――否」
切れ長な瞳を更に細め、横目でソフォスは彼の反応を窺がった。
「リオン王子」
その名に、ルプスは横目で視線を返した。瞳には郷愁と苦渋が、ほんのわずかに浮かび上がっている。
聞く者がいれば驚愕するだろう事実に、しかし当人たちは特に大きな表情の変化を見せることもなく、淡々としていた。
「能動的に何かをする気はないです。ただ、成り行きを見ている」
「王国へ帰る気はないのかい?」
ソフォスに尋ねられると、ルプスは言葉を選ぶように口を開閉させる。そこから具体的な言葉が出るのには、時間が掛かった。
「……今更帰る気はないですね。帰る理由がない」
「そうなると、彼女は悲しむでしょうね」
目を細め、ソフォスは言った。
「せっかく見つけたとしても、王子にその意思はない。なかなか残酷だとは思いませんか?」
「……俺を連れ出した、貴方が言いますか?」
失笑気味にルプスが言うと、その言葉にソフォスは口元に拳を寄せる。
「それもそうですね。私に言うそれを資格は――」
ないと、そう言おうとしたソフォスは、ふと不審げに顔を上げて眉根を寄せる。
その表情の変化に、ルプスは敏く勘付いた。
「どうしました?」
「……気のせいか。いや、違う」
口の中でぼそぼそと呟いた後、ソフォスはいきなりばっと反転した。今辿ってきた道の方角を向いた彼は、その顔に緊張感を漂わせている。
「南の方角から、何かが侵入してきました。かなりの存在感を伴った……」
「まさか――」
ソフォスの言葉に、その何かというものを察したルプスの表情にも緊張が走る。
二人は視線を合わせると顎を引く。そして同時に地面を蹴った村の南へと駆けだすのだった。
「やぁ。ちょっといいかな?」
柔らかい声が掛かり、遊んでいた子供たちは動きを止めて振り返った。
そこには、銀の髪に碧眼を持つ美青年が立っていた。今しがた村に入ったと言った様子のその青年は、膝に手をやり、柔らかい表情で、子供たちをやや上の位置から凝然と見下ろす。
「この村、何と言う村なんだい?」
「……ヴィクスだよ」
青年の問いに、子供の一人が答える。
その返答に、青年は顎に指を馳せて、丸めていた背をまっすぐ伸ばす。
「ヴィクスか……良い名だ」
顔を上げ、青年は村へと目を向ける。人々の活気には程遠いが、のんびりと豊かな雰囲気が漂う平和な村だ。それを見て、青年は笑みを深める。
「ありがとう。御礼をしないとね」
「何かくれるの?!」
純粋な子供たちは、青年の言葉からご褒美を予感あるいは期待したのか目を輝かせる。その反応に、青年は人差し指を唇の前で立ててにっこり微笑んだ。
「あぁ。素敵な世界へ連れて行ってあげる」
そう優しい声色で告げた直後――
笑顔を浮かべていた子供たちは、直後ぽかんと目を点にする。彼らの目の前の視界が、突如斜めにスライドしたのである。滑るように斜め下へ向かう視界は、やがてぐるりと前へ倒れこむ。そしてその直後、腹の辺りから熱が零れ落ちる感触と、言葉にし難い激痛が子供たちを襲った。子供たちは思わず泣き叫び、助けを求める。
そんな彼らに、青年はにっと邪悪に笑う。
「死の世界へねぇ!」
彼はそう言って両手を横で掲げると、その指先から放たれた熱線が左右の民家を貫通し、発火、途端に民家を紅蓮の炎で炎上させる。炎が巻き起こった民家の中からは、怒号とも悲鳴とも呼べる叫び声が響き出す、
その声を気持ちよさそうに聞きながら、青年は叫ぶ。
「さぁさ! 祭りの始まりだ!」
声は、村に現れた新たな魔王による惨劇の到来を予感させた。