プロローグ
豚の首が飛ぶ。
薄汚れた血潮を背景に刎ね跳んだ首は、宙を錐揉み回転してから地面に墜落すると、鈍い音を立てて中の果実を地表にばら撒く。赤く滲んだ汚らしい脳漿を視界に収め、手にする刃に血を滴らせた青年は唾を吐き捨てる。
青年の周囲は、今しがた斬り飛ばしたのと同型の豚の顔が、ぐるりと彼らを取り囲んでいた。
緑色の肌を持ち、人類と同じ二足歩行で身丈はやや小柄な彼らは、『オーク』と呼ばれる亜人の一種だ。亜人の中でもとりわけ醜悪な容姿といわれる種族で、また思考も人類というより獣に近い野蛮な存在ということでよく知られている。
そんなオークらは今、その手に斧や棍棒といった物騒な得物を、その身には革製の防具が装着して、青年たちを包囲していた。その総計は二十を数え、数の上では明らかに利を持っている。
ただ、青年の顔には不利を悟った様子は見受けられない。あるのは鬱陶しさと煩わしさの二点だけだ。
「
囲まれちゃったね」
声は、青年の背後からだ。彼とは背中を合わせる形で、そこには緑髪の少女が佇んでいた。見た目は八割方人類であるが、頬の部分が硬質な青の鱗となっている。年の瀬は十五・六、陽気そうな顔立ちの彼女の声に、青年は頬を引き攣らせた。
「誰のせいでこうなったと思っている?」
「ごめんごめん。でも、過ぎたことは仕方ないじゃない?」
「少しは反省しろ」
分かっていた返答に、青年は鬱蒼を胸に言い捨てる。
事態を憂える吐息をつくと、それで気持ちを切り替えたのか、青年は双眸に鋭い眼光を湛えながら両手に握る二本の刀を横手で縦に振るう。
怜悧になった黒髪黒瞳の相貌で、青年は一歩進みだす。
「三分の一、任せる」
「えぇ~。半数で分けようよ」
「……好きにしろ」
鬱陶しそうに言うやいなや、青年は地面を蹴って自らを取り囲むオークの一角へ斬り込んだ。
疾い。
瞬く間に距離を詰めた青年は、身構えようとするオークを無視して右の刀を叩きつける。振り下ろされた刃はオークの頭頂から顎までを切り裂き、血飛沫を宙に散らす。顔を裂かれたそいつは、斬撃の勢いに引かれて顔面から地面に衝突、脳や中身を地面にぶち撒けた。
一体目を沈めるや、青年は横へとステップを刻み、次の一体へ迫る。斧を構えた相手に対し、青年はその凶器を恐れずに懐へと飛び込むと、相手が斧を振りかぶるのを見て左の刃を薙ぎ払った。銀の閃光はそいつの腕ごと首を切断し、血煙を巻き上げながら両腕と頭部を背後へと弾き飛ばす。頭と腕を失ったオークの肢体は、数歩よろめいてから後ろに仰向けに倒れ込んだ。
二体目も瞬殺した青年に、オークたちは怒りの咆哮を上げて襲い掛かる。左右から三体、合わせて六体のオークが青年を取り囲むように動いた後、六方から彼を撲殺せんと得物を振り上げながら肉迫してきた。それを見た青年は、右手の刀を逆手に握り直して両腕を折り畳み、視覚と直感で、周囲のオークたちが自らの刃圏に入ってくるタイミングを計る。オークらは、一斉に青年の間合いへと足を踏み入れてきた。
刹那、銀の旋風が空間を切り裂く。
右足を軸に青年は身体を回転、円弧を描く様な軌跡で刀を振り抜き、刃圏に足を踏み入れたオークたちの腹部や首筋に斬撃を見舞った。一瞬の超高速で薙がれた閃撃に、呼応するように血の噴水が巻き起こる。前進していたオークたちは後方へ弾き返され、ある者は首を刎ね飛ばされたために数歩よろめいてから崩れ落ち、ある者は胴部を切断されたことで肉体を上下に分かたれ、切断面から血潮を上げると共に断末魔の悲鳴を迸らせた。
宙を舞った血流と肉片が地面へと落ちる中、その中心にいる青年は血の一部を頬に浴びつつ、左方に目をやって地面を蹴る。
そこに並び立つ四体のオークに次の狙いを絞った青年は、足下に出来た血だまりを踏み越えながら肉迫していく。
一体目。こちらに気づいて武器を構える相手の横手へと滑り込んだ青年は、駆け抜けざま首筋に右の刀を斜めに振り下ろして刎頸。オークの頭部を前方へ投げ飛ばし、地面に叩きつける。
二体目。血飛沫を背後に迫る自分に斧を振り下ろした相手の攻撃を、青年は右手へと旋回して避けると、その勢いのまま左の刀を斜めに振り下ろす。刃はオークの背中から侵入して革の防具ごと腹部を切断、上体が宙を舞い、血飛沫を撒き散らしながら地面へと落下した。
三体目。二体目の傍らを通り過ぎて迫る青年に、オークは棍棒を斜めに振り下ろしてくる。こめかみ辺りを狙った攻撃に、青年は体勢を低くしてそれを頭上に躱すと、返す刃を下から振り上げた。跳ね上がった右の斬撃は、手首ごとオークの胸部から頭頂までを切断。衝撃でオークを後方へと弾かせ、血煙と共に背中から地面へ衝突させた。
四体目。もはや敵わないと見たのか、背中を見せて逃げ出す相手を青年は逃さない。背後に追いついた彼は左の斬撃を横に薙ぎ、背後からオークの首を刎ね上げる。錐揉み回転しながら宙を舞った首は、横手に生える木の幹へと衝突して、鈍い音と共に砕け散った。
視界に入っていたオークをすべて葬った青年は、残るオークを確認すべく背後へ振り返る。
だが、そちら側でも、既に立っているオークの姿は確認できなかった。あるのは、血糊で濡れた長剣を携えた少女が一人、オークの死骸の中で突っ立っている光景だ。
それを見て、青年は小さく息をついてから、刃に付いた血糊を振り落とし、左右の刀を鞘へと納める。そして、少女の許へと歩み出した。
足下には血だまりとオークの死骸が転がる中で、それらを飛び越えながら青年が近づくと、少女は笑みを浮かべて振り向いた。
「うん。やっぱり、大したことなかったねー」
朗らかな少女の声に、青年は目を細める。
「どうルプス。私の活躍ちゃんと見てた?」
「少しは反省しろ」
ぶっきらぼうに、苛立ちも込めて青年は言葉を返す。その剣幕に、少女の笑みがぎこちなく固まる。
「な、なによ。もしかして怒っているの?」
「当然だ」
「何でよ。きちんと依頼通り、オークの盗賊団は壊滅させたんだから、少しぐらい大目に――」
「これは本隊じゃない」
「え?」
目を点にする少女に対し、青年は懐から煙草の箱を取り出し、そこから一本口に挟むと周囲を見渡した。
「これは盗賊団の一部だ。本隊ならば数はもっと多いだろうし、首領と思しき個体もいるはずだ。こいつらはいわば尖兵であって精鋭ではない。本拠はもっと山奥にある」
そう言って、青年は視線を斜め上へと持ち上げる。青年たちがいる開けた空間の向こう側には草木が生い茂り、深い緑色で包まれた森林が続いていた。薄暗くなっているそちら側には人の往来する山道はなく、動物だけが使うか細い獣道があるだけだ。
マッチで煙草の先に点火させると、青年はそちらに向けて歩き出す。
「第一、依頼内容にもあっただろ。盗賊団の規模は少なくとも五十体近くだと。そんなことも頭に入れ忘れたのか、この役立たずめ」
「うっ……」
「まぁいい。行くぞ」
言葉を詰まらせて身を縮ませる少女の態度を見て、青年は鼻を鳴らした後、口腔から紫煙を吐き出しながら少女を手招きする。
青年は山の奥へと向かうべく歩き出すが、少女が続いてこないのに気が付くと足を止め、胡乱気に振り向く。
「どうした? 早く行くぞ」
その声に、少女は一瞬驚いた様子で固まるが、すぐに顔色を輝かせ、それからやや得意げな顔となって彼に歩み寄ってくる。
「もう。なんだかんだ言って私の力が必要ってことね。このツンデレめ!」
「調子に乗るな」
そう言って、青年は少女の額に手刀を叩きこんだ。
勢いよく吸い込まれたそれに、少女は衝撃の後すぐさま抗議の声を上げるが、青年がそれをまともに取り合うことはしない。
少女の罵声に煙草の煙をたゆたわせながら、青年は先に倒したオークたちの本隊がいると思われる、山の奥地に向けて歩き始めるのだった。