貧乏神は悪魔?
りっちゃんの家は俺んちの横。お隣さん。
屋根伝いにトテトテ歩き、
「電気が付いてるな。よかった在宅中だ」
カーテンに、りっちゃんの影が確認できた。
りっちゃんは大学受験に失敗した俺を慰めてくれた1人であり、友だちのいない俺にとって携帯電話に電話番号のある数少ない人物である。——俺の携帯電話は、電話帳に一万件もの番号が無駄に登録できるのだが、そこに登録されているのはトーチャンカーチャン、そしてりっちゃんの3人だけ。
だから俺とりっちゃんは幼い頃から仲良しこよし。
とても仲が良かったから……ひきこもりニートになって以降、顔をまったく合わせなくなったしメールのやり取りもない。
2ヶ月前、家の前を歩くりっちゃんを目撃したとき、髪の毛が茶髪になっていた。
俺とは違い、試験に合格して大学に入学したせいで……彼女は大学生活を満喫しているようだった。
だが、俺とりっちゃんは仲良しこよし。
そう思いたい。願いたい。
窓に鍵が閉められていなかったので、こりゃいい! と俺は、
「りっちゃん! 話があるんだ、ちょっといいかな!?」
ガラリと開け放って部屋へ飛び込んだ。
「ひっ!」
小さな悲鳴が聞こえた。
飛び込んだ俺は柔らかなベッドに着地し、ふと顔を上げたら。
部屋着に着替え中のりっちゃん——いいとこのお嬢様が着るような落ち着きある半袖カットソーを脱いだところ。
ふりふりが付いたスカートに淡いピンク色のブラジャー姿だった。
「なっ、ゆーくん!? え、ちょっと、」
目を丸くして驚いている。
「ゴメン! 着替え中だなんて思っていなかったんだ! 謝る! でも、まったくイヤラシイ気持ちにはならないので! いまの俺は女の裸体を直視しても性欲が刺激されないから!!」
ゆえに、スカートにブラジャー姿の中途半端な格好であろうが何とも思わない。
湧き出る性欲を、貧乏神が養分として吸い取ってしまうのである。
……で、あるのだが、
「なに意味の分からないこといってんの!? バカじゃないの、信じらんない!!」
りっちゃんに事の説明していないので、
「はやく出てって!!」
「別に良いじゃないか、保育園の頃は一緒にお風呂に入っていた仲なんだしさ!」
「うっさい! 出てけ変態!」
殴られ蹴られ罵倒され、俺は部屋を追い出された。
俺は左眼の辺りを青くして、着替えが終わるのを屋根の上で待機。
「……」
しばらくするとカーテンが開き、
「……ゆーくん久しぶり」
目を合わせてくれないその表情から、今の出来事を恥ずかしがっているのが見て取れる。また、俺がひきこもりニートだと知っているので、気まずさが感じされた。
まぁ、大部分は気まずさが占めていると思う。
アロマの香り漂う部屋に入れてもらって俺は、
「りっちゃん、元気だった?」
「うん……そこそこ」
「髪の毛染めたんだ。似合ってる」
「……そう。ありがと」
「大学はどう? 楽しい?」
「……うん……たくさん友だちできたし……たのしいよ」
「そっか。それはよかった」
5ヶ月ぶりくらいだ。こうやってりっちゃんとまともに喋ったのは。
お互い向かい合うように座ったものの、りっちゃんは目を伏せたまま。
俺とは視線を合わせない。
その理由は解らないでもないが。
「……話ってなに?」
りっちゃんは居心地悪そうに言った。
「あぁ、そうだった。実は、俺に貧乏神が取り憑いているんだ」
「は?」と彼女は言って、「貧乏神はゆーくんでしょ? ゆーくんのお母さんお父さん、泣いてるよ?」
若干、キレ気味に言われた。
俺は返す言葉もないが、話を続ける。
「突然の事で信じられないだろうけど、貧乏神は本当にいたんだ。目の前にいる」
「だから、それはゆーくんでしょ? わたしの目の前にいる貧乏神」
「違うんだ! 俺に寄生して養分を吸い取っているクソ虫なんだ!」
「……ゆーくんでしょ? 親に寄生して、スネを齧っている寄生虫」
俺を蟯虫のように見下して言い放つ幼馴染みのりっちゃん。……ひどい。
「知ってるんだよ? ゆーくん、働きもしないで部屋にひきこもっているの。働く意欲のない人をニートっていうんだって。ゆーくんはひきこもりニートなんだってね」
「……」
そうです。
職業訓練にも参加せず、ハローワークに行くこともなく、仕事に就く気もない。
働く意志のない若者を指す言葉——NEET。
そして俺は、親に寄生して生きているゴミクズ人間だ。
大学受験に失敗したひきこもりニートのゴミクズ人間な俺だ。
——だけども。
「これには理由があるんだ! 聞いてくれ!」
「……理由?」
俺は、りっちゃんに貧乏神のことを細かく説明した。
ふざけているのかと、頭おかしいんじゃないかと、ひきこもっていたのが原因で精神に異常をきたしたのかと散々疑われたけれど、俺は説明した。
「で? その貧乏神を名乗る、らうって人はどこに?」
「……こっちを覗いてる」
窓のサッシに手をついて、らうは外から俺とりっちゃんを眺めてニタニタしている。
卑怯にも、カーチャンの時と同じくその姿や声は認知されないらしい。
「……くそう。おい、貧乏神。お前、人前で姿を現すことは出来ねーのか?」
「うーん。貧乏神とかお前とかじゃなくて、ちゃんと名前で呼んでくれない? もっとフレンドリーになろうよ?」
なにがフレンドリーだ。ナメやがって。
しかし主導権はあちらにある。仕方なく俺は、
「らう。りっちゃんの前に姿を現せ! このままだと俺は嘘つきになってしまう」
「嘘つきになっちゃっても、どん底なんだから構わないでしょ?」
うるせぇ……。
何がきっかけで浮き上がるか解らないんだから、さっさと姿を見せろ。
ぴょーん、と窓から部屋へ入って来たらう。
——床に着地した瞬間。
「わっ!!」
大きな声をあげるりっちゃん、
「誰よあなた!? ゆーくんのひきこもりニート友だち?」
「バカなこと言うな」
んな友だち欲しくねーし。
金を貰っても、友だちになりたくない。
俺をちらりと見て、らうは、
「ゆーくんに取り憑いている、らうっていいます。しっかりがっつり養分を吸わせてもらっています」
りっちゃんに向かって、そう挨拶した。
「実のところゆーくんは将来有望な人間で、幼馴染みのりっちゃんさん、あなたとゆーくんは結婚するはずでした。秘密にしていたんだけど、りっちゃんさん。あなたには福の神が宿っています」
「はぁ? 福の神?」
思わず聞き返すりっちゃん。
一方俺は耳を疑った。
「お腹に稚児がいるのか、りっちゃん! なんていうことだ! 福の神だなんて……いったい誰の子なんだ!」
俺はりっちゃんの着ている部屋着をぺろんと捲った。
そして括れたお腹をまさぐるようにすりすり摩る。
まだ大きくなかった。
「好い加減にしなさいよこの変態!! 子どもなんて居ないわよ!!」
憤慨するりっちゃん——俺に顔面パンチしてくる。
「いえ。妊娠ということではありません」
らうは微笑を浮かべて言う。
「ゆーくんと結婚後、子どもができた際に、福の神が憑く事になっているのです」
「それを早く言え! びっくりしただろ! まったく」
ホッと胸を撫で下ろす。
「ゆーくんはどさくさに紛れてなんてことすんのよ!」
セクハラ男! と言って、りっちゃんは俺を罵った。
「未来図には2人の間に子どもができて、その子に福の神が憑く。子どもに恵まれて家が栄えるとありました」
「あら、そうなの?」
だしぬけに、りっちゃんの声色が変わった。
「栄えるということは、つまり……夫が仕事に行って妻は育児に専念するっていう、専業主婦ってことだったりするの?」
「……まあ。そうですけど?」
らうも、りっちゃんの変貌ぶりを妙に感じたのか眉を寄せた。
「専業主婦になるってことは、つまり……会社勤めをしないでいいし、食事に掃除洗濯の家事をするだけでいいんでしょ?」
「…………りっちゃん? キミはなにが言いたいんだ?」
「ふふふ、ゆーくん」
ななななんだ? 急にすり寄って来たりしてりっちゃん……ん?
撓垂れ掛かって……どうした?
あれれ? 俺の手を握って来たぞ?
「ゆーくん。ゆーくんってお金稼ぐようになるんだってね?」
刺々しく嫌みを含んだ声の調子が、媚態なものになった。
「旦那の帰りを子どもの面倒を見て待っているから、ね? ちゃんと稼いでね」
熱を帯びたように瞳を潤ませ、目元をとろんとさせて上目遣い。
「……」
利益の有無によって態度を変えることを現金という。
「俺の幼馴染みがこんなに現金なわけがない! 百万円ぶんくらい現金な幼馴染み!」
「あらヤダそんなわけじゃないんだからね? これからはちょくちょく遊びに来て良いよ? 幼馴染みじゃない」
グググッと体を寄せて来て、太ももを優しく摩って来るりっちゃん!
と、傍でニタニタ笑っているらうが、
「勘違いがあるといけないので言わせてもらうと、いま私が話したのは将来図で、そうなるであろうとういう予定表です。予定は未定。幸せな家庭を築いてハッピーエンドになる予定——でした」
「でした? 過去形? まだ始まってもいないのに、どうして過ぎ去った過去形? どういうこと……?」
「それは、私がゆーくんに取り憑いて、養分を吸い取らせてもらっているから」
「な、なに?」
混乱するりっちゃんに、らうは説明する。
「高校の成績はズタボロで、そのうえ大学受験には失敗、結果ひきこもりニートになったゴミクズ人間がお金を稼げるとでも? そんなの不可能でしょ? だって、ゆーくんの養分を吸い取っているんですからねえ、私が!!」
そう言ってケタケタ笑うと、らうは、
「もう、幸せな家庭なんて築けるわけないでしょうが! バーカ!」
爆笑して言い放った。
俺には、らうが悪魔に見えた。
りっちゃんは、焦点の合わない瞳で狼狽して言う。
「じゃ、じゃあ……専業主婦の夢は、」
「そんなの夢のまた夢よっ! あははは! おほほほ!」
口元を扇子で隠して上品に笑ってみせる根性の腐ったらうである。