表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
娘は陛下の眠りを守る(墓守OLは先帝陛下のお側に侍る)  作者: 遊森謡子
第2章 世界と人とをつなぐ香り
9/43

2 雨の霊廟

 しばらくして、手元が暗くなっていることに気づいた私は顔を上げました。

朝は薄かった雲が、分厚く垂れこめています。時刻は私の感覚で言うと、午前九時とか十時くらい。事務所の中の時計は『黄の刻』を表しているはずです。

 入口の門から、金具の鳴るような音とともに大柄な人影が入ってきました。

「陛下、参拝の方が……あれ?」

 気がついたら、陛下の姿はありませんでした。廟に戻られたのかしら。

 大柄な人影は、大理石の石畳を踏んで私の方に大股で歩いてきます。紺色の短い髪、切れ長の青い瞳、薄い唇。濃い紅色のマントを巻きつけた筋骨隆々とした肩、腰に佩いた大剣、ひとかかえもありそうなブーツ。

 明らかに、他の参拝客とは違う雰囲気をまとっていらっしゃいます。近づいてくるだけで、すごい迫力です。昔見た映画で、洞窟探検中に大きな岩がゴロゴロ転がって追って来るのがありましたが、それを思い出してしまいました。

 傷跡の走る大きなごつごつした手が、紙に包んだ参拝料を私に差し出しました。私は黙ってそれをおし頂き、傍らの箱に納めてから、お供え用の香木の入った紙包みをお渡ししました。

 男性はそれを片手で受け取ると、きびきびとした動きで霊廟の方へ向かって行きます。

「軍人さんかしら……偉い方っぽい」

 背中を見送る私。男性は、真っ白な角砂糖のような廟の入口に姿を消しました。

 あ、香炉の炭、大丈夫かしら。

 思いついた私は急いで立ち上がると、廟へ急ぎました。入口からそっと中をのぞくと、五メートルほど奥の祭壇の前で、先ほどの男性が大理石の床にどっかりとあぐらをかいて座っていて、香炉から煙が立ちのぼっているのが見えます。ちゃんと煙が出てるなら大丈夫ですね。

 男性は、そのまま動きません。陛下に心の中で話しかけてらっしゃるのでしょうか……それとも、何か陛下について思い出していらっしゃるのでしょうか。

 私は静かに、その場を離れました。もしかして、陛下の姿が見えないのは、今この男性と向き合っているからなのかもしれません。


 事務所に戻り、しばらく勉強に集中していた私は、いつの間にか辺りを包んでいた水の匂いにハッと顔を上げました。

 雨です。ぽつ、ぽつ、と石畳に水玉模様ができ始めています。土の香りが立ち上ります。

 さっきの男性、まだ廟にいらっしゃるようですが、確か傘をお持ちではなかったはず。私は掃除用具などをしまってある倉庫に入りました。確かここに……。

「あった」

 傘が数本、入っていました。紙にくるまれているので、もしかしたら未使用かもしれません。紙を取り除けてみると、持ち手がまっすぐのその傘は木製で布張り。かなり重いです。

 こちらでは、傘って日常的に使うのかしら? それとも何か、特別な時用に置いてある?

 一応、持って行ってみましょう。必要がなければ無視して下されば良いのですから。

 一本を差し、一本は手に持ってテラスを出ました。大理石の石畳をたどり、廟に近づきます。開いたままの石扉の向こう、あの男性があぐらをかいて座る後ろ姿が見えます。

 私は男性の邪魔をしないよう、傘を差したまま、廟の外で立っていました。


 雨は、しばらく静かに降ったと思ったら急にザアッと本降りになり、また静かに降るのを何度か繰り返しました。遠くの山々がかすんで、見えなくなりました。地面のあちらこちらに水たまりができ、雨がその中で跳ねています。

 傘をもたせかけた肩が痛くなってきた頃、ようやく男性が立ち上がりました。一礼し、数歩下がってからこちらに向き直り、そして私に気づいたようです。

 私は廟に近づくと、自分の傘を庇の下に立てかけて置き、お客様用の傘を開きました。よいしょ、と男性の背の高さに持ち上げます。男性は背が高いので、重くて手がプルプルします。

 男性はこちらをじっと見つめてから、軽く身を屈めてこちら側に出ました。傘に入るのかと思いきや、すっと傘を受け取って、無表情のままその傘を閉じてしまいました。

 あうっ、必要なかったようです……。

 しかし男性は、私をサッと眺めまわして渋い美声で何か言い、軽くうなずきかけると、傘を片手で持ったまま雨の中を足早に門へと向かって行かれました。どういうことなのかと私が見送っていると、男性は門を出たところで傘を開き、片手で軽々と差しました。

 雨にかすむ広い背中が、階段を下って行きます。雨を縫って、馬のいななきがいくつか聞こえました。もしかして、お付きの方が待ってるのかな……。

「廟の中では、傘は差さないのが礼儀だ」

 はっ、と振り向くと、先帝陛下が腕を組んで私の背後に張り付くように立っていらっしゃいました。ちょ、近いです! 近すぎて背後霊みたいです! ってそれどころじゃなくて!

「そうだったんですか!? ご、ごめんなさい、何て失礼を……陛下にも、あの方にも」

「ダウード……いや、あの男のことなど気にしなくて良い。大体、馬で来ているぞあの男は。傘など必要ない」

 ああっ、そうか、馬! 軍人さんが傘差して馬に乗ったりしませんよね! こちらの人は馬に乗るんだって知ってるのに、自分が乗らないからって……私、ばか!?

「びしょ濡れではないか。さっさと持ち場に戻れ」

 そう言う陛下こそほとんど持ち場(祭壇)にいないじゃないですか、と突っ込むのも忘れ、私は自分の傘を取ってしょんぼりと石畳を事務所へと戻りました。

「何を落ち込んでいる」

 陛下が、まるで普通の人間のように後ろを歩いてついてきます。

 そうか、陛下は雨に濡れることも、もうないんだ……と頭の片隅で思いながら、私はもそもそと答えました。

「……せっかくここに参拝に来て下さったのに、私みたいな常識知らずが陛下の廟を管理してるのが申し訳なくて……」

 俯いた足元、長いスカートの裾も靴もびちょびちょで、余計惨めです。

「………………あの男は、お前が異国の者だと気づいていた。常識を知らないことを咎めてはいない。また来る」

 門の方を眺めて、陛下はおっしゃいます。慰めて下さってるんでしょうか。

「あの方は、どなたなんですか?」

 テラスの下に傘を広げて干し、持ってきた手布で濡れたスカートを抑えながら尋ねると、陛下は「戦友だ」と短くお答えになり、それ以上はおっしゃいませんでした。

 きっと私にペラペラしゃべれるほど浅い関係ではない、大事なご友人なのでしょう。さっき陛下がちらりと口にしたお名前、「ダウード」様……覚えておこうと思います。

「次は気をつけなくちゃ……あ、そうだ、さっきの方、床に直接お座りになってましたよね」

 今のうちに解決しておこうと、疑問に思ったことを口に出してみました。

「だから何だ。皇帝と話をする時は、椅子には座らないのが普通だ」

「あっ、そうなんですね。何か下に敷いた方がいいんでしょうか」

「あの男にそんなに気を遣わなくて良いと言っているだろう」

 腕を組んだ陛下が、指でご自分の上腕部をトントン叩いています。

「いえ、ただ、陛下の生前と同じように、床に座って接して下さったんですよね? そんなに大切なお知り合いなら、ゆっくりできるようにして差し上げたいなと」

「……全く……」

 陛下はなぜか苦笑して、黙ってしまわれました。

 それにしても、明らかに陛下の知り合いだった、というような方がお見えになったのは初めてです。……あれ? 陛下こそ、血縁の方はどうなさったんでしょう?

 そして陛下は、どうして亡くなったのかしら……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ