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4 翼ある虎の思慕

 ハプニングが起こったのは、一人で働き始めて一週間ほどが経ったある日のことでした。

 早朝から霊廟に行った私は、いつものように敷地を掃き清めていました。と言っても、葉っぱが散り落ちるような木はほとんどないし、空き缶や煙草の吸い殻を捨てる人もいないし、あっという間に終わってしまいます。

 小枝を束ねたような箒を事務所にしまいに行こうとして、私は陽が一瞬かげったのに気づきました。無意識に空を仰ぎます。

 白い、ふかふかのお腹が見えました。

「な!?」

 ぎょっとする私の目の前に、ぶわっと風を起こしながら舞い降りた、一頭の獣。

それは、あの翼の生えた虎でした。今度は、白い毛に黒い筋の入った虎です。翼も白くて、数本だけ鮮やかなメノウ色と黄色の羽が入っています。

 虎は、固まっている私をちらっと見やっただけで、大きな足を踏みしめて向こうへ歩いていきます。真っ直ぐに目指しているのは、廟の入口です。

「待っ……」

 声をかけようとしたけれど、注意を引くのが怖くて私は口をつぐみました。動物を廟に入れてもいいんでしょうか? どうしよう、誰か人を呼びに……でもここを離れるわけには……。

 迷っている間に、虎は廟の中に入ってしまいました。

 箒をその辺に立てかけて、私は恐る恐る廟に近づくと、入口から中をのぞき込みました。

虎は、お供え物が置いてある祭壇には目もくれず、大理石の椅子の所へ行っていました。

 そして、椅子のすぐ横におすわりをすると、椅子の背もたれを見上げ、片足をまるで「お手」のようにして肘かけに載せました。そのまま、じっとしています。

まるで、椅子に座っている誰かに、話しかけているみたい……。

 私は、実家で飼っていた柴犬を思い出しました。父が入院した時、父の書斎に入りこんでそこから動かなかった……。この虎も、先帝陛下が生前可愛がっていた虎なんでしょうか?

 後ろで、数人の足音がしました。振り向くと、手に縄を持った黒服の兵士さんが三人、こちらに近づいてきて私に何か言っています。どきなさい、と言っているようです。

 反射的に入口から離れて下がると、兵士さんたちは廟に一礼してから中に入りました。二度、三度、唸り声が廟の中に反響しました。

 ハラハラしながら待っていると、兵士さんたちはすぐに出てきました。そして三人で何か短く打ち合わせをしたかと思うと、一人がいったん門から出て行き、すぐに戻ってきました。手にお皿を持っています。そこには、ざっと三キロぐらいありそうな肉の塊が載っています。

 もう一人の兵士が、懐から何か取り出しました。白い、短いチョークみたいに見えます。彼はそれを、お皿の肉の中にぐっと埋め込みました。

 私は息をのみました。まさか、毒薬!?

「ま、待って下さい!」

 思わず声をかけました。兵士たちがこちらを振り向きます。

 私は廟の前に立ちふさがり、首をぶんぶんと振りました。

「殺しちゃダメです!」

 その時、耳元で、短い口笛のような音が鳴ったような気がしました。風のいたずら……?

 何かが背中をこするのを感じて、私はちょっと身体をひねって後ろを見ました。

 いつの間にか音もなく、虎が廟から出てきていました。そして、立ち尽くす私に近づいて私の匂いを嗅いでいたのです。

 虎はそのまま、私の周りをぐるりと回りました。柔らかな毛皮が私の手をかすめます。何しろ大きいので、首筋のあたりにまで息がかかります。く、くすぐったい。でも怖くて動けない。

 嗅ぎ終えた虎は改めて私の後ろに回り込むと、そこにどっかりと座り込み、そのまま「伏せ」をしました。背中の翼をぶわっと広げ、片方の翼を私の前に回して、地面に休ませます。

 えーと、私はつまり、虎さんの翼に抱き寄せられるようにして立っているのです。

 頬が引きつります。兵士たちは唖然としてこちらを見ています。見てないで何とかして!

 そこへさらに、もう一人駆け込んできました。ちょっと汚れてはいるけれど草色の上下の服を着た、快活そうなその男性は、私と虎の様子を見て何やら嬉しそうに笑いました。そして、私を指さして兵士さんたちに何か言っています。

 ところが兵士さんたちが何か言い返し、えっ、何か揉め始めた?

 私はついていけなくなって、虎を足元に侍らせたままぽつーんと立ち尽くしていました。


 怒濤の話し合いの間に陽は高く昇り、時間はどんどん過ぎて行きました。

「……困ったな……」

 私はちらりと虎を見て呟きました。私が虎から離れられたとしても、虎がここに居座ってしまったら兵士さんたちもここを動けませんよね。霊廟を管理するのが私の仕事ですから、ほっぽって帰るわけにもいきません。お付き合いした方がいいんでしょうか。

「私としては、午前中だったら、いつでも来てくれて構わないんだけどね……」

 すると急に、虎はすっと立ち上がりました。男性陣がハッとしてこちらに向き直ります。

 虎は私から離れ、バッサバッサと翼をはためかせました。そして助走をつけて飛び上がり、石垣を越えて行ってしまいました。兵士さんたちは慌てて門から飛び出し追いかけて行きます。

 良かった! どこに住んでるのか知らないけど、きっと帰る気になったんですね。

 そしてこれは、事情を知ったハティラ先生が後になって、私にわかる単語や絵、身振りで説明して下さった内容なのですが。

 虎は私が想像した通り、廟に眠っている先帝陛下の飼い虎……だったそうです。名前は『サダルメリク』。草色の服を着た若い男性は、サダルメリクのお世話係――飼育員さんでした。

 サダルメリクが、飼育員さんの言うことをよく聞いていい子で暮らすといいんですが。


 これでこの件は終わったのかと思っていたら。

 翌日の早朝、いつものように廟に来てみると、廟の裏手に私の身長くらいの高さの簡単な小屋ができておりまして。中から、あの虎がのっそりと出てきたではありませんか。

 仰天していると、「おはよう」という単語が聞こえました。あの飼育員さんが姿を現したのです。彼は私に何か話しかけながら、井戸から水を汲むと、小屋の前にある大きな陶器らしき入れ物に入れました。サダルメリクがぴちゃぴちゃと飲み始めます。

 そして、「じゃあ後はよろしく!」とばかりに笑顔で手を振って――敷地から出ていってしまいました。ええっ、と門まで出てみると、階段を降りていく後ろ姿。おーい。

 私はゆっくりと廟の裏まで戻ると、少し離れた所からサダルメリクに話しかけました。

「あの、あなた……ここで過ごすの?」

 虎は、クォン、と鼻にかかった鳴き声をたて、私に近づくと手におでこをすりつけてきます。

「え、でも、ずっと? 私は午前中しかいないのよ。ご飯は? ブラシかけたりは?」

 動物とはいえ、相手がいるとついつい話しかけてしまいます。これだけの長さの日本語をしゃべったのも、久しぶりです。

 するとその時、後ろから声がしました。


「何だ。やはり話せるのだな、娘」

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