これぞ最終奥義!
ちょくちょく死にたい気分になるけれどこんな終わり方あるか! と、念じて意識を取り戻したのは安息の地である自室だった。
俺は生きていた。
というか、女と一度もヤったとこないのに死んでたまるか。マジで。
目を開けたらシキモの顔が息の吹きかかる位置にあった。俺を覗き込んでいた。
「うわぁあああ!」
俺は飛び起きてうしろに後ずさりする。
どうやら俺は布団に寝かされていたようだ。
後ずさりしたせいで、毛布に足を取られて尻餅をつく。
「とととと通り魔がなぜここに!! それにどうして俺は部屋にいるんだ!?」
「ゆーくん落ち着いて!」
らうが言った。その傍にはふぅちゃんもいる。
寝ていた俺をらうとふぅちゃんとシキモが取り巻いていたんだと解る。
「通り魔じゃなくて、こちらは私の知り合いで、名前をシキモっていうの。死神だよ」
「死神っ!!」
らうの言葉に、俺は窓から脱出を試みる。
死神と言ったらラスボスじゃねーか!
そんなものに目をつけられては命が幾つあっても足りねえ!!
「落ち着いてってば、ゆーくん!」
「うっせぇ!」
脱出しようと窓枠に手をかけた俺の背後に、らうが飛んでくるように駆けて来て。
俺を羽交い締めにして脱出を妨害する。
「離せ、らう!! テメェは本当に貧乏神だな! 疫病神だけでは飽き足らず死神まで呼び寄せやがって!! そんなに俺を殺したいのか!」
「そんなことないからっ! 話を聞いてちょうだい!」
「誰が聞くか! てっ、うわっ」
窓枠に片足を乗っけていた俺。らうが思いっきり踏ん張りを利かせたせいでバランスを失い——部屋の中へ引き戻される。
というより、らうと一緒に後ろへ倒れる。
俺は背中から倒れると思い反射的に体を捻る。
ドタンッ!!
えげつない倒れ方で受け身もとれずに床に体を打った。
と思ったが——
俺は倒れた際の衝撃とともに、柔らかくて温かいものに顔をうずめた。
たとえるならそれは衝撃吸収剤のような……。エアバックのような?
ふにっ、というソフトな感触で、たわやかなもの。
「……なんだ?」
布団の上に倒れたのか? などと思って顔を上げる。
「ゆーくん……どこ、さわってるの……」
顔を真っ赤にさせたらう。
俺はらうに馬乗りの状態で、らうの豊満な胸を鷲掴みにしていた。
「いや、これは違うんだッ! 勘違いすんなよ!!」
やばいと思ったが、性欲を抑え切れなかった。
言い訳しながらも俺は、その胸を揉んでしまった。
ふにふに、ほよんほよん。柔らかかった。
らうは甘噛みするように己の薬指の関節を白い歯で咥え、耳まで赤くして、
「——あんッ」
恥ずかしそうに吐息をもらした。
その刹那。
天井から、吊り下げ式の丸形蛍光灯が俺の頭の上に落下して、
「ぎゃああああ!」
スポッと頭に嵌まった瞬間、目の前でバリンっと蛍光灯が割れた。
俺は顔面血だらけになって、後ろへひっくり返った。
らうのおっぱいを揉んだバチが当たったのだった。
「人間の分際で神に手を出すとは、この腐れ外道めっ!」
通り魔こと死神のシキモの前で、俺は正座をさせられて説教を受けている。
シキモの隣にらうが座っていて、そのまた隣ではふぅちゃんがスヤスヤ睡眠中。
出血は、薬箱から絆創膏を取り出して応急処置を済ませた。
だが。
問題は出血や説教ではない。
警棒を伸ばしたシキモが、黒いストッキングに包まれてむっちりとした美脚を、正座している俺の片膝に乗せて、警棒の先で俺の頭部を小突く。
「真鍋由。貴様の人生は残り少ないからな、くくく……。死神に目をつけられたらどうなるか、身をもって知れ」
「……それは……どういう意味なんだ」
「死んだ目で見上げてくるその度胸はなかなか大した物だ」
死んだ目はもとからだ。ほっといてくれ。
「いいだろう、特別に教えてやる。貴様の命は、もうすぐ尽きる」
「!?」
「驚いたか?」
シキモは、フッと口元を歪ませて不敵な笑みを見せた。
「俺の命は、もうすぐ尽きる……」
心の中でうすうすそうなんだろうと覚悟はしていたが、実際に、死神に面と向かって言われると言葉に言い表せない衝撃がある。
結構ショックだ。
らうの姿とその存在を認知して「精も根も尽きる寸前」と言われたあの時から、いずれ死ぬんだろうと思っていた。が、こうも早く死ぬとは……。
「貴様は風邪で死ぬんだ真鍋由。……真鍋、聞いてるか?」
シキモに警棒で額を小突かれる。
「痛いな、ったく。聞いてるっつーの」
「生意気なことを抜かすヤツだ。腐れ外道の人間が」
「うっせ。どうせ死ぬんだ。まだまだやりたい事あったのに……ヤケにもなる」
俺は捨て身の覚悟で、シキモに言った。
「ヤケになったついでに……いいか? 頼み事がある」
「面白い、言ってみろ」
「シキモ、1回で良いからヤらせてくれ!! 俺と寝てくれ!」
——この瞬間、世界が停止した。
グリニッジ天文台の時計も数秒止まっただろう。
現に部屋の空気はピンッと張り詰めたまま、弛緩する気配もない。
しばらくして、ふたたび刻が動いたかと思えば、
「は?」
目を丸くして驚き戸惑っているシキモが、
「きっ、貴様……らうの胸を揉みしごいておきながら、」
「しごいてねーよ! 誇大に過剰描写すんな!」
「ゆーくん。なに言ってるの……?」
震えた声を発して寄り縋ってくるらう。あたふたした様子だ。
「来るな貧乏神! 嫌いだって言ってんだろうが!」
俺がそう言うと、シキモが警棒で俺の鳩尾を突いて、
「貴様、らうに暴言を吐いてこのままで済むと思うな」
「暴言もなにも俺に取り憑いて養分吸ってる神だ! 嫌いになって当然だろうが!」
人生をむちゃくちゃに壊されて怒らない人間はいないだろう。
それに俺は——
「らうのようなタイプは嫌いなんだ。俺はいつも落ち込んでいて陰気な人間だろ?。そんな俺の隣でらうが微笑んでいる。どう考えても釣り合わない。養分を吸ってニタニタ笑ったりするし。でも、シキモは違うな。出会って間もないけど大人な印象がある。くわえてツンツンした感じと暗い雰囲気が良い」
暗いのは喪服のせいかも知れない。だが、
「俺はひきこもりニートで社会から疎外されている人間だ。陰と陽で言えば陰だ。らうは陽だが、シキモは陰だろ? ぴったりだ」
「勝手に決めるな、ゴミクズのくせに」
俺の片膝を踏み続けながら、シキモは鳩尾にギリギリと警棒をねじ込んでくる。
SMプレイみたいだった。
「俺はどうせ死ぬ! だったら1回だけいいだろ!!」
「開き直るなド腐れ外道のゴミクズ人間!」
まんざらでもない笑みを浮かべて罵倒してくるシキモ。
その気があるっぽい。
俺はというと大真面目にヤケクソだ。
死神だろうが何だろうがブス以外なら誰でもいいというのが男の本音。でも、らうだけは先ほども言ったように俺の人生をむちゃくちゃにした張本人なのでヤらせてくれとは口が裂けたって言わない。
ふぅちゃんはというと、常識的に考えて犯罪になる。人の生死を決めるシキモの前で「ふぅちゃんと……」なんて言ったら即死刑。魂を抜かれてしまう。
俺が一か八かの大勝負に出ると、
「でもまあ、考えてやらない事もない」
そう言ったシキモは頬をほんのり桜色に染めて、ツンツン棘のある事をつぶやきながら、恥じらうように俺から目をそらした。
「シキモそれ本当なの!?」
狼狽するらう。
「男に興味なかったのに!」
「らうは良いわよ! 男に困ら、」
シキモは詰め寄ってくるらうに弁解し始めたかと思いきや、俺の視線に気がついて、
「ちょっとこっちに来なっ」
らうを部屋の隅へと連れて行く。
俺に背を向けてシキモとらうは内緒話を始めた。が、さすがに5畳半の部屋。
その内容は筒抜けである。
「らうは男に困らないでしょうが! 豊乳でスタイルいいし、顔もいい。親戚や友だちの間でも評判いいんだから!」
「シキモだって男にモテてるじゃん!」
「近寄ってくる男がいたのは昔の話。最近は筋肉脳のバカ男と無責任なチャラ男くらいなの! 容姿だって、らうと違って目元はシャープだし豊乳でもない。地味にコンプレックス感じてるんだから! しかも『早く男を連れてこい』って両親に言われてて耳にタコができてんの!! 同じ死神仲間の若い娘には鬼女とあだ名つけられ鼻で笑われて、『らうの胸はメロン、シキモはオニギリ』って陰口言われてる! こっちだって必死なんだ」
「必死って言われても、ゆーくんには私が憑いてるんだから勝手なことしないでよ!」
「ここは譲りなさい!」
結構、女の生々しい会話が聞こえてくるのである。
らうの容姿は、親戚や友だち(と言っても全員貧乏神繋がりだろうが)の間で評判がいいらしい。が、シキモはそうでもないようだ。死神の女仲間では御局様的立場っぽい。
お局様といってもシキモの姿を見る限り、やはり俺と同い年か2、3上くらいの年だ。
シキモとらうは俺に背を向けたまま会話を続けている。
「らうは女盛りだし、ふぅちゃんは愛嬌があるし、成長するにつれてそれ相当の魅力が出てくる。けど、こっちは人間を相手にしないと男ができないっ! 冗談抜きで折り返し地点に差し掛かってる。女としてピンチなの! でもやっと今、その相手の男がここにいる!!」
「それ本気で言ってるのシキモ!?」
「……そのうち、らうも解るようになるわ……」
シキモの声その口調に勢いがなくなる。
なにか悟りを開いたような言い方だった。
死神の世界ではハタチを過ぎるとオバサンのような扱いになるのだろうか?
「真鍋というあの男、死んだ目をしていて顔も中の下でイケメンじゃないけど肝っ魂のある人間。出会って半日もしないで『ヤらせてくれ』『寝てくれ』なんて言えるのは底抜けのバカか……あるいは一目惚れしたかの2択でしょ? 逃がしたくない。残された寿命は僅かだけど、こっちでロウソクを継ぎ足して延命させればいい。死神の役得よ」
俺は普通にヤケクソなだけだ。
しかし、底抜けのバカよりかは「女に一目惚れ」と言った方が粋な感じがする。
尋ねられたら、「お前に一目惚れした」と口を合わせておこう。
尚も2人は内緒話を続ける。
「それは……寿命を延ばしてくれたら私も助かるし…………じゃあ、養分はどうするの? シキモの養分は人間の魂でしょ?」
「死神を舐めちゃ困るわ。ちゃんと貯金あるわよ。仮に底をついたら駅のホームに行ってごにょごにょ片付けちゃえばいいし。いつも通りの人身事故で処理するから大丈夫っ!」
聞いてはいけない事柄が耳に入った気がする。
「今回、鎖作戦はなしだから。せっかくの男を殺すわけにはいかない」
「鎖作戦……?」
「らう、忘れたの? 最初にらうが人間に取り憑いて意欲を削いで、次にふぅちゃんが取り憑いて体力を削ぎ、弱ったところで魂を根こそぎいただく手順。貧乏神、疫病神、死神の鎖作戦!」
なにその連係プレー。お前らキャッツアイかよ。
悪神に狙われたら一縷の望みもない展開に……。
「で、でも待って! ゆーくんは私が取り憑いてるの! 勝手に取らないで!」
「なんなの? どうしてそこまで拘る? …………ひょっとして、らう。真鍋に……」
シキモの台詞に、らうは肩をビクッとさせて、
「…………」押し黙る。
俺に背を向けているので、らうがどんな表情をしているかは解らない。が、横髪を手櫛で梳いた際にチラリと見えた耳が真っ赤だった。
「ははーん? そうなの」
シキモからは、らうの表情が窺えたようで妙に納得している。そして、
「だったらこうしましょ。お互いに諦める。それでいい?」
「お互いに……それってどういうこと?」
「つまり、真鍋にはやっぱり死んでもらいましょうってこと。死因は風邪ってことで」
シキモの言葉を聞いて思わず熱り立ち、
「——おおい! 聞こえてんぞ!!」
俺は声を張り上げた。
興奮のあまり、2人の背中へドロップキックをしてやりたいと思った。
「なに真鍋……女の内緒話を盗み聞き?」
「盗み聞きもクソもあるか!! やっぱり死んでもらうって人の命をどう思ってんだ!」
「養分だが、なにか?」
「ふざけんなよ悪神!」
コイツら悪神は人間のことなど何とも思っちゃいねえ!
全ての物事は、自分の物差しで計るしかない。俺には俺の尺度ってものがある。
神でも、許される事と許されない事があるはずだ。
許しちゃおけねえ神がいるっつーのは、俺自身の尺度をぶっ切ったがゆえの怒りだ。
俺は握った拳を震わせてシキモを睨みつける。
シキモは俺の拳を見、「フッ」とせせら笑うような息を吐き、
「やはり肝っ魂のあるヤツだな貴様は……くくく。祟りやバチというものを知らんようだ」
見下した態度で一歩二歩と俺に向かってくる。
「どうした? 殴れるものなら殴ってみろ」
「……クソッ!」
俺はムカついた。
どうせ何も出来ないだろう、と端から決めてかかって俺を馬鹿にしたその態度にムカつく。
今すぐにぶん殴ってやりたい、この意欲——
意欲は意欲でもこの激しい憤りは養分としてらうに吸い取られずに、どんどん増えていく。
遡ること高3の頃から俺の中に蓄積されて解消されずにいる鬱憤。
この凄まじい力を叩きぶつけてやりたい。
だが、それができねぇ……! ちくしょう!!
「ん? 口先だけか? くくく」
澄ました顔がニヤリと笑う。
俺は手出しできずに悔しくて悔しくて、無性に腹が立った。
シキモをヒィヒィ言わせてやりたかった。
シキモに「ご主人様! どうかお許しを!」と言わせてやりたかった。
シキモがどんなに許しを乞うても、俺は高速ピストンを止める気はねえ。
俺でなければ満足できない体に調教してやりたい。
そんな事を考えつくほどに、俺の頭はぶっ飛んでいる。
「……チッ、こうなったら」
「ほう? 何か策でもあるのか? こうなったら、どうなる?」
「ゆーくん! やめて!! シキモのバチは私以上だから大変なことになっちゃう!」
んな忠告はどうでもいいんだぜ、らう。安全な場所に隠れてな。
——なぜなら、俺にはこんな時につかうために隠しておいた必殺ワザがある。
「夜になるまで待て!」
そう叫んでシキモに土下座をした俺は間髪を入れずに、
「りっちゃんに何とかしてもらうから! 覚えてろよ悪神が!!」
これぞ最終奥義! 困ったときの他人頼み!!
俺をヘタレだと言ってくれるな。
俺の力ではどう足掻いても無理だと自分の尺度で計って理解したならば、この問題を他人に解決してもらうまでだ!
「「……」」
俺の大胆かつ見事な作戦に、らうとシキモはぐうの音も出ないでいる。
「肝っ魂があるとか、すべて前言撤回」
シキモは頭を横に振り、額に手を当てて「底抜けのバカを相手にしてしまった」という表情で肩を落とす。もの凄く落胆している。
らうは「やっぱりそういう人だった」という残念そうな気持ちとホッとした気持ちが混じったような複雑な表情で、
「ゆーくん、かっこ悪い」と言った。
何とでも言え。
助かるためならどんな手段でも使う、それが俺のポリシーだ。