一、就職、倒産、ホームレス
菰田義仁はホームレスである。
当の本人は、ただ決まって帰る場所がないだけで、自分はホームレスではないと言い張っている。
しかし、『ネカフェ』や公園のベンチで一晩を過ごす姿は、誰がどう見てもホームレスとしかいいようがなかった。
本人の自覚がない分、余計にたちが悪い。
義仁は、好きでホームレス(本人は違うというが)になった訳ではない。
義仁は四国地方の山間部の出身で、両親はそこで農業を営んでいる。
農家という言葉に、どこか違和感を抱いた義仁は、高校時代、大都市近郊の会社を希望して、就職活動をしていた。
地元四国の就職戦線は燦燦たるものがあったが、大都市圏にはそれなりの求人があった。
義仁は、会社の事をよく調べもせずに、楽そうだから、という理由だけで就職を決めてしまった。
そして、高校卒業と同時に上京し、就職が決まっていた東京の会社の寮へ引っ越ししたのだった。
義仁の仕事は、湾岸埋立地に建っていた工場内で行う単純作業だった。
入社後、一か月かそこらで仕事には飽きてしまったが、これで給料をもらっているんだから、と割り切り、会社を辞めずに頑張った。
しかし、義仁が勤め始めて二年も経たずに、その会社が倒産してしまったのだ。
会社の寮に住んでいた義仁は、仕事を失うと同時に、住む場所も失ってしまった。
会社の倒産は、あまりの突然のことだったが、それでもすぐに次の職を探していれば、ホームレスにならずに済んだであろう。
しかし、義仁は高校生の時と同じように、苦労せずにすぐに次が決まるだろう、と安易な考えを持ってしまった。
そして結局、義仁は次の仕事が見つからないまま、寮からの退寮を迫られたのだった。
義仁は、とりあえず家具や家電の調度品は実家へと送り、自分は身の回りのものと着替えだけを持って寮を出た。
その日、初めて『ネカフェ』に泊まった。
しかし、ソファは固くて寝心地は悪く、隣から聞こえてくるいびきの音と相まって、最悪の環境だった。義仁は、『ネカフェ』を一日で見限って、翌日からはカプセルホテルに泊まることにした。
義仁の仕事探しは、思うように進まなかった。
どうにか面接まではこぎ着けるものの、履歴書を見た瞬間に面接官の顔色が変わるのだ。
やはり、定住していないのがネックになっているようだ。
こうして、義仁のホームレス生活は始まった。