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「あいつは社会のゴミだ」 「ゴミクズだ」


 起きてはネットをして寝る、起きてはネットをして寝る——毎日飽きずによくやる、と俺は自分で自分を褒めてやりたい。


 ところで、ネットをやっているその内容とは?

 ひきこもりニートの俺でも、やっぱり心のどこかでは、社会と繋がっていたい。

 本能的にそう思うのだろう、ネット掲示板と動画サイトに入り浸りだ。

 これさえあれば外に出なくていい。


 政治や国際、芸能ニュースからサブカルチャーまで、世の中の出来事が部屋に居ながらにして解る。

 ……解ったところでそれらを活かすことはできないけれど、知れば知るほど安心する。

「あぁ、俺も人と同じ情報を得て、それを共有しているんだ」

 ある種の満足感がある。安心感がある。

 人付き合いの苦手な……いや、対人恐怖症の俺としては大切な日課である。


 もしも人前に出た時、あれを知らないこれも知らないとなれば恥をかく。

 きっと白眼視される。ひょっとしたら仲間はずれにされるかもしれない。最悪の場合、嫌われ者のレッテルを貼られて、

「アイツといるとこっちも被害を被る」

 と言われ、集団から爪弾きされるに決まっている。

 そうならないためにも、俺は情報収集に明け暮れる。


 ——けれども。

 そうはいっても毎日毎日起きてはネットをして寝るの繰り返しだと、少しずつではあるが、生活時間が狂ってくる。

 一般人が一日24時間で生活しているところ、俺は32時間くらいで生活している。

 これはどういう事かと言うと、毎日夜更かしをして、起床時間が遅くなる。となれば寝る時間も遅くなる。そして起床も遅くなる。だんだんとずれ込む。


 一般人が朝の7時に起床して学校に行ったり働いたりして、寝るのが11時。起床が翌日の7時だとする。

 俺の場合、朝の7時に起床して寝るのが深夜2時。起床が翌日の昼過ぎ。

 活動時間と睡眠時間はその日の体調で多少ばらつきがあるものの、俺はそうやって一日を過ごしている。


 一般人と俺とでは、バイオリズムが異なる。

 この生活を続けていると、夜型だったのがだんだんと真っ当な生活時間にずれ込んで、至極当たり前の時間軸へと戻る事がある。

 それが今日だ。

 朝7時に目が覚めた。ぱっちり気持ちよく目が覚めた。

 窓を開けて外を見れば、自宅前の公園が朝霧に包まれている。今日もまた、暑い一日なんだろう。


 俺はしばらくの間、薄らぼんやりと立ち籠めている朝霧を眺めた。既に公園でのラジオ体操は終わっていて、小学生らの姿はない。今日もまた、公園はうるさくなる。非常に迷惑だ。

 見る見るうちに朝霧が晴れた。と同時に、ジリジリと焦げるような夏の匂いがする。濡れたアスファルトが乾いて熱を帯び始めているのだ。

 視線を部屋の中へ戻す。


「……」

 クソ忌々しいクソ貧乏神とクソ疫病神が、藁人形を封印した例の押し入れから布団を出してきて、2人一緒に寝ていた。

 薄手の毛布一枚を体にかけて2人とも、丸まって寝ている。

「クソ……」

 らうの寝顔、むちゃくちゃ可愛いじゃねーか。


 ——急に性欲が湧いた。近年稀に見るムラムラだ。爆発的なムラムラだ。

 寝込みを襲ってやろうか!! と思って、俺は忍足でらうに接近する。

 すぐ横まで近寄ると、すぅすぅと寝息を立てているのが耳に入る。

 らうは、こちらに背中を向けてスヤスヤ寝ている。肩から脇腹の辺りが寝息とともに膨らむというか、上下に動く。神も呼吸はするようだ。

 呼吸する、で疑問に思う。


 らうのヤツ、食事は俺の養分を吸っているのだろうけど、トイレや風呂はどうしているんだ? そのようなこと一度たりとも見た覚えがない。

 アイドルはなんちゃら、ではないだろうし、そう言えば着ている服も毎日違うような……。


「ん……んん」

 らうが寝返りをして、体の正面をこちらに向けた。

 俺はらうの服装をチェックした。

 始めて俺が目にした時に着ていたシャツと柄が違う。同じ花柄だが、今は手のひらほどの大きさのアサガオの花が描かれたシャツだ。……なんかアロハシャツみたいだ。

 いや、柄はどうでもいい。問題は以前着ていたシャツはどこに行ったのかだ。そして、持っている服はどこに仕舞ってあるのか。


「ゆーくん。どうしたの?」

 声をかけられた俺は驚いて、らうの顔をみた。

 クリクリの瞳が、俺を面白そうに見上げていた。


「なっ、なんでもねーし! 早く出てけ!」

「今、私の胸、見てたでしょ? 目線が胸にいってたよ」

「んなわけ、」

「あれれ? ゆーくん、養分いっぱいあるね? ……どういう養分かな?」

「……」


 どういう養分? たぶん百パーセント性欲の養分……言い訳できそうもなかった。

 実際、卑怯だと思う。

 胸の当たりに花やそれに準じる模様があれば見るだろ? で、「今どこ見てた? 胸でしょ?」、この注意の引き方は卑怯だ。卑猥だ!


「ねえ、ゆーくん。もしかして……」

 らうは上体だけをふらっと起こし、少し這うような格好で、

「寝顔、見てた? 私とふぅちゃんのどっちを見てたの?」

 淡桃色の唇をわずかに緩めた美顔が近づけてくる。

 栗色の髪の毛からいい匂いがして鼻孔をくすぐった。


「寝顔? ハッ、見てねーし。お前に手を上げることはあっても手を出すなんてねーし!」

「ふーん? そうなんだ、へえ?」

「……」

 らうのニヤニヤした表情から弄ばれている感じ窺えて、俺は後悔した。

 もう絶対、コイツでムラムラするのはやめよう。

 変な了見を起こせば取り返しのつかない事になって、「責任を取れ」とか「慰謝料を請求する」とか言われて人生終わるぞ! 解ったか俺!


「腹が減ったな! 朝食!」

 俺は話を逸らすため、カーチャンが作ってくれた料理を取りに立ち上がった。

 お盆に乗せて、ドアの前にある朝食。

「……あれ」

 ドアの前にあるべき朝食が見当たらない。代わりに、

「メモ? それと千円札が二枚……」

 どういうことなのか?

 俺は残されたメモを読んだ。



 由くんへ。お父さんとお母さんは少しの間、家を留守にします。

 お金を置いておきます。何か買って食べてください。



「な、なんだと!? ふざけんなよ!」

 メモをぐしゃぐしゃにして俺は叫んだ。

「外に出たくねぇって言ってんのによォ! どこで買うんだっつーの! 店が家に来るのか!? 来ねーだろ! 来ても面と向かって買い物なんてしたくねえ!」

 千円札2枚を握りしめ、ドアを閉める。

 どうすりゃいいんだ。何か解決策があるはずだ。だがなんだ? 何が解決策なんだ!?

「そんな大きな声だしたらふぅちゃん起きちゃうでしょ。どうしたの? 何かあったの?」

「何があったのじゃねーよ。ふざけやがって……ッ!」


 丸めたメモを、俺はらうに投げつけ——ようと思ったが、「バチが当たる」というのが頭に過り、女座りしているらうの一歩手前にメモを叩き付けた。咄嗟の判断だった。

 叩き付けて転がったメモを広げて、らうは、

「あーぁ……これ。ゆーくんが起きる1時間くらい前かな? お父様とお母様が出かける前にドアの前に置いて行ったね」

「お父様お母様って何だ! んな呼び方すんな! つーか、起きてたなら俺に教えろよ! 何で起こさねぇんだ!」

「だってゆーくん、気持ちよく寝てたから起こすのやめようって思っちゃった。かわいい寝顔だったよ? 鼻つまんだのわかった? それから私、ずっと起きてたから知ってるんだ、ゆーくんが私の寝顔見てたの。ホントは寝てないから寝顔じゃないけど」

「……」

 もうどこからツッコミすりゃいいのか解らん。


 つままれたらしい自分の鼻に手を当てる。ふぅちゃんが来て以来、俺は風邪を引いているので、ぐじゅっ、と鼻水が垂れた。……俺は落ち着くために鼻をかむ。

「女って怖いな……藁人形より怖いぜ……」

 寝ているとばかり思っていたが、実は目を閉じていたに過ぎなかったのか……。

 まんまと騙された。


 ——いや、そんな事はどうだっていい。過ぎ去った事だ。

 いま解決しなければならないのは食事。

 俺は人の子だから何かを食せねば餓死してしまう。

 だからといって、金を渡されて何か買って食うのは至難の業だ。正確には、

「金を渡されて『外に出かけて何か買って』食うのが……無理だ」

「ゆーくん……ひきこもりやめたら? 外に出ようよ」

「テメェが言うな。誰のせいでこうなったと思う?」

「ゆーくんが甲斐性なしだから?」

「……己の罪を棚に上げて、よくそんな事が言えるな……テメェは人間じゃねぇ!」

「貧乏神ですけど」

「ああ言えばこう言う! 次から次へと減らず口を叩きやがって!」

 バチさえ当たらなければ、らうをボコボコにしてやりたい。いかなる非難を受けようとも、俺は後悔などしない。


 ——悶々としたマイナス要素の意欲だけが蓄積されて発狂しそうになる。

「……ちくしょう、覚えてやがれ」

 だが俺は、暗黒面に落ちる寸前のところで踏みとどまる。

 今以上に悲惨な事態を招く恐れがある。

 それはつまり、つまらなかろう、と言うことだ。

 人生を棒に振るわけにはいかない。先日、らうは言っていたじゃないか。

 結構な立場まで回復する。

 そう、そうなのだ。

 今からでもまだ間に合う。社会復帰できる見込みはあるのだ。


 俺は深呼吸をして気を落ち着かせ、起きて早々小腹が減ったので、

「お、菓子があるな。少しは腹を満たせる」

 目の前にあった菓子に手を伸ばす。

 だが、次の瞬間。

 突如として凄まじい頭痛に襲われた。


「ぐあっ!!」

 土下座するように俺はその場に頭を抱え、丸くなる。

 頭が割れそうに、

「いっ……てぇ……!」

「ふぅちゃん!」

 らうの声。

 俺は歯を食いしばり、痛みに耐えながらそちらを見た。血の気が引いた。


 仁王立ちのふぅちゃんが釣り上がった目で俺を睨みつける。幼女のくせに凄みのある睨みをきかせていた。

 ギリリと睨んでいるその瞳が、「小僧、菓子を取るな……」と言っている。

 正直、ちびりそうだった。


「——ごごごごめん! ふぅちゃん許してくれ! 菓子は取らない。手をつけない。だからやめてくれえええ!!」

 頭がパーンと破裂しそうな痛みに堪え兼ねて、頭を床に擦り付けて他の感覚を得ようとした。が、痛むのは自分の頭なのか、それとも床なのか、それすら区別できない。


「ふぅちゃん、もうやめてあげて。ゆーくん謝ってるでしょ?」

 らうが少し怒ったようにふぅちゃんに言った。

 ふぅちゃんは小声でボソボソ告げたけれど、俺には聞き取れない。らうが通訳する。

「ゆーくん。そのお菓子はふぅちゃんの。だから勝手に取っちゃメッ!」

「わ、わかった。わかったから……いてぇ……いてぇよォ……」

 まるで観世音菩薩に緊箍児を頭につけられた孫悟空だ。


「それと、『お菓子がなくなりそうだから買ってこい』だって」

「なんでもするから! 早く何とかしてくれええ!」

 するとその刹那。

 激痛が嘘みたいにすぅと引いた。頭痛が消えた。


「…………今のは、何だったんだ……」

 元通りになって俺自身、ビックリ。

「ゆーくん。ふぅちゃんにお菓子買ってあげないとね」

 そう言うらうの横で、ふぅちゃんがニヤニヤと意地悪そうに笑っている。

「……」

 なんという脅迫。

 この疫病神、俺を殺しにかかっているとしか思えん。






 けれども俺は、決心できずに部屋にひきこもっていた。

 ふぅちゃんの菓子はアマゾンで注文しておけばいいだろう。

 しかし、差し当たって今現在、俺の空腹を満たさなければならない。

 台所に行って冷蔵庫を開けてみたけれど、そのまま直で食べられる食材はなかった。

 俺は料理など全くもって出来ない盆暗。中学校の家庭科の授業で、米を研ぐのに洗剤を投入したほどだ。そして仲間はずれにされた……。死にたかった。


 今、俺は餓死するかもしれない。死にたくない。

 白菜にマヨネーズを付けてバリバリ食べたが、おいしくなかった。また、空腹感は紛れなかった。

 どうしても、外に買い物に出かけなければならなかった。


「はやく外へ行こうよ」

「うるせぇ、らうは黙ってろ」

「どうして外に出ないの?」

「……」

 出れるもんならとっくに出ている。

 出たくないのには訳がある。

 ——この世に、道を歩く人がいなければ、俺はその道を公然と闊歩するだろう。

 ところが、残念ながら至極当然そこには人がいる。しかも、見知らぬ人だ。

 どこの誰だか解らない人間が自由気ままに往来している。

 その人間たちが、俺をひきこもりニートだとバカにするだろう。嘲笑するだろう。


 すれ違った瞬間、

「あいつは社会のゴミだ」

「ゴミクズだ」

 後ろ指を指すに違いない。


 間違って人混みにでも入ってしまったら激しく罵倒されるかもしれない。

 そんな酷い目に遭うのであれば、俺は一生、この部屋にひきこもっていたい。


「知っている人ならいいの?」

「それはそれで嫌だ。俺の過去を知っているヤツだ。町をうろつく俺を見かけたら、『あいつ、挙動不審すぎる。イカレてるのは知ってるが、あそこまで不細工だったとはな! アハハハハ!!』って笑われる!」

「……考え過ぎじゃないの?」

「いいや、そんなことはない。そんな俺を目撃したヤツは、連絡網で皆に知らせるに違いない。『要注意人物! 真鍋由!』って内容をメールで知らせるんだ」

 それは恐ろしい事だ。

 買い物に行っただけなのに、非ぬ疑いをかけられるかもしれないのだ。


 俺の横手で、らうが「早く出かけようよ」と急かして来る。

 どうしてお前はそんなにもニコニコ微笑んでいるんだ……。世の中厳しいんだぞ。


 と、そこで俺は閃いた。

 なんでこんな簡単なことに気がつかなかったんだ!

「俺の代わりに、お前が買い物に行ってくりゃいい! そうだ! それがいい!!」

「やーよ。1人で行ったってツマンナイじゃん。あ、いいこと思いついた!」

 らうも何か閃いたようだ。


「私と一緒に、手をつないで行こう?」

「……は?」

「ゆーくんは、1人で行こうと考えるからダメなんだよ。私と一緒に行けば、すれ違う人は「夏休みで浮かれているカップル」くらいにしか思わないよ。気にもとめなくなるし、なにより1人より2人の方が心強いでしょ?」

「いや、……だがそれは、」

「ゆーくん。お腹ペコペコなんでしょ? お父様とお母様はいつ帰って来るかわからないよ? 帰って来ても、すぐご飯を作ってくれるとは限らないし」

「……それは……確かに」

「もしもゆーくんを知っている人がいて、バカにしてきたら、私が追っ払っちゃうから、ね?」

「……」

 らうの姿が、俺の記憶に残る小学校時のりっちゃんの面影とダブった。

 くそう……。なんか今のらうが神に見えるぜ。お前、最高に輝いてる。


「仕方ない。らうの話に乗るか。だけど礼は言わねーぞ! お前は俺に憑いている貧乏神で、俺の人生をむちゃくちゃにしているんだからな!」

「冷たいの、ふーん」

 唇をツンと尖らせて膨れっ面をするらう。

「じゃあ、着替えるから部屋出てって。ふぅちゃんはお留守番ね? あ、ゆーくんは廊下で着替えてよ」

 言われて、俺はポイッと廊下にだされてしまった。


 着替える? らうが?

 どこから服を出して、着用していた服はどこへ? ……謎は深まるばかりだ。

 ん? ちょっと待ってくれ。


 俺、外に着ていく服がない。

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