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だっぷん!


 死ぬかもしれん。


 体のあちこちが痛い。動けない、動きたくない。働きたくない。

「嗚呼、短い人生だった。俺は貧乏神に取り憑かれて死ぬんだ……体か冷たくなって、硬くなって……嗚呼……」

「ゆーくん大丈夫?」

「うるせぇ……これが大丈夫に見るか……」

 布団に横になって俺は、魘されている。


 鼻水が垂れてくるし、目がしょぼしょぼする。頭痛がして熱もあるようだ。

 これはおそらく、昨日ペットボトルのお茶を浴びせられたのが原因で風邪を引いてしまった。

 なんとかしてもらおうと行った先で顔面パンチを喰らい、何の解決にも至らずに、逆に揉め事を増やした挙げ句、風邪を引くとは踏んだり蹴ったりだ。


「……ん? りっちゃんの部屋に行ったの昨日だっけ?」

 日付が変わったから昨日? ——頭がはっきりしない。

 俺は夜型の人間なので、起床して数時間すれば日にちが変わる。

 だから夏時間のように夜時間を適用すると、まだ今日の出来事なんじゃないか?

「ゆーくん、頭大丈夫?」

 大丈夫じゃなかった。夜時間ってなんだよ……。

 それに。

 ひきこもり生活が長いこともあり、今日が何曜日なのか、曜日感覚すら失われている


「額の汗。拭ってあげるね」

 低反発枕が焦げてしまい、使い物にならないので、俺の頭はらうの膝の上にある。

 膝枕だった。もう、肌から直接養分を吸い取られている気さえする。

「ふにゃふにゃの保冷剤あるけど、ないよりはマシだよね? 頭に乗せてあげる。早く元気になってちょうだい」

 ぺちゃ、と温い保冷剤が額に置かれた。


 実は昨日のこと……。

 ——夏の陽気で熱帯夜。椅子に座っているだけで尻に汗疹ができる。

 これを回避すべく、俺は考えた。

 椅子と尻の間に保冷剤を挟んだらいいんじゃないか? ひんやりして気持ち良いだろ。

 愚かな考えだった。

 結果はだだ下り。尻が冷やされて下痢になった。風邪の症状と下痢。体力低下が著しい。

 尻を冷やすと人間、下痢を起こすらしい。冷え痔ってやつか?

 とりあえず風邪薬は飲んだ。が、まったく効き目がない。ちっとも楽にならない。


「俺はこうやって死ぬのか……ある意味、これで楽になれるな……」

 腕や足、腰、股関節までもが痛い。肘や膝、指の関節まで……節々が痛いのだ。

 一気に老けてしまった気がする。

「嗚呼、お迎えが来たようだ……眩い光が見える……光に満ちた世界がすぐそこに……」

「夏の陽光が部屋に射し込んでるだけだよ? ブラインド閉める?」

「……」

 光を掴もうとして伸ばした手の行き場がない。


 ん? 日が射しているってことは、

「今、何時だ?」

「お昼過ぎて、午後の2時半だよ」

「そうか、だからか。痛みで寝付けずにいたらそんな時間に……」

 耳障りなセミの鳴き声と一緒に、耳障りな子どもたちの遊び声が聞こえてくる。

 公園で遊んでいるのだ。

 俺の家の前にある公園から、その無邪気な声が、否応なく窓から不法侵入してくる。

 弱っている今の俺に、この声は非常に不愉快な騒音だ。

 弱っていなくても憎しみが湧く騒音だけに、公園で遊んでいる奴らを殺したくなる。


 だが——

 殺すなど俺はしない。殺人を起こす勇気を持ち合わせていないし、なにより部屋から出たくない。

 俺が死んで、畜生道になり、次に生まれ変わるとしたら俺はカタツムリになるだろう。

 もしくはヤドカリだ。むしろ俺は貝になりたい。


 ——いや。そんなことはどうでもいい。

 話の焦点は、公園で遊んでいる奴らは人間じゃねえってことだ。

 包丁片手に乗り込むなんてのは俺の頭の中で思っている事でしかない。

 なのに奴らは、不愉快な超音波を口から発射して、一方的な武力行使で俺に追い打ちをかけている。これは由々しき事態。

 俺はひきこもりニートのゴミクズ人間ではあるけれど、りっちゃんと両親以外に恨まれるようなことをした覚えはない。


 つまり、公園にいる奴ら——強いては世の中の人々が俺を笑い者にして、嘲笑しているのだ。

 確かに俺は後ろ指をさされる人間であり、社会の癌かもしれない。けれど、風邪を引いて下痢をしている俺に、その仕打ちはあんまりじゃないか?

 人間のする事じゃねーぞ。


「うぅ……うっ……ううぅ」

 溢れた涙が一筋、頬を伝う。

 貧乏神に目をつけられたのが運の尽きか。

 俺は風邪と下痢で死ぬ。

「ノートパソコンのハードディスクが逝ったから、俺は心置きなく死ねる。ドアの前に置いてある手つかずの食事を不審に思ったカーチャンが、トーチャンに相談して、鍵のかかったこの部屋のドアを2人でこじ開けて、冷たくなった俺の死体を発見するんだ。その頃俺はムール貝あたりに生まれ変わっていて……、」

「あれ? ふぅちゃんじゃん。どうしたの? いつ来たの?」

 膝枕してくれているらうが、俺の話をぶった切った。


 いきなりなんだ。

 誰だよ、ふぅちゃんって。

 俺は重い頭を上げて、らうの視線の先へ目をやった。


「んん……? 誰だ?」

 寝ている俺の足下、涙で滲む視界にぼんやりと映るのは——小さな女の子だった。

 それもタンポポ胞子のようにフワフワした可愛らしい幼女。

 見た目は保育園児くらいで、園児が身に付けているような黄色いバッグを肩から襷掛け。

 着ているピンクのパーカーにはウサギ耳のフードが付いていて、小さな頭を包んでいる。

 ——メルヘンチック幼女がそこにいた。


「ここはやっぱり死後の世界だったんだ」

 そう。いつの間にか俺は昇天していて、天の使いである天使が俺を導いてくれるのだ。

「ゆーくん? 普通にここは現世だよ? 人間界、現実世界、娑婆」

「そんなわけないじゃないかハハハ。俺の足下にいるのは天使に間違いない!」

「違うよ、ゆーくん」

「何が違うんって言うんだ! 俺の言うことに間違いはない!」


「違うってば。この子は、ふぅちゃん。疫病神えきびょうがみだよ?」


「——ええええ、えきびょう!?」

 らうの言葉に俺は気を失いそうになった。

 次の瞬間、むしろ気を失うことが出来ず、発狂しそうになった。

 俺は声を押し殺して、らうに問う。


「この幼女……お前の親類縁者か?」

「当たらずと雖も遠からず、ってとこかな」

「だったら帰ってもらいなさい」

「え?」

「帰ってもらいなさい」

「え?」

「帰ってもらえっつってんだよ! 疫病神だったら話は違うぞ。何が天使だ! ふざけんじゃねーよ、死ねよクソが! 俺は死にたくねーんだ! まだやりたい事が沢山残ってんだよ!! 病死なんてしたくねぇ! 誰が風邪と下痢で死ぬかよ! この餓鬼、糞食らえ! なんだよ、疫病神って!? そもそもそんな神様を、俺は信じねえ! つーか、貧乏神だって信じてねーし! お前ら、俺をビックリさせようとして雇われたテレビ局の仕掛人だろ? 解ってんだよ! どこにドッキリのプラカードあるんだ? ハイハイ残念でした、ドッキリだと見抜いちゃいました! だから出てけお前ら!!」

 罵って罵って罵り倒す。

 俺は疫病神を足で蹴飛ばしてやろうとした——

 その刹那。

「うっ、うっ」

 疫病神の幼女がぐずり出したと思ったら、


「わあああぁぁぁぁああ! うえええええええええん! あああぁぁぁあああぁぁぁ!!」


 大泣きを始めた。

 同時に、俺の体が重くなった。

 そして頭が痛ぇ……泣き声がガンガン響く。体全体、節々の痛みが増した。

 泣き声が腹に突き刺さる。猛烈な腹痛を覚えた。

 ダメだ——下痢がヤバい!

 電車の中で我慢に我慢を重ね、足をよじりながらも必死になって肛門に力を入れる、あの感覚だった。


「あーあ、泣かせちゃった。ゆーくん、言ったでしょ? 神に危害を加えようとするとバチが当たるって。ホント学習能力ないんだから」

 ぷんぷん怒るらうに、俺は、

「……ごめんなさい……頼むから、……頼むからコイツを泣き止ませてくれ……」

 も、漏れる。漏れそうです。


 振ら付きながらも俺は立ち上がって、トイレに急ぐ。

 スキー初心者のように脚をハの字にして内股で歩く。

 急に立ち上がったので貧血を起こし、視界がチラつく。

 テレビの砂嵐みたいだ。

 しかもS字直腸の辺りに烈々たる激痛を感じ始める。あ、オナラが出そう。

 いや待て。オナラと一緒に、出ちゃったらいけない物までコンニチハしそうだ。おい。おいー? 今年で19歳だぞ俺。19の男がここで脱糞か? おい、そうなのか? ダメなのか? トイレまで歩けないのか?

 あっ、ダメ。肛門がヒクヒクしてます。

 うわんっ、目の前が見えない。何だこれは……涙? 俺はどうして泣いてるんだ? あっ、あっ、ヒクヒク……。もう少しでトイレじゃないか。

 あと少しで——






「良かったね、ゆーくん。日中、家に誰もいなくて」

 トイレのドアをはさんで、らうが言った。

 俺は、便座の上でミイラの如く水分の抜けた体になっていた。体中の水分が滝のように流れ出たのはおそらく、今、らうが立っているところだ。

 男のプライドが崩壊した。


 ——未だかつていただろうか? 漏らしたうんこの後片付けを貧乏神にしてもらっている男が未だかつていただろうか。

 俺は聞いた事がない。


「死にたい。いま猛烈に死にたい気分だ。生きて来た中で、今一番死にたい気分だ」

 首を吊りたい。腹を切りたい。頭を銃で打ち抜きたい。

 もう、らうに頭が上がらなくなってしまった。

 らうに足を向けて寝る事など不可能だ。

「ゆーくん? お風呂場で洗ったパンツ、洗濯機にいれておくからね?」


 感謝の気持ちを述べたいが、俺の人生を壊した張本人なので言わない。

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