死にたかった
「醤油のシミがついたスウェットで来んな! 寝癖なおせ! 歯みがけ! 死んだ目で見るなし!」
ガラガラガラ。ピシャリ。
りっちゃんに蹴飛ばされるように部屋から閉め出された。
シャーーッ、とカーテンの引かれた窓を、俺は虚しく眺めた。
スウェットに醤油のシミがあるのは洗濯していないだけ。
寝癖があるのはいつもの事だ。
歯は寝る前に磨いているし、
「死んだ目はどうしようもないだろ……」
「私はその目が好き♪」
呆然と屋根の上に立つ俺の隣に、らうが寄り添う。
「やつれている感じが何と言えなくって、たまらなく好きだなー」
かなりムカつく発言だった。
結局、りっちゃんに言いつけても何も解決しなかったし、改善もしなかった。
むしろ事態は悪化した。
らうは、りっちゃんの期待を膨らませるだけ膨らませておいて最後、鋭い針でプツン。膨らんだ期待を一気に弾けさせた。上げて落とす卑劣なやり方だった。
これには流石のりっちゃんもご立腹。
……まぁ、会社勤めをするより家の中で家事仕事をしているほうが誰だって楽だからな。専業主婦の夢を壊されたのには同情する。
俺だって、出来る事なら一生ひきこもり生活をやっていたい。
そして、痛みを感じる事なく、ふっと息を引き取りたい。
「……」
だが——
将来有望。俺の輝かしい未来——これを壊されたとなれば話は違う。
俺は自問自答する。
誰が俺の人生を壊した?
——貧乏神のらう。
このまま死んでいいのか?
——いいワケがない。
ならばどうする?
——復讐だ。復讐出来ずとも最低限、厄難祓いはしたい。
取り憑いたコイツを払い除けなければ……。
「おい貧乏神。お前が俺に取り憑いた理由は理解したくないが理解した。どうすりゃ、」
「らうって名前で呼んでよ、長い付き合いなんだから。これからも付き合っていくわけだしね」
付き合いたくねーんだ。別れたいんだ。
つか、高校3年から今まで取り憑いていた事実に怒りを感じるんだ。
「お前を払い除けるにはどうすりゃいいんだ?」
「名前で呼んでちょーだい」
屋根の上で、らうは頬をプーゥと膨らませてしゃがみ込んだ。
心奪われるほど可愛かった。が、それどころじゃない。しっかりしろ俺!
「……らう。お前を払いたいんだ。しっしっ。あっち行け。どうやったら居なくなる?」
「知りたいの? ふーん。教えて上げても良いけど」
「ごたごた言わずに教えろ」
「怒っちゃやーよ。私を払いたいなら、一生懸命に働くことね。最初は働く意欲を養分として吸い取っちゃうけど、そのうちに良き友ができて、良き将来・良き人生設計が描けて、だんだんとゆーくんが輝きだすの。輝くっていっても、ゆーくんの体がピカピカ光るってことじゃないわよ?」
それくらいの言葉の綾は解る。
「ゆーくんが輝きだすと、私は居心地が悪いっていうか息が詰まるっていうか、一緒に居たくないってなるの。これ、貧乏神の本能ね。でも大丈夫」
「……なにが大丈夫だ?」
「あはは。だってゆーくん、一生懸命働くなんて出来っこないでしょ?」
「お前が邪魔してんだろーが!」
「ううん。ゆーくんコミュニケーション障害じゃん? 友だちゼロだし」
さっきだって窓を開けていきなり飛び込んじゃうし、とらうは言った。
「……」
確かに俺は友だちがいない。ゼロだ。
りっちゃんは幼馴染みだからカウントしない。しないが、たった今フラれるのと同等の経験をしたから、やっぱりゼロだ。
喜怒を共にする対人関係を築けずに、いつも1人で居ることの多かった高校生活。
思い出せば、中学校も小学校も友だちはいなかった。
ひとりぼっちだったような気がする……。
こんな俺は、就職した先の職場では誰とも喋らず浮いた人間となるに違いない。
いや、面接の時点で落とされる。緊張のあまりドモってしまうだろう。不合格だ。
というか、そもそも働く意欲を——
「働く意欲が湧いたところで、私が吸っちゃうしさ」
やっぱり……。
らうが憑いているだけで、どん底から這い上がれない。
ダメだ。このままではダメだ。
今の状態では、這い上がることなど一生できない。
「頼むよ、らう。いいや、らう様! 俺から手を引いてくれ!! 土下座でもなんでもするからよぉ!」
「イヤって言ってるでしょ? こんなに養分を吸える人間は他にいないんだから」
——くそう! こうなったらやるしかねぇ!!
ズサッ。
「頼む! これでなんとか!」
俺は、生まれて初めて土下座という行為をした。
屋根の上なので、やや傾いた土下座ではあるが、トタンに頭をズリズリと擦り付けて頼み込んだ。
「俺に取り憑くのをやめてくれ!!」
「おぉー! これが土下座、始めて見る」
らうの感激した声が耳に入る。
と。
「でも、ダメなのよねーん」
ペチペチペチ。
俺の頭を、らうは弄ぶように扇子でペチペチ叩いた。
……我慢できねぇ。
人ひとりの人生をむちゃくちゃにしたその罰は安く見積もっても無期懲役の終身刑!!
いや、りっちゃんとの幸せ円満フラグを折られたんだ!
死刑執行だッ! 俺がこの手で殺してやる! 怒りが沸点に達する。
「テメェ! 下手に出りゃあいい気になりやがって!! これでも喰らいやがれ!」
グアッと体を起こして俺は——
らうにローキックを喰らわせてやるぅーう!?
「うっさい! あんたらいつまでそこにいるのよ!!」
ビシャ! ビシャ! バシャ!
部屋の窓を開けたりっちゃん、俺にペットボトルのお茶をビシャバシャ浴びせかけた。
「ひきこもりなら部屋にひきこもってろ!」
ガラガラガラ。ピシャリ。
まるで盛りのついた猫を追い払うようにお茶をかけられて俺は、
「…………くそう。なんて日だ」
スウェットが濡れ、顔にもお茶をかけられた。髪の毛も濡れた……。
窓を閉める一瞬、りっちゃんの顔を見たがマジで怒っていた。
「私に暴力振るうとバチが当たるの、忘れてた?」
「……なんなんだよ、いったい……俺が何したって言うんだよ……」
俺はいよいよ死にたい気分になった。
だが、痛い思いをしてまで死にたくないので、りっちゃんに言われた通り、部屋にひきこもることにした。
死にたかった。