王子の行方
「王子は……王子はどこにいる!」
剣を相手の首筋に突き立てながら、ローズマリーは刃の如き眼光で迫る。殺気を伴わせながら睨み据えられ、組み敷かれた相手・ソフォスは頬を強張らせた。
「王子、とは? 一体誰のことです?」
「惚けるなと言っている! 貴様が、貴様が連れ去った御方だ!」
訊ねる相手に烈火の如き怒りの形相で言い返すと、彼女はほんの僅かに刃をソフォスの首筋へ食い込ませる。意図的なものではない。憤り、興奮による無意識の行動だった。
「忘れたとは言わせない……。十年前、貴様は我が祖国から王子を拉致して姿を消した。王子を侫言で誑かし、かの御方を王国より奪い取った!」
「……なるほど。そう言われてみれば、確かにそんなこともあったね」
糾弾するローズマリーに対し、ソフォスは微笑を刻む。首筋に剣が突きつけられているのも気にせず、大した胆力だ。
彼はローズマリーの眼光から目を逸らすことなく、記憶から彼女の口にした過去を思い出す。
「カエルレウス王国の第六王位継承者、リオン・カエルレウスのことだね」
「そうだ! 今王子はどこにおわす? 吐け!」
剣を突きつけた状態で、ローズマリーは顔を近づける。額と額が当たりそうなほどに相貌を近づけた彼女は、答えなければこの場で首を刎ねると言った形相でソフォスの双眸を睨み据えていた。全神経が、目の前の男性に割かれている状態だ。
そのため、彼女は後ろから近づく気配に気づくのが遅れる。
「その辺にしておけ」
言いながら、ルプスはローズマリーを背後より羽交い絞めにする。両脇の下に回された腕で彼女を拘束すると、馬乗り状態だった彼女の身体をソフォスの許から引き剥がす。その勢いで、ローズマリーが握っていた剣は足下にこぼれ落ち、彼女の身体はルプスごと床へと叩き落とされた。
「ッ! 離せルプス! 私は今――」
「離せるか。先生に剣を突き立てる奴を見過ごすわけにはいかない」
拘束を振り解こうと抵抗する彼女に、ルプスは静謐だが憤りで滲んだ声で答える。その双眸には、彼女の凶行に対する怒りの色もあった。
「お前が先生に危害を加える気なら、俺はお前の敵だ。先生には指一本触れさせない」
そう言うと、ルプスは彼女の両脇下から腕を解き、くるりと彼女の身を床の上で転がしながらその上にのしかかる。ローズマリーを押し倒した彼は、腰の刀を抜くとそれを彼女の首筋へと立てた。
ちょうど、先ほどローズマリーがソフォスに対して取ったような体勢になり、ルプスは目を細めて下敷きになって怒りの色を見せる彼女を見下ろす。そして、彼女に対して何事か口を開いた。
「その辺にしておきなさい、ルプス」
ルプスの口から言葉が発せられるより先に、ルプスの肩を背後からソフォスが掴んだ。
「女性を相手にこのような脅しをかけるものじゃありません。私なら大丈夫です。傷一つありません」
「……それは、俺がこいつを止めたからでしょう」
健在をアピールするソフォスに、ルプスは思いのほか冷然とした口調で言葉を返した。
「俺が止めに入らなかったら、あのまま首筋を切られていても不思議じゃなかった。それだけの殺気を、こいつは放っていた」
「ですが、現に私はこうして無事だ。彼女には彼女の事情がある。それに、耳を傾ける気はありませんか?」
警戒と緊張で全身を撓めるルプスに、ソフォスはあくまで柔和な態度で言う。
そんな彼の言葉を聞きながら、ルプスはローズマリーから目を離さない。右手で刀を、左手で彼女の喉笛を固定する中で、ローズマリーはこうやって組み敷かれていることに対する恥辱から険しい表情を浮かべていた。
「俺が剣を引けば、またこいつが斬りかかってくる可能性もありますよ?」
「構いませんよ。先ほどは不意打ちでしたが、次来た時は対応できますので」
そう言って、ソフォスはルプスの肩を掴んだ手の握力を強める。思いのほか強い圧迫感に、ルプスはややあってから刀を引き、ローズマリーの拘束を解いた。
彼の股下から解放された彼女は、しかしそこに喜びや安堵はなく、ただ悔しげに下唇を噛んで身を起こす。敵に等しい相手の言葉によって解き放たれたことに対する屈辱感が、彼女の胸中では燻っていた。
そんな彼女へ、ソフォスはベッドの縁に再び腰を下ろしながら首を傾ける。
「さて。ではルプス君にも分かるように順を追って話すとしましょう。君の名は?」
「貴様に名乗る名前などない」
立ち上がりながら、ローズマリーはソフォスを睨みつけた。本来ならば剣の刃を突きつけたいところであるが、床に転がっていた彼女の剣はルプスにより取り上げられている。
「左様ですか。では、貴女が私の許を尋ねてきた理由について、もう一度話してくれませんか?」
「貴様に攫われた我が国の王子の行方を知るためだ。王子は今、どこにいる!」
拳を握りながら、ローズマリーは怒号に等しい声量でソフォスに訊ねる。
「十年前、我が国を訪れた貴様は、当時まだ幼少であった王子を誑かし、王宮から王子を連れ去った! 我らの捜索の目を掻い潜って我が国を脱出した貴様は、その後も行方が分からなかった。それが最近になって、この地域にいることが分かり――」
「王子の居場所を知るために、私の許へやって来たと」
ようやく事の次第を把握したソフォスは、納得の表情で顎を引く。同時に指をその顎に馳せ、思案する様に目を細めた。
そんな彼へ、ローズマリーは猶も言う。
「そうだ。私は王子を、貴様から取り戻すべくこの地へ来た。王子はどこだ! 今どこで、何をしている?!」
怒気に染まった双眸で、彼女はソフォスを睨みつけた。答えなければただではすまさない――武器である剣を取り上げられているにもかかわらず、相手をそう威圧して震え上がらせるには充分過ぎる眼光の圧力である。
その表情にルプスが頬を強張らせる中、当のソフォスは視線をずらして思案する。
「……思い出した。君は確か、リオン君の横にいつもいた少女だね」
ふと、ソフォスは彼女の問いとは関係ない事柄に触れた。喜色を浮かべる彼に、ローズマリーは口を閉ざす。
「確か名は……ロゼだったか。いや、あれは愛称だと聞いていたな。本名は――」
「話を誤魔化すんじゃない! 私の質問に答えろ!」
質問を無視して雑談をし始めようとする相手に、ローズマリーは怒りの声を上げる。思わず詰め寄ろうとしたその動きに、ルプスが片腕を出してそれを制止させた。瞬間、二人の目が合うが、憤怒のローズマリーの目線にルプスは冷たい目で応じ、互いに退くことなく視線を逸らす。
「あぁ、すまないね。リオン君の行方、か……」
二人の眼光の衝突を尻目に、ソフォスは彼女の問いに対して思案のポーズを取る。
数秒間の沈黙の後、彼は目を伏せた。
「残念だけれど、教えるわけにはいかないな。彼とは一つ、契約を結んでいてね」
「……契約?」
「そう。たとえ誰が自分の事を訪ねてきたとしても、絶対にその居場所を教えるなというね」
申し訳なさそうにしながら、ソフォスは言う。
その返答に、ローズマリーは当然納得するはずがない。
「ふざけるな! 何が契約だ! 答えをはぐらかすな!」
「すまないね。けれどこれは、彼が自ら私に対してしてきたものなんだ。彼の意思が変わらない限り、私には君に彼の居場所を告げる権利はない」
並みならぬローズマリーの怒気を相変わらず涼しい顔で受け流しながら、ソフォスは断った。そこには、どんなに彼女が詰め寄って来ようとも絶対に答えはしないという意思が籠っている。
「ただ、彼は今も元気だよ。何一つとして不自由を被っていることはないし、自分の生きたい様に生きている」
そう言うと、ソフォスはルプスを一瞥し、ローズマリーへと視線を戻した。
「私が君に答えられるのはこれぐらいだな。彼の居場所は教えられないけれど、彼が今も健在であることは間違いない」
「私が訊きたいのは王子の行方だと言っている!」
再三に渡る回答の拒否に耐えかねたのか、彼女はついにソフォスの胸倉を掴み取ろうとする。それを横手からルプスが妨害した。彼は彼女をその場で取り押さえると、そのまま膂力で彼女の動きを封じる。取り押さえられたローズマリーだが、しかし彼女はそこでおとなしくすることなく、抵抗を試みながら口を開く。
「私は、私は王子を探し出さなければならない! 何が何でも、どのような手を使おうとも!」
「……何か、事情があるようだね」
決して退こうとしない彼女の態度に、ソフォスは不意に目を細める。切れ長な双眸がさらに細まると、怜悧な刃のような眼光が湛えられた。
「一体何があったというんだい? 彼を見つけなければならない、火急の問題でも生じているのかな?」
「ッ! 貴様如きに教えられることではない! 私は――」
「お邪魔しま~す」
何やら言い返そうとしたローズマリーの言葉を、この場の緊張にはそぐわない能天気な声が打ち消した。
声のした方向にルプスは目を向けると、部屋の扉の向こう側に立つ緑髪の少女の姿を捉える。快活なその表情を見て、ルプスはローズマリーを押えた体勢のままげんなりと表情を歪めた。
「ロゼ、ソフォスさんには会え、た?」
明るい声で部屋の中に入ってきたフィリアであったが、室内に入ったところで場の空気に気づき、その状況に硬直した。部屋では、ソフォスを前にルプスとローズマリーが取っ組み合っている。流石の彼女でも状況を察したらしい。
「えっと……これ、どういう状況?」
「餓鬼には難しい展開だ。出ていけ」
苛立ちに染まった声でルプスが言うと、その言葉にフィリアは反射的に反抗的な顔つきとなる。が、すぐに現場の状況を思いだし、その言葉がとても的を得ている発言に思えて、戸惑いを浮かべた。ルプスの言う通り、自分はここを出た方がよいのではという思いが顔に出る。
そんな彼女に、一人のほほんとソフォスが手を挙げた。
「やぁ、フィリア君。息災のようで何よりだ」
「……何が、あったんですか?」
「なに。少し意見の食い違いがあっただけさ。ところで、ティグリスは元気かい?」
「パパなら、いつも通りです。ところで意見の食い違いって……」
不安そうに、フィリアは部屋を見渡す。その視線が、こちらに対して背を向けたままのローズマリーに行き着く。
「……ロゼ。どうしてそんなに怒っているの?」
「貴女には関係のない話よ」
普段にはない冷たい、突き放すような声色に、フィリアは肩を震わせた。その表情は、親に叱られた幼児のように不安に染まっている。
「ソフォスさん……」
「どうしても、王子の行方を知りたいのかい?」
フィリアが戸惑いながら出した呼びかけに応じず、ソフォスはローズマリーに対してそう訊ねる。その言葉に、彼女は即座に反応した。
「言ったはずです。何が何でも、私は王子の居場所を突き止めなければならない」
「そうかい。だが、私に彼の居場所を教えることはできない。さっき言った契約があるからね。しかし、何の手掛かりも口に出すなとまでは言われていない」
そのように言うと、ソフォスは人の好い笑みを浮かべてローズマリーを見る。瞠目する彼女に、彼は右手を持ち上げる。
「ヒントその一。彼は今この国、ポリティス・シマヒヤ都市連盟国内にいる。絶対に(・・・)ね」
持ち上げた右手から人差し指を立てて、彼は言う。その言葉に、ローズマリーの顔つきが変わった。それを確認してから、ソフォスは中指を立てる。
「ヒントその二。君がどのような経路で私の許へ尋ねて来たかは知らないが、その経路で君は彼がいる場所を間違いなく通っている」
「えっ!?」
ソフォスが開示した情報に、ローズマリーは驚きの声を上げる。話の内容をよく理解していないフィリアが首を傾げ、ルプスが目を細める中で、彼女は身を乗り出す。
「それはどういうこと――」
「ヒントその三。彼は昔のままじゃない。君の記憶にある彼と、今の彼の姿は大きく乖離している。自分の記憶の中にある彼の面影を追っていては、到底彼を見つけられない」
ローズマリーの言葉を完全に無視し、ソフォスは一方的に情報を伝える。薬指を立てて都合三本を立てた右手は、言葉の終了と共に下げられた。
「私があげられるヒントはこれぐらいだ。これ以上のヒントを出せば彼に怒られそうだからね」
「……それは、本当なのだな?」
急に与えられた三つの情報に、ローズマリーは真剣な眼差しで問う。
「本当に、王子はこの国に、私の通ってきた場所にいて、私の知る王子とは別の姿でいるというのだな?」
「あぁ、そうだよ。間違いない」
情報を要約して確認する彼女に、ソフォスは迷うことなく頷いた。それを見て、彼女はしばし茫然と固まり、視線を床へと落とす。
「気は済んだか?」
黙り込んだ彼女に、ルプスが訊ねる。その問いに対する反応は、数秒の沈黙を経て返ってきた。
「……大分な。もっとも、まだ怒りはあるが」
「許してもらえるとは思っていないよ。何せ、私が君たちの国の王子を誑かしたのは事実――」
笑みを携えながら言葉を発していたソフォスだが、その途中、不自然なタイミングで言葉を切るとベッドの縁から立ち上がった。
急に身を起こして目を細める彼に、ルプスは不審さを覚えて眉根を寄せる。
「どうした、先生?」
「結界がおかしい」
「なに?」
眉間に皺を刻むルプスに、ソフォスは言う。
「対魔獣用の結界が、一部欠落された。何かが、入ってくる……!」
言いながら、ソフォスは目を見開いてルプスに振り向く。その表情は切迫していた。
「ルプス、急ぎ村の南東に向かってくれ! 魔獣が村に向けて侵入してきた!」
「魔獣が? 先生の結界はどうした?」
「一部削られた。そこから魔獣が入ってきている。結構な数だ」
苦い表情で告げられ、ルプスはすぐに頭を回転させる。彼の状況判断は早い。
「分かった。先生は?」
「結界を再構築したら向かう。フィリア、君も南東へ向かって、周辺にいる村民を避難させてくれ」
「は、はい」
ソフォスが指示を飛ばすと、それを受けてフィリアが返事する。同時に、一同は忙しく動き出した。ソフォスとフィリアは素早く部屋を出る構えを見せ、ローズマリーを取り押さえていたルプスは彼女から手を離すと同時に回収していた彼女の剣を返した。
「ロゼ、お前もフィリアと一緒に村民の避難誘導を頼む。魔獣は俺が引き受ける」
「……分かったわ」
ルプス同様に飲み込みの早いローズマリーは、頷きながら剣を受け取り、それを鞘に収めながら踵を返す。先んじて部屋を出たフィリアとソフォスに続く。
「それから、二度と先生に剣を抜くな。今度抜いたら、ただじゃすまさねぇからな」
「貴方に許可を取る必要があるの?」
鋭い囁きは、刃のように鋭利だった。横目で見下ろすと、彼女は前を睨み据えながら、
「私はあの男を許さない。絶対にね」
「……止そう。今は魔獣退治が先決だ」
再び悶着を起こしそうな会話に、ルプスは話を切ることを選択した。ここで言い争うよりも、今自分たちが為すべきことは別にある。
彼のその判断に、ローズマリーも顎を引いて同意した。