3 先帝陛下の霊廟
数日後、私は再びやってきたアルドゥンさんと、馬で出かけました。
草原をしばらく行ったところに、林に囲まれた丘があります。馬から降り、歩いて登っていくと石垣があり、金属製の両開きの門がついていました。左右の門扉の中央にはそれぞれ、不思議な紋章の描かれたタイルがはめ込まれています。
アルドゥンさんが門の鍵を開け、中に入ると、すぐそこに古ぼけた木造の小屋。正面奥には角砂糖のような真っ白な建物。建物はこの二つです。
奥の白い建物の扉を開けると、ひんやりした空気がすぅっと頬を撫でました。中は暗く、入口から入った陽光で祭壇や大理石の立派な椅子が一脚あるのが見えました。さらに奥にも部屋があるようですが、石の扉に鎖がかかって頑丈に施錠されているようです。
雰囲気で何となくわかりました。ここ、お墓です。
あ、祭壇の両脇に立てられた二本の旗は、宮殿前で見かけた葬列で先頭の人が掲げていたものです。見覚えがあると思いました。ということは、あの葬列で運ばれた人が、ここに眠っているのかしら? 立派な葬列でしたから、割と偉い方なのだと思います。ならばここは、お墓、というより『霊廟』と呼ぶのが相応しいかもしれません。
入口近くの小屋で、かまどの火の熾し方を教わったり倉庫の中の掃除道具を示されたりして、やっと私の仕事がわかりました。
私、この霊廟の、掃除その他の仕事をさせてもらえるのです。
学院に戻ったその日の午後の授業で、ようやく国の名前もわかりました。
ハティラ先生に地図を指さして教えてもらった所では、国の名前は「ゼフェナーン」と言うそうです。でも先生、地図のあちこちの国を指さして、あれもゼフェナーン、これもゼフェナーンだと言います。どうやらゼフェナーンは、たくさんの国を統括している超大国らしいです。「ゼフェナーン帝国」、という感じでしょうか。
そんな大きな国を、私は知らない……。不安を覚えつつも、私はどうにか言葉を覚えようと、せっせとメモを取って勉強しました。
そして、先生は驚くべきことを教えてくれました。私が働くことになったあの霊廟に埋葬されているのは、先代の皇帝陛下なのだそうです!
私はまじまじと、先帝陛下の肖像を見ました。
……タラコくちびるです。こちらって、似顔絵を描く時に唇をリアルに描く文化なのかしら。文化の違う私には、この絵から元のお顔を想像することはできませんでした。
すごい場所で働くことになったんだなぁ、と思いつつも、私はちょっと不思議でした。
こんなに広大な帝国を治めていた皇帝陛下の霊廟にしては、あそこ、小さくないですか? ピラミッドとかタージ・マハルとは言いませんが、もっとこう、せめてこの学院くらい大きくてもいいような気が……。まあ、お墓は小さく作るのがここの文化なのかもしれませんけれど。
気にはなりましたが、私はすぐに新しい言葉を覚えることに必死になっていきました。
翌日はもう一度、アルドゥンさんがお忙しい中を付き添ってくれましたが、その翌日からは一人で一時間ほど歩いて、霊廟まで行くことになりました。
携帯のアラームで早起きして、夜明けの草原をたった一人で歩くのは、心細くもありましたがとても気持ちのいい時間です。霊廟の門にたどり着いて、預かっていた鍵を使って開くと、私はちょっとした達成感で嬉しくなりました。廟に向かって一礼して、「おはようございます」と小さな声であいさつすると、朝の風がバレッタで束ねた私の髪を舞い上げるように通り過ぎて行きます。
かまどに火を熾す時に使うのは、ちょっと変わった道具です。ポシェット型をした金属の箱で、細い鎖で首から下げられるようになっているのですが、箱のふたに彫金というのか、模様が打ちだされています。これは装身具であると同時に火口箱で、底に厚みのある金属の板(火打金)がくっついているんです。
箱の中には火打石と、おがくずみたいな火口が入っています。箱の底の金属の板と火打石をぶつけると、びっくりするくらい火花が出ます。慣れてくると短時間で火口に火をつけ、かまどに火を熾せるようになりました。後は埋み火にしておいて、使いたい時に使います。
霊廟を参拝に訪れるのは、午前中がよいとされているようです。こちらの時間は、ちょっと変わった形の時計で私にも読み取ることができます。事務所にもあるのですが、柱時計ほどの大きさの板に棒状の気温計がはまっているような感じ。仕組みは全然知らないのですが、朝に見るとガラスの管の中は全て赤く染まっています。時間が経つと、温度が下がるように色づいた部分が下がって来て、色も橙から黄色へ。お昼頃には緑になって、色づいた部分は下の方数センチだけになります。それから今度は温度が上がるように増えだして、夕方に青になってどんどん濃くなって、夜はガラス管いっぱい濃い紫になります。虹色に変化してとても綺麗ですし、色と色づいた部分の長さで細かい時間がわかるようになっています。
『橙の刻』を中心に、参拝者がぽつぽつと訪れます。ほとんどが近隣の村の方々で、たまに旅行者もいます。参拝客が来ない時などは、私は言葉の勉強をします。『黄の刻』の半ばになったら片付け始め、『緑の刻』の時間が始まる頃にはあちこち施錠して、歩いて町に戻ります。
寮の食堂で遅めの昼食をとり、『青の刻』には子供たちと一緒に読み書きの授業。それからの自由時間には町をぶらぶらしたり、部屋の掃除をしたりして、『藍の刻』の終わりには再び食堂で夕食。寮のお風呂を使い(このあたりは大きな川があって水が豊富です)、『紫の刻』になる頃には休みます。
一日の流れはこんな感じ。日本にいた頃は残業三昧で、自己管理さえ難しいくらいでしたが、こちらに来てから体調が整ってきた気がします。
……とても、穏やかな日々です。仕事で追い詰められていたのが、嘘のよう。
ある日、霊廟の周りを掃除する手をふと止めて、私はつぶやきました。
「もしかして、死のうとして失敗して記憶喪失になったのかしら。私ならありえそう」
緩やかに吹いていた風が、凪いでいます。まるで誰かが聞き耳を立てているように、あたりは静かです。
――思い出すと、みぞおちのあたりがきゅっと痛くなるような、そんな日々でした。
無理難題に思える仕事、休み返上で働かないと終わらない仕事。尊敬している上司に「君ならできるはずだ」「君のためになる仕事だよ」って言われて、できない自分が情けなくて、身体も辛くて、落ち込んで。追い詰められた私が、自殺しようとした――その過程で記憶を失ったと考えれば、納得がいきます。
「私ってホントに、ダメだなぁ……」
私はぽつりとつぶやくと、掃除を再開しました。
再び流れ出した風が、緩やかに足下を吹き抜けていきました。