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幼なじみ


「ま……待ってくれ。久しぶりに声を出したから喉が渇いた」


 電気ポットから急須にお湯を入れ、白湯のようなお茶を湯呑み茶碗に注ぐ。

 らうと名乗った貧乏神を、座布団もないので布団の上に座らせて、俺は面と向かって、

「あなたも、喋り疲れただろうから、お茶でも飲みなさい」

 何故か敬語を使ってしまった。


「いらないってば。さっきも言ったように、私は養分を吸い取るだけで十分なの」

「……」

 説明を聞けばこの女、俺から養分を吸い取って生きているらしい。


「もう一度、話を整理したいと思う」

「ええ、どうぞ」

 布団の上で女座りをしている貧乏神のらう。

 細い足にぴっちりとしたデニムを穿いての裸足。

 イヤらしいほど性欲を煽るシチュエーションなのだが……何故かまったくもって気分アゲアゲにならない。


 ——それもそのはずだ。

「俺の、心の内から湧いて出る欲を吸い取って、あなたは生きていると……そういうことで理解していいのか?」

「その通り!」

 らうはパチりとウィンクひとつ、

「前向きに物事を考えるというポジティブなやる気、すなわち意欲。お腹が減って食事をしたいという食欲。お金が欲しいという金欲。人の上に立ちたいという権力欲からエッチしたいという性欲まで、欲よいう欲を吸い取るのが貧乏神です。欲が私の養分なのです」

「……」


 ——つまり、こういうことなのである。

 俺がこの貧乏神に性欲を感じても、この貧乏神はその欲すら養分として吸い取ってしまう。

 このままではいけない!


 ——そう思って思考を巡らせてやる気を振り絞っても、そのやる気を養分として吸い取られてしまい、結果として堕落してしまう。

 ひきこもりニートの現状を打破できないのは、俺に知恵がないだけでなく、今の生活スタイルから脱出しようとする意欲そのものが、らうに吸われているせいなのだ。

 高校3年に進級してから急激に衰えた性欲も、らうのせいである。

 男性ホルモンが抑制されたのか髪の毛だけはフサフサ。それだけが救いだった。


「じゃあ……もし、もしだぞ? 仮に俺が意気揚々と、自宅前の公園に包丁を持って乗り込もうとする意欲があったとしたら、」

「あぁ、そーゆうは養分にしないの。常識で考えて、マイナス要素になる意欲は吸い取らないんだなー。そんなの吸い取ったら私、お腹下しちゃうじゃない?」

「……」

 グルメな貧乏神である。


「でも包丁持って公園に乗り込む勇気なんてないでしょ? 1年以上見て来たけど、そんなこと到底できそうな人間じゃないし」

「まぁ……そうだが」

 俺の行動を妙に理解しているらうに感心しつつ、俺はお茶をすする。


 思えばおかしな光景だ。

 ひきこもりニートの俺の部屋に美少女がいる。

 グラビア雑誌の表紙を飾るようなこの美少女を押し倒して淫らな行為をしてやろう。

 こんな思考が次々湧いて出るものの、すぐに消滅してしまうのは、らうが貧乏神であるからであろう。知らず知らず性欲を吸い取られているのだ。


 ……ん?

「ちょっといいか……? 俺が想像する貧乏神っていうのは、雑巾を寄せ集めて作ったような着物か布か分からないボロボロな服を身にまとって首から頭陀袋を下げている老人だ。なんでお前はそんなにべっぴんさんなんだよ?」

「いつから貧乏神はそんな薄汚い老人なの? 失礼しちゃう。貧乏神は直接人間から養分を吸い取る分、他の神と違ってタイムラグなしに肥えるのが早いの」

「ちょ、ちょっと待て。他の神様も肥えているのか? どうやって」

「お賽銭とか。初詣の稼ぎ時は私も手伝いに行くわ。変わり種は人柱になった人間の魂ね」

「……」


 神様、えげつない。

「しかし俺は神様なんて信じない人間だぞ。……そりゃそうだろ? 大学受験の合格祈願で行った近所の神社。あそこでお守りとか絵馬とか買って祈願したのに不合格。あれ以来俺は神信心なんて糞食らえだ。なのにどうして急に貧乏神が……らうが見えるようになった?」

 そもそも本当に貧乏神なのか、俺は半信半疑で問う。


 と、らうはデニムの後ろポケットから扇子を取り出し、シャッ、と広げた。

 ケチの付けようのない美顔にパタパタと風を送って、

「ある程度養分を吸われると見えるようになるの。精も根も尽きる寸前ってことね」

「なっ!?」

 尽きる寸前ってことは、死ぬ寸前ってことだろ。

 こいつは俺を取り殺す気だ! 冗談じゃねぇ!!

「俺が大学受験に失敗したのも、ひきこもりになったのも、働く意欲がないのも、みんなみんな全部……お前のせいなんだな?」

「早い話、そういうことになるわねえ」

 パタパタ扇ぐのが余計癪に障る。


 ——らうは言った。

『マイナス要素になる意欲は吸い取らない』と。

 つまり沸々と湧き出てくるこの怒りは吸い取らないということだ。

 この女。どこの誰だか知らないが、力の限り殴ってやる。

 俺は握った拳を震わせてムクッと立ち上がり、

「……テメェ、よくも俺の人生を台無しにしてくれたな!! これでも食らいやがれッ!」

 らうの頭部目がけて拳を振り下ろしたその刹那——


 ボンッ、ボンッ!  バゴンッ!!

 学習机に置いてあったノートパソコンが爆発した。


「……は?」

 俺は、キーボードのキー1つひとつが飛び散る様をただただ呆然と眺めた。

 空中に飛び散ったキーは重力によって雨の如く床や布団に降り注ぎ、ノートパソコン本体からは、モクモクと煙が立ち上った。


「貧乏神だって神様だからね。危害を加えようとするとバチが当たるに決まってるじゃん?」

「うぉい! 大変だ!! 消化器! 俺の大事なパソコンがぁ! 大事なファイルがぁ!」

「大事って言ってもえっち動画とえっち画像じゃん」

 冷ややかに扇子を扇いでいるクソ忌々しい貧乏神を横目に、俺はとっさに枕を掴み、歯の抜けたようなキーボードへ押し当てた。

 濛々と煙が吹き出す。

 あぁ、もう、全部おしゃかだ。これ絶対ハードディスク逝った。

 今まで収集してきた俺の嫁たちが……消えてしまった。


「ゆーくん? 起きたの?」

 ドアの向こうでカーチャンの声がした。

「朝ご飯……ここに置いておくわね……」

 ひきこもるようになって両親とは口をきいていない。当然食事時には食卓に付かない俺。

 ゆえにカーチャンはこの時間になると食事をドアの前に置くようにになった。


「あはは。ゆーくんだって」

 らうがせせら笑う。

「さっき椅子から落ちたときのドスンって音を床ドンだと勘違いして朝食を持って来てくれたよ? ゆーくん」

「うっせーよ! 今それどころじゃねー! 消えろよクソ女が!!」

 消火活動中、カーチャンが食事を持って来て、これを揶揄するらうが憎たらしい。


 するとドアの向こうで、

「ご、ごめんなさいね……ゆーくん」

 そう言って、ドアの向こうでカーチャンの気配がなくなった。


 違うんだカーチャン! 勘違いだ! 俺はらうに「クソ女」って言ったんだ! カーチャンに言ったんじゃないんだ!!

「私の姿や声は、ゆーくん以外に見えもしないし聞こえもしないよ?」

「テメェそれを早く言いやがれ! チクショー!」

 健康食品購入時に付いてきた低反発枕が焦げた。が、それ以上に失う物が大きかった。

 大事な大事な嫁たち。

 カーチャンの心。

 今の俺はどちらも大切だが、特に後者は家庭崩壊している状態なので心配だ。

 ネット通販で買い物した時にお金を払ってくれるか、心配だ。


 落ち込む俺を眺めるらうは、何が楽しいのかニタニタ笑みを浮かべている。

「……俺が不幸になるのがそんなに嬉しいか?」

「うん」

 即答しやがった。


「こう見えても私、人が難儀してるの眺めるの好きなの」

「腐ってやがる……」

「ううん、腐ってるのはゆーくんだよ? ひきこもりニートじゃん。私は貧乏神なだけで、人間に取り憑いて養分を吸い取るのが謂わば仕事だからね」

 らうの言っていることは理解できるが理解したくない。

 誰のせいでひきこもりになって、働く意欲を誰が削いでいるのか。どうしてこのような結果に至ってしまったのか。


 ——すべては貧乏神のせいである。


「鬼はー外! 福はー内! 出てけ鬼め!」

「鬼じゃなくて貧乏神」

「変わらん! 出てけ!」

「イヤよ。ゆーくんほど取り憑きがいのある人間はいないもの」

「ゆーくんゆーくんうるせぇ! 気安く俺を呼ぶな! 俺より取り憑きやすい人間はこの世の中うじゃうじゃいるだろうが! そいつらのこと行け! 頼むから行ってくれ!」

「だーかーら。取り憑きがいがあるって言ってるでしょ?」


 ……取り憑きがいがある。

 ちっとも嬉しくない。誇らしくも何ともない。むしろ不名誉だ。

 いったい俺のどこに取り憑きがいがある?


「それはね、将来有望な人間。有望なら有望なほどいいわね。有望な人間がどん底まで落ちて行く過程で、なんとか這い上がろうとする際の意欲! これが一番おいしい養分なの。ゆーくんの養分、とてもおいしいです」

 ニタニタ笑いながら、まるで今も養分を吸い取っているかのように……らうは言った。


 おいしかろうが、俺にはまったくもって嬉しくない。

 吸い取らないでくれ……頼むから……。


 ——いや、ちょっと待ってほしい。

「将来有望? この俺が? ひきこもりニートのこの俺が将来有望なのか?」

「そうなのよ、うん。そこそこ有望なのは世の中ゴロゴロしているんだけど、その中でもゆーくんは上位の有望株ね。嗅覚で分かるの私。人間の女の子でもそうでしょ。『あ、この男性、お金持っていそう!』っていうの肌で感じるじゃん?」

「俺は女の子じゃねーから分からんが……ネット掲示板では金銭目的で近づいてくる女についての話題は多いな。そんな感じか」

「そそ。そのうえ、ゆーくんはお墨付きの有望株なんだから」

「……? どういうことだ……?」

「神の仲間内で人間の将来図っていうのが出回っているの。それを見ればゆーくんの将来は明るい」


 そんな将来図があるのか。

 ま、まぁ。縁結びの神だって、男と女をくっつけるだけの作業じゃないだろうからな。

 貧乏神が言うんだ。とくに驚きはせんよ。


 だが——

「将来は明るいんだろ? なのにどうして俺はひきこもりニートなんだ?」

「私が取り憑いているから」

 原因はやっぱりお前か!!

 殴ってやろうと思ったが、ノートパソコンがぶっ飛んだわけだし貧乏神の祟りは他の神様よりタチが悪いに違いない。

 俺はバチや祟りが怖いので、振り上げた拳をおろした。

 ノートパソコンから鼻を突く刺激臭が漂ってくるため、窓を開けて換気する。


 外は陽が沈んで暗かった。

 窓から見える公園に人の姿はない。

 外を眺めたことで心なしか少し落ち着くことができた。俺は学習机に座り、布団の上で気取ったように扇子を扇ぐ貧乏神——らうを見下ろした。


「お前が取り憑いていなかったら……俺はどうなっていたんだ?」

 聞きたいことはこれだった。

 らうが俺に取り憑いて、俺の人生になんら支障がないのなら問題にはしないのだが、いま聞いたように、俺は将来有望らしい。有望株らしい。

 まっとうな人生をおくっていたのなら俺は……。


「知りたい?」

 ピシャリと扇子を折り畳み、クリクリの瞳を俺に向けたらうは、

「ゆーくんには幼馴染みがいるでしょ? 幼馴染みの女の子」

「……いる」

 保育園から小学、中学、高校と……俺には幼馴染みの女がいる。

「それがどうした?」

「その女の子が、ゆーくんの将来の奥さん」

「奥さん? 奥さんっていうのは、配偶者? つまり、女房とか妻とか言い方は様々だけど、奥さんを差しているのか?」

「そう、奥さん。大学に進学して一流企業に就職したゆーくんは数年後、その会社を退職して独立するの。独立後、会社を立ち上げてからの仕事は順調そのもの。事業が軌道に乗って成功して、その同級生と結婚、子どもに恵まれてハッピーエンドだった」

「……だった?」


 最後の一言が気になるぞおい。

 らうが取り憑かなければ俺は、絵に描いたような出世道じゃないか!

「まさかだとは思うが……」

 俺は声を震わせて問うと、


「私が取り憑いて、将来図はとっくの昔に書き変わっちゃったけど?」


「——ッ!!」

 なんてこったい。なんてこったい!!

「可愛い顔しやがってテメェ! やることは血も涙もねぇのか!! このォ!」

 グッと握った拳。

 カァーッと頭に血が上り、後先考えず俺は学習机の椅子を弾き飛ばして立ち上がる。

 だがしかし——

「バチ、当たるわよ?」

 らうはニタニタ笑って、そう言った。


 俺は思った。

 その細い首を、力の限り両手で絞めたい。

 そのナイスボディを真っ二つに4つに8つに16に、ギタギタに切り刻んでやりたい。

 けれどもそんなことは不可能だ。

 バチが当たるし、傷つける事のできない性分だし……。精々殴る蹴るくらいだ。

 頭ん中で考えても実行に移せないのだから、俺は、この事を幼馴染みの女に言いつけることにした。


 幼馴染みの名前は、立川律たちかわ りつ

 俺のことを律はゆーくんと呼び、律のことを俺は——

「りっちゃんになんとかしてもらう! 一緒に来い、この野郎!」

 女に頼って情けない……などとは言っていられない。

 俺自身の力で解決できないのなら人に頼るまでだ!


「野郎じゃないんだけど私」とか抜かすらうを引き連れて、俺は開け放たれた窓を出た。

 ——そう。窓から外に出たのである。

 屋根の上なら部屋の延長線だろう。外も暗いし、人目につかない。

 怒りに身を任せた俺は今、地上最強の男だ。

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