表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/20

僕を見捨てないでください


「ゆーくん。帰って来たみたいだよ? 部屋に明かりがついた」

「そうか。よし」


 俺は鼻をかんだティッシュをゴミ箱に捨て、立ち上がった。

 抜け毛の症状は治まったが、風邪は引いたままだ。

「……言っておくけどな、らう。これは俺ひとりの事じゃないぞ。この町に住んでいる全員に関係する事なんだ。ふぅちゃんに菓子を貢がなければ、この町全域にとんでもない病が蔓延する。この極めて重大な問題を知っているのは、人間では俺だけだ。だから俺は、これを食い止めるんだ。今の俺に課せられた使命なんだ!」

「ゆーくん、お菓子を貰う言い訳にしては、事が大きすぎない?」

「……」

 少し大仰過ぎたか?

 いや。決してそんな事はない。


 らうを通じて俺は、ふぅちゃんの事を——疫病神の事を聞き出していた。

 疫病神の齎す流行病は近年、その威力を増している。数年前のSARSをはじめ、今、世界を揺るがしている鳥インフルエンザも、疫病神のせいだ。

 PM2.5も、疫病神のせいだ。

 世に蔓延る中二病も、俺に彼女ができないのも、疫病神のせいだ。

 だから俺は、これら病が拡散してしまう前に、ふぅちゃんの気を鎮めなければならない。鎮めるには地鎮祭のような事をする必要がある。


 ノートパソコンが壊れたので携帯電話を使いネット検索したところ、疫病送りという儀式の存在を知った。なんでもこれは疫病神を村の外へ送り出す儀式で、藁人形に疫病神を憑依させ、川や海へ流してしまうのだという。

 だが、残念な事に俺の住んでいる近所に川や海はない。遠出をすれば海へと注ぐ一級河川があるけど、俺にその河川敷まで行くだけの体力と気力がない。苦肉の策として、ふぅちゃんに菓子を献上し、鎮まっていただく——この方法しか残されていない。


 もしも俺がしくじってしまえば、病はこの町に留まらず全国各地に、いや世界中に伝染し、この惑星は死の星となってしまうだろう。となれば、多くの命が失われてしまう。

 俺に課せられた使命は一刻を争うのだ。


「らう、ふぅちゃんはどうしてる?」

「ちょうど今、寝たところ。見て、かわいい寝顔。ほっぺたツンツン」

「……」

 俺の布団で、ふぅちゃんはスヤスヤおねむだった。このまま外に放り投げてやろうかと思ったが、やっぱりバチが当たるんだろうと悟り、俺はらうに命令する。

「ふぅちゃんを背負ってやれ。俺は触りたくない」

 行くぞ、と言って、俺は窓から外に出た。






 昨日と同じく、りっちゃんの部屋の窓はカーテンが閉めてあった。

 一刻を争うので、俺は屋根をヒタヒタヒタヒタ小走りで駆けて、部屋の窓に鍵がかかっていなかった事もあり、ガラガラガラガラ開けて——飛び込んだ。

「昨日は本当にゴメン、りっちゃん! 実は昨日に引き続いて大事な話があるんだ!!」


「ひぃっ!」

 声にならない悲鳴が聞こえた。

 柔らかなベッドに着地したのは昨日と同じだったが、ふと顔を上げたら。

 部屋着に着替え中のりっちゃん——あ、非常にマズい。

 無地のキャミソールを脱いだところ。純白のブラジャーが目に眩しい。しかもショートパンツも脱いでいて、それってパンティーってやつか? ……始めて見る。リボンついているんだね。


 キャミソールで前を隠してりっちゃんは、

「出てって! ゆーくん!! 何考えんのよ! バカじゃないの? ってかバカでしょ!!」

「だっ、大丈夫だ! りっちゃん落ち着いてくれ!! 俺はそんな姿に興奮しないから! 正確には興奮しても性欲は吸われて消えちゃうからさ! でも着替え終わるまで外で待ってるよ!!」

「早く出てけ! ばかぁぁああ!!」

 下着姿のりっちゃんに分厚い教科書を投げつけられてしまっては、俺は退陣するほかなかった。


 りっちゃんの裸身を脳裏に焼き付けて待つこと数分。

「入りなさいよ、どーせ下らない事なんでしょうけど。話くらい聞いてあげるわ」

 お許しが出たので、俺は遠慮なしに上がらせてもらう。

 次いで、ふぅちゃんを背負ったらうもりっちゃんの部屋に入室。


 咳払いをして俺は、

「えー……こちらにいるのは、」

「知ってるわ、貧乏神でしょ。で、話ってなんなの」

 あからさまにイライラした様子だ。

 りっちゃんの前では、俺は肩身の狭い身分なので手短に話をする。


「らうが背中に背負っている人物を見てほしい」

「ああ? なに、誰? ……あら可愛い。子どもじゃない」

「そうなんだ。けど、ただの子どもじゃない。こちら、疫病神のふぅちゃん」

「はい?」

「疫病神です、はい。引越して来たそうです」

「……ゆーくん」

 りっちゃんは怒りに体を震わせ、顔を真っ赤にして言う。


「変なビョーキ、持ってこないで」

「性病みたいに言わないでくれ。とりあえず話を、」

「いいから! すぐに持ち帰って! 持ち帰れ! その子、ここに置いてかないでよ!? 不幸のおすそ分けは要らないわ!」

「しーっ! しーっ! 大声出したら起きるだろ!」

 泣き出すと大変な事になるんだ。世界が滅ぶ。


「疫病神って人間に取り憑く貧乏神とは違って、地域に憑くんだ。んで、この地域に引越して来たふぅちゃんを鎮めるために、というか俺の部屋から追い出したいから、」

「ここに置いてかないでよ」

 キッパリ言い切るりっちゃん。激怒のあまり俺に殴り掛かる勢いだ。

 ま、待って。最後まで話を聞いてくれ。


「ふぅちゃんを鎮めるために、菓子をわけてくれないか?」

 菓子さえあれば、ふぅちゃんを鎮める事が出来るんだ。

「既に俺の菓子は食べられてしまってない。コンビニへ買いに行こうにも……恥ずかしい事に、俺は外に出たくない」

「……外に出たくないって、今ここに来てるじゃない」

 そうなんだけど、違うんだ。

 屋根の上と、りっちゃんの部屋は、俺の部屋の延長線みたいなもんで平気なんだ。


「随分と都合よく出来てるわね、ゆーくん。どういう神経してんの?」

 そういう体質になってしまったんだ。らうに取り憑かれてしまって。

 誠に申し訳ない相済みません。

「…………ちょっと待ってなさい」

 話を飲み込んでくれたのか、りっちゃんは部屋を出て行く。


 出て行く間際に、俺はりっちゃんに、

「ガムと飴が好みっぽい」

「リクエストは受け付けてない! 図々しいわよ」

 ふんっと鼻を鳴らして、りっちゃんは部屋を出て行った。


 しばらくして、両手いっぱいに菓子を持って来てくれた。

 ——その菓子を俺に突き出してりっちゃんは、らうの顔を見て言った。

「ねえ、聞いていい?」

「私に?」

 突然話を振られて、らうの表情に驚きが浮かぶ。

 りっちゃんは妙に落ち着いていて、何か考えを巡らしているようだ。


「ゆーくんとは保育園の頃から一緒。その頃から人付き合いは苦手だったと思う、今振り返ると。だけど頭は良かった。私よりね、高校2年までは。……3年になってから、まるで別人になっちゃった。成績は学年最下位になったし、対人恐怖症にもなっちゃった。これって、あなたがゆーくんに取り憑いたからでしょ」

 最後の台詞は少し怒っているように聞こえた。

「そうですね、その通りです」

 らうのその言葉は、りっちゃんに対抗するかのように強気だった。


 俺は、少し怖くなって後ずさりした。

 互いに、互いの名前を言わないのが怖かった。


 ふぅちゃんを背中からおろしてらうは、

「たくさん養分を吸い取ってます。そりゃもう四六時中」

「もしあなたが、今からでも、ゆーくんから離れたら……ゆーくんはどうなるの?」

「今からですか〜? そうですねえ……。将来図は変わってしまいましたけど、元はゆーくん有望株なので、結構な立場まで回復するんじゃないですかねえ。まだまだ若いですし、やる気もある。そこらの男とは意欲の湧き方が違いますから」

 らうの中途半端な敬語とヘラヘラした態度に、りっちゃんは頬をピクつかせた。


「じゃあ……今すぐ、ゆーくんから離れて」

「イヤです」


「なんで離れてくれないの?」

「養分が沢山吸えるからです」


「寄生虫みたいな女」

「人間には理解できません」


 なんか修羅場だった。

 りっちゃんは、おっかない目をして、らうを睨みつけていた。

 らうは、ニコニコニタニタと笑って、りっちゃんを見ていた。

 どちらも怖かった。


「ゆーくん!」

「はっ、はい!」

 怒りの矛先が俺に向いたかと思った。

「トイレからキンチョールスプレー持って来て! 早く!」

 一体、何をするつもりだりっちゃん! バカな事はよせ!

「いいから! 保育園から高校まで同じ時間を過ごして来たゆーくんを見捨てること出来るわけないでしょ! この貧乏神を撃退してやる!!」


 りっちゃんは非常にたくましく、勇敢な女の子。

 小学校の頃、いじめっ子に嫌がらせを受けると俺は、りっちゃんに助けを求めていた。当時の俺は体が小さくてりっちゃんより背が低かった。だからりっちゃんの後ろに隠れていた。中学になってからは、りっちゃんの方が小さくなっちゃって、俺は嫌がらせを受けることもなく……いや、皆と距離が開いて、まるで島流しにされたように、教室でひとりぼっちだった。だけど唯一、ぼっちな俺にりっちゃんは言葉をかけてくれた。毎日挨拶してくれた。優しかった。

 ——しかし。

 仮にも神である貧乏神の前で、その勇気は頂けない。

 キンチョールスプレーなんて吹きかけたら、りっちゃんにバチが当たる!


 と、そのとき。

 りっちゃんの言動を見たらうはしてやったりと嘲笑う。

「けけけけけ! ゆーくんはあなたの事なんてどーでもいいのよん。知ってた? ゆーくんは私にメロメロなの。この潤いのある躯、ぷるんとした胸、キュッとしたお尻にっ!!」

 らうはその躯を艶かしくねらせると左腕でおっぱいをゆたんゆたんとバストアップして見せ、ウェストからヒップラインを右手で撫でる、そして中指を弾き、デコピンの仕草でりっちゃんを挑発した。


「ゆーくん! ひきこもっているのはこの貧乏神が好きだからなの!?」

「ちげぇ! こんな簡単なトラップに惑わされるな!!」

 と言いつつ俺はらうの躯に釘付けだった。

「キィィ! この貧乏神めっ!」

 奇声じみた声を張り上げてりっちゃんは、絨毯のゴミを付着させるコロコロを手を伸ばした。それも柄の長いコロコロだ。

 刀を振るように、掴んだコロコロでびゅんびゅん風を切って、らうを威嚇した。

 やめるんだ、りっちゃん!


「止めるなー! ええっい!!」

 りっちゃんが、らうの頭上めがけて、コロコロを振り下ろした。だが、俺は怖じ気づいてなどなかった。

 俺は2人の間に入り、りっちゃんの振り下ろしたコロコロを真剣白羽取り。


 バヂンッ!


 見事、脳天直撃を喰らった。失敗した、痛ぁ〜。りっちゃん痛いよ。


「ゆーくん……そこまでして貧乏神を守りたいの……?」

 コロコロをばったり床に落としてりっちゃんは、「信じられない」という表情で俺を見つめた。

「違うんだ! これにはワケが、」

「ううん、違わないもんねーだっ!」

 俺を背後から抱きしめて言うらう。りっちゃんに、ベーッと舌を出し、

「ゆーくん、早く部屋に帰ってイチャイチャチュッチュしましょ? こんな暴力女と一緒になる事なんてないよ。不幸の始まりだよ」

「お前っ、離せ! 何が不幸のはじま、」

「ハイハイ。ふぅちゃんと一緒に帰ろうねー? あー、この部屋は息が詰まって嫌なの」

 ニタニタニタニタと、らうはその嫌らしい笑みをりっちゃんに見せつける。


「……ゆーくん……帰って。今すぐ帰って」


「りっちゃん! 違うんだ! 誤解だ!!」

 りっちゃんは拳を震わせて、「いいから帰って!」と言った。

 柳眉を逆立てて歯を食いしばり、腹わた煮えくり返るが如くわなわな震えている。


 俺は、ここまで怒気を露わにしたりっちゃんを見た事がなかった。

 どうすればいいのか解らず、俺は言われた通り、窓から退室した。

 外に出ると、背後でガチャッと窓の鍵か閉められて、カーテンが引かれた。


 カーテンを透いてにじみ出るぼんやりとした光が俺をうっすらと照らし、屋根に影が出来た。

 俺の影だ。

 救いようのない、俺の影だ。

 俺は俺自身の影を見下ろした。

 不意に電気が消えて、影は闇の中に掻き消えた――






 どうして菓子を貰いに行ったのだろう? よく思い出せない。

 疫病送り? まったく送れてないんですけど。

「ふぅちゃん、お口あーんして? ——ほい、モグモグして。うん、おいしいね?」

 らうがふぅちゃんに菓子を与えている。

 菓子を頬張って、ふぅちゃんは天使のような笑みを振りまいていた。


 菓子を貰いに行ったあの夜から2週間くらい、ずっと部屋にいる。居続けている。

 こいつらひきこもりか? ひきこもりは俺1人で十分だ! 出て行け!

 りっちゃんもりっちゃんだ。

 人の話を最後まで聞いて欲しかった。カーチャンと一緒だ。

 怒らないから話してごらん、と言っておきながら、結局怒り出すのだ。りっちゃんは話をしないうちから怒ってしまったのだから、やれやれだ。


 あの夜の翌日、俺はりっちゃんの部屋に赴いた。けど鍵が閉めてあって入室できなかった。そのため、メールを送信してみた。

 英文のメールが返信されてきた。

 これはたぶん、メールアドレスが変更されたがゆえに届くエラーメールだ。@の前か、それとも後か……どちらにせよ変更されたのだ。

 アドレスが変わったなんてメールを、りっちゃんから受け取っていないので、なにかの間違いなのだが、何度送信してみても同じエラーメールだ。仕方ないので電話をすると、プルルルルと呼び出してはいるものの、留守番電話に切り替わった。

 何度リダイヤルしても留守番電話になるので、メッセージを残しておいた。また同様の内容を手紙に書いて、りっちゃんの部屋の窓に貼付けておいた。



 立川律さんへ。

 お元気ですか? 僕は不幸の連続でちっとも元気じゃありません。先日の疫病神(ふぅちゃん)は、あれからずっと僕の部屋に居ます。部屋主に断りもなく居候しています。助けてください。

 貧乏神のらうもまた、ずっと僕に寄生したままで、ただメシ食いです。助けてください。

 りっちゃんとらうがケンカした時、らうの言った「イチャイチャチュッチュ」はありません。そんな事実は皆無です。本気にしないでください。助けてください。

 僕も大変な思いをしていて、らうにノートパソコンを壊されました。バチが当たったんです。貧乏神も疫病神も一応神様なので、危害を加えようとするとバチが当たってしまうんです。だからあの時(りっちゃんがコロコロでらうを叩こうとした時です)、僕は必死になって間に入り、りっちゃんにバチが当たらないようにしたのです。らうを庇ったと誤解しているのだろうと思いますが、実はりっちゃんを守るためです。ここ大事です。

 壊れてしまったものは仕方ありません、使用不能のノートパソコンは捨てました。代わりに新しいノートパソコンを買いました。と言っても中古のパソコンです。2万円でした。これであと3年は戦えます。

 あ、そうそう。高校の頃、僕が精神科に通院したという話を覚えていますか?

 高3の夏休み。

 両親と一緒に、精神科とリハビリテーション科のある病院に数回通院しました。鬱病と診断されて一時期の間、薬を服用していました。なにも改善しなかったので、薬も、通院もやめてしまいました。それに、通院する時間が勿体なかったのです。僅かな時間でも勉強に当てる事にして、僕は、寝る間を惜しんで机に向かいました。結果はご承知の通りです。

 今、僕には無限に等しい時間があります。

 近いうちに、また病院に行きたいと思います。両親にこのことは伝えてないけど、頃合いを見計らって言いたいと思います。それと——近くの神社でお祓いも考えてます。

 憎き貧乏神と疫病神。コイツらを、神主さんにギタンギタンのケチョンケチョンにしてもらいます。

 上手くいかなかったときは、僕を助けてください。

 メールアドレス、変更したなら教えてください。

 電話に出てください。

 僕を見捨てないでください。

 僕を見捨てないでください。

                     りっちゃんの幼馴染みで隣人の真鍋由より



 この手紙を封筒に入れて、りっちゃんの部屋の窓にガムテープでべったり貼付けておいた。

 けど、まだ返事がない。メールアドレスも教えてもらっていないので、今日もこの手紙を窓に貼付けに行こうと思う。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ