おっぱいを揉みしごいてやろうか!!
どれほど時間が経ったのか解らない。
体の痛みはなかった。節々の痛みも引いたようだ。
でも、鼻水は垂れているので風邪ではあった。
キレイになった廊下を歩いて、自室に戻る。ひきこもる。
「あ、ゆーくん、お帰り」
「……」
俺は知らないフリをして、布団の上に座った。ちっぽけな、薄っぺらいプライドを俺は守る。
らうは、ふぅちゃんという疫病神と喋っているようだった。
ネット通販で買っておいたガムと飴が、ふぅちゃんに食べられていた。
俺はムッとした。されど体の痛みが無くなったわけだし、神に菓子をお供えしたと思えば安いものだ。ネット通販の支払いは、親が払ってくれたものだし。
「そいつ……何しに来たんだ? まさか俺に取り憑いたわけじゃねーよな? らう1人でこれだけ多大な迷惑を被ってんだ。勘弁してくれよな」
「ふぅちゃんって呼んでよね?」
「……解ったよ……で、なにしに来たんだ?」
「ふぅちゃんね、前に居た地域からこっちに引越して来たんだって」
「……」
引越して来た……?
お前ら神様は転勤しながら人間に取り憑いて、人の人生をむちゃくちゃにして、殺し回るのか?
「殺すなんて野蛮な言葉ね。私は1人の人間に取り憑いて養分を吸い取るけど、疫病神は、地域全体に降りて、病を広めて、人間の魂を養分として吸い取るの」
「……」
うわぁ。とんでもない神様がこの町に来たもんだ。
アマゾンでアルコール消毒液とマスクを購入しておこう。
「ダニのように養分を吸い取るらうの方がよっぽどマシだ」
「ちょっと、思ってる事が口にでてるわよ、ふんっ!」
プイッとそっぽ向くらう。
と。
人間の言葉が解るのか、ふぅちゃんが俺を睨みつけ、小声で何と喋ったのか聞き取れないが、呪文の様な言葉を発した。その刹那——
「イタタタタタ! 頭が痛い!! 締めつけられる……ッ!」
「まったくもう……こう見えてもふぅちゃんは気が短いからね。言葉を選んでよ? ——え? なにふぅちゃん」
らうは、ふぅちゃんに耳打ちをされて、
「むふむふ。『この男。ムカつくからコレラで殺してやる?』」
「冗談じゃねぇ! これ以上、腹を下したら即死してしまう!!」
「はい、ゆーくん。悪口言ったんだから、謝らなくちゃいけないんじゃないの?」
くっそ。貧乏神のくせに偉そうにしやがって。
「『反抗的な目が気に食わない? 赤痢で殺してやる?』、だってゆーくん。早く謝ったら? お腹ピーピーで死んじゃうよ? 私だって、ゆーくんに死なれたらやだもん」
「……なんで腹ばっかり攻めてくるんだ……ちくしょう……」
ふぅちゃんの方が俺の何倍も目つきが悪いじゃねーか。ニタニタ笑いしやがって、こんちくしょう。
だがしかし、さっきの肛門の痛みも若干残っているので、俺は謝ることにした。
「ゴメンな、ふぅちゃん。許してくれ……」
するとふぅちゃんは、らうに耳打ちをして、
「ふむふむ。『お菓子を献上してくれたら許さないこともない?』、だって。お菓子たくさん必要だよ」
「お菓子って……」
ふぅちゃん、その手に持っているガムの包み紙と空の飴缶……全部食べちゃってるじゃん。
飴はまだしも、ガムは味がなくなっても噛み続けろよ。
どうすんだ? おかわり無いぜ?
「ゆーくん、なんとかしてお菓子を集めて来て」
俺の耳元で、らうが助言する。
「居間に煎餅とかないの? 茶菓子でいいから。家にお菓子がないなら、コンビニで買って来てよ」
無茶言うなし。
俺は外に出たくねぇ!
「出たくないってゆーくん、今、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? 勇気出して行って来て! 死んじゃうんだよ?」
……死ぬ。
俺はやっぱり腹を下して死ぬのか? ……嫌だ。そんなの嫌だ。嫌すぎる。
「……わ、わかった」
俺はごくりと喉を鳴らして、自身を奮い立たせた——
「あはっ、おいしそうな養分出た。いただきまーす♪」
「ちょ、エロいなオイッ! つーか吸い取ってどうすんだよ!?」
——途端に外出する気力が無くなった。
やる気も何もないので俺は布団に寝転がった。
「ふざけんなよ……お前らマジでさ。人を何だと思ってんだ? らう、テメェが買ってくりゃいいじゃねーか、人を扱き使いやがって。俺の養分を吸い取ってさ、少しは働け」
「働くのはゆーくんでしょ? 私は養分を吸い取るのが仕事なの、でも今のはゴメンね、つい吸っちゃって」
とらうは、不貞寝する俺の肩にそっと手を置いた。が、俺はその手を払い除けて、
「うっせぇ。何度も聞いてそれくらい解っていらぁ!」
俺から養分を吸い取ったなら、吸い取った分、俺のために働けっつってんだよ。
俺に断りもなく取り憑きやがってよぉ! 見返りがあったっていいじゃねぇか。
吸い取った養分をどこかで埋め合わせしろ。
というか、神の方から貢ぎ物を要求するな。菓子が食いたきゃ己でなんとかしろ。
「え? なに、ふぅちゃん。ふむふむ『お菓子をくれないと、抜け毛を一日百本にして、つるっ禿にしてやる?』……大変だよゆーくん、ハゲちゃうって」
「……」
何なの、この子。強請りの仕方が陰湿なんですけど。
ハロウィンじゃねーぞ。
じゃあ何か? このままだと俺は——
大学受験に失敗したひきこもりニートのゴミクズハゲ人間になるのか?
「違うよゆーくん。風邪引いて鼻でてるから、大学受験に失敗したひきこもりニートのゴミクズハゲの洟垂れ人間になっちゃうよ?」
そんなの嫌だ。
絶対に嫌だ。
ハゲで鼻汁を垂らしている人間になんてなりたくない。
男性ホルモンが抑制されてフサフサのこの髪の毛が——って、あれ?
「手に、ごっそりと髪の毛が……」
「ゆーくん、その抜け毛どうしたの? ——え? なに、ふぅちゃん、ふむふむ。『手始めに円形脱毛症にしてやった?』 ゆーくん、それ円形脱毛症だって」
「オイィィ!? 気が短いにも程ってのがあるぞ!」
慌てて身を起こし、俺はふぅちゃんを見、
「……くっ!!」
コイツら神ってのは、人の不幸がよっぽど好きだとみえる。
天使のような印象の幼女、疫病神のふぅちゃんが、口角を上げてニタニタニタニタ笑みを浮かべて——完璧に俺を蔑んでやがる。
頭部を鏡で確認すると、おでこから5センチ上のことろに、10円硬貨くらいの大きさで、丸い禿が出来ていた。
そこから抜けた髪の毛が、サラサラパラパラと手のひらに落ちてくる……。毛根死んだ。
「ゆーくん、早くお菓子をあげないとお坊さんになっちゃうよ? つるっつるのピカピカ。ゆーくんが輝くって言っても、頭の輝きじゃ私は離れないよ?」
「くだらねぇ事を言うな! ……くっそ、解ったよ! 菓子やるけど、いま家にねーから、ちょっと我慢しろ!」
「コンビニで買ってくるの?」
「んなわけねーだろ! 夜になるまで待てってんだ。夜になったら、りっちゃんが帰って来るだろうから、頃合いを見計らって部屋を訪ねよう。で、菓子を貰おう」
昨日の今日だが、仕方あるまい。
「ふーん? またあの女のところ行くの? ゆーくんも好きねえ。将来図が変わってあの女とは一緒になれないのに。私、あの女嫌いなの」
「……」
な、なんだ。何を言い出すんだ。
ひょっとしてお前……俺のこと好きなのか?
「あの女の後ろに、福の神が憑いてるじゃん? 最初、あの女に取り憑こうとしたんだけど、貧乏神は人間に幸福や利益を齎す神とは仲悪いし、取り憑けないの。けど、ゆーくんにはそういった類いの神は憑いてないし、前にも言ったように有望株。灯台下暗しってやつ? ラッキーって感じ。簡単に取り憑けて養分も豊富だし、一生取り憑いていたい」
つまり、らうは最初りっちゃんに取り憑こうとしたが、福の神に邪魔されて俺に取り憑いたと、そう言う事か……。最悪だ。
福の神さえ居なかったら——ひきこもりニートはりっちゃんだったかもしれない。
逆に俺は大学に進学して今頃ワイワイ楽しんでいたかもしれない。
そして俺は大学を卒業後、会社に入社、のちに独立して事業が成功し、ひきこもりのりっちゃんと結婚。子どもにも恵まれてハッピーエンドという未来があったのかもしれない。
結婚相手がりっちゃんでなくても、俺の人生はハッピーなものだったはず。
そうならなかったのはすべて、神様の悪戯だった。
「まあまあ、縁は異なもの味なものって言うじゃん?」
ニタニタ笑みを浮かべてすり寄ってくるらう。
「人間の女なんて金勘定して付き合う男を決めるのが殆どなんだし、だったらいつまでも若い私の方がいいでしょ。ね?」
「ふざけんな!! 誰が貧乏神なんかと寄り添いたいと思う!? 俺は嫌だ。さっさと消えてくれ!」
——と。
そう言い放つ俺ではあるが、らうの言うことにも納得した。得心した。
金勘定して付き合う男云々は置いといて、「若い私の方が」ってのは魅力的だった。
その豊満なおっぱいを揉みしごいてやろうか!!
だがしかし、そんな考えはすぐに消え失せた。
滾滾と湧き出る俺の性欲を、らうに養分として吸い取られてしまったのだ。
それにまた、そのような行為を行おうとしてもどうせ実行する寸前にバチが当たるだろう。危害を加えるのが不可能であれば、押し倒せる人間の方が百倍良い。犯罪だが……。
と、とにかく。
俺はりっちゃんの帰りを待つことにした。