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5 炎の螺旋

 以前、ナウディさんがクレエラから香木を運んできて下さった時、私が手を離せなかったのでナウディさんが事務所の棚にそれをしまったことがありました。あの時、何か聞きたそうにしていたナウディさん――きっと、棚に隠してあった耳飾りを見つけたに違いありません。

 皇帝陛下のご学友で、相談相手にもなっているナウディさんなら、皇帝陛下の婚約者となったシェイリントーン姫とも会ったことがあるかもしれません。それで、先帝陛下から姫に贈られた特別な耳飾りのことも知っていた……?

 ナウディさんはさらに続けました。

「姫の耳飾りを持っているのに、姫のことを知らないふりをしたよね。母に、皇帝陛下の結婚について聞いた時、姫は綺麗か……と尋ねていた」

「それは、でも」

 言葉が、出てきません。姫の事は明かせないし、何を言ってよいのか、何を言ったらいけないのかもわからず、そして事態をうまく収める語彙が、私にはないのです。

 静電気か何かのように、背中にぴりっとした気配を感じて急いで振り返ると、少し離れた木立の陰からランタンを手にした黒い姿が一つ、現れたところでした。

 痩せた黒のローブ姿、額と頬に赤い紋様。男性の呪い師さんです。背格好に見覚えが……いつか、先生の家の近くでナウディさんと話していた呪い師さん、でしょうか。

 頬のこけた呪い師さんが、口を開きました。

「その娘がトーコだな」

「待ってくれ、彼女はここに来た記憶がないんだ。それは宮殿の医師が確かめている」

 急にナウディさんがそんなことを言い始めて、私は当惑しました。

 確かに私、最初に自分がゼフェナーンにいることに気づいた後、クレエラの宮殿でお医者様の診察を受けています。自分は日本人でゼフェナーンなんて知らない、と主張する私に、お医者様は呪いを使って嘘をついていないことを確認しています。でも、なぜ今、それを?

「彼女が邪な者ではないと確認したからこそ、拘束せずにこうして野で暮らすことを官は許しているんだ。本当に何も知らないのかもしれない」

 ナウディさんはどこか必死な口調で、呪い師さんに言い募ります。

 その勢いとはうらはらに、呪い師さんは静かに答えました。

「彼女自身が気づいておらぬだけで、精神の奥、呪いでは読みとれない深みに、何者かが邪な意図を仕込んでいるとしたら? 姫とつながりがあることを、隠していたのだろう?」

 呪い師さんは私から目を離さず、私は縫い止められたかのように動けませんでした。

 おぼろげながら、わかってきました。ナウディさんや呪い師さんにとって、私の行動が怪しいものだったらしい、ということです。シェイリントーン姫が霊廟を訪れたのを、誰にも言わない方がいいのではないかと思って秘密にしていた……そのことが、あらぬ疑いを招くなんて。

 でも、私は一体、何の疑いをかけられているのでしょう? 何か、犯罪を犯したと?

 犯罪と言って思い浮かぶのは、先帝陛下が亡くなったことに関してですが……。

「陛下のご心痛を間近で見てきたのはお前だろう」

「それは」

 会話は続いており、呪い師さんの言葉にナウディさんが息を飲みました。この場合の「陛下」は、現在の皇帝陛下のことでしょう。

「事は皇帝家に関わる。疑わしき者をそのままにはしておけぬ。記憶を読みとれないような高度な呪いを仕込まれているなら、この場で抹殺するところだが」

 呪い師さんが一歩、こちらに踏み出しました。

「ナウディ、お前の意見を容れよう。彼女の、ゼフェナーンに関する記憶を全て封印する。旅に同行し、お前の監視下に置け」


 一瞬、呼吸が止まったかと思いました。

 ……今、何て。

 私の記憶を、封印? ゼフェナーンに関する記憶を、全て?


 急いで振り向くと、ナウディさんも私を見ていました。

「ごめん、トーコ。俺には、君が帝国に悪意を持つ人間だとは思えないから、君を死なせたくない。でも、不用意に何かしゃべられると、陛下や姫が困る。こうするしかないんだ」

 はっ、と振り返ると、こちらに呪い師さんの手が伸びてくるところでした。

「嫌っ」

 反射的にその手を払いのけ、私は後ずさりました。宮殿で見かけた、罪人の姿が頭をよぎります。

 私の記憶を、呪いで封印する? 絶対、嫌です!

 陛下のことを、忘れてしまうのは嫌です。私の記憶に残ることで、私の人生に寄り添えて嬉しいと、そう言って下さったのに!

 呪い師さん、ナウディさんに挟まれ、もう一方は泉。

 私は木立に飛び込むようにして走り出しました。自分の呼吸の音が、嫌に耳につきます。

 木立を抜けたところですぐに、後ろから肩をつかまれました。その拍子に木の根につまずき、左の足首がねじれて、私は悲鳴を上げて膝をつきました。

「トーコ、どこへ行くんだ!」

 ナウディさんが、私を引き留めています。

「離して! 陛下っ……う」

 視線の先に、草原が広がっています。夜空には星が瞬き始めており、霊廟のある丘のシルエットが、草の海に浮かぶ島のように見えています。

 手をつき、立ち上がってそちらへ走りだそうとして、私は足の痛みに声を上げました。

 ナウディさんが衝撃を受けたように、言いました。

「陛下、って……」

「先帝のことか」

 呪い師さんが、低い声で言って近寄ってきました。

「やはりこの娘、先帝の死について何か知っているのだ。七の月の儀式が終わり、ようやく皇帝家が落ちついて本葬を迎えようとしておるのに、このような者が残っていたとは。……ナウディ、諦めろ、陛下の御為だ」

「トーコ」

 ナウディさんの、愕然とした声音。

 もがく私の顎を呪い師さんが捕らえ、木の根元に押しつけながらぐっと上向けました。恐怖に頭の芯が痺れたようになり、私は荒い息をつきながら、呪い師さんを見上げるしかできません。

 口元に何か細い筒のようなものが押しつけられ、唇をこじ開けられました。ほろ苦い、水のような液体が口に流れ込んできます。

 苦しさに思わず飲み下したのと、風のうなりが聞こえたのは同時のことでした。

 大きな白い姿が、横殴りに呪い師さんとナウディさんを吹っ飛ばしました。私も勢いで横に転がります。喉を押さえて咳込みながら、顔を上げました。

 サダルメリクです!

「サ……げほっ、げほっ」

 うまく声が出ません。けれど、彼はすぐに私の側にやってきて、起き上がったナウディさんとの間に立ちふさがりました。呪い師さんは泉に落ちたようで、這い上がろうとしています。

「トーコ」

 ナウディさんは、サダルメリクと私、それに呪い師さんを交互に見つめると――

 だらり、と両腕を垂らしました。

「ごめんな。霊廟に行きたいのか。……早く行って」

 唸るサダルメリクが足を踏み出すのを、私はすがるようにして止めました。ナウディさんは、もう、こちらを見ません。呪い師さんは泉から上がり、急いでこちらに向かってきます。

 何だか、足にうまく力が入らない……でも無理矢理、サダルメリクの背によじ登ります。

 気づいた彼が途中で屈むようにして、私をすくい上げてくれました。そして、ナウディさんや呪い師さんのことなど目に入らないように、身を翻して地を蹴りました。

 待て、という声が聞こえた気がしましたが、すぐに遠くなりました。


 びゅうびゅうと、耳元で風が唸ります。

 サダルメリクの翼の付け根につかまるようにして、私はじっと身体を伏せていました。

 さっきから、発熱しているかのように汗が出て、動悸がします。サダルメリクが滑空の合間、時折り地面に足をつけて助走をつけるたび、その振動で身体が浮き上がって落ちそうになります。いつもはこんなに辛くないのに……。

 サダルメリクの動きが変わった、と思ったら、彼は大きく跳躍しました。ついに私の手が、翼の付け根から離れてしまい――

 直後、着地したサダルメリクの背中に落ちてワンバウンドした私の身体は、さらに横に転がり落ちました。目を開けると、闇に沈んだ地面と、わずかに白く浮かぶ霊廟の建物。

 そして。


「トーコ!」


 その声に、肘をついて急いで起きあがろうとして、ひどいめまいに一度、額を地面につけてしまいます。何度か浅い呼吸をしてから、もう一度ゆっくりと、重い頭を上げました。

「トーコ、一体」

 陛下が私の横に片膝をついて、愕然とした表情でのぞきこんでいらっしゃいます。

 七日ぶりの、陛下の白いお姿……。

 サダルメリクが私の背中に額を押しつけてきたので、私はかろうじて彼に寄りかかり、足を崩して座るような姿勢になりました。

「へい、か」

 お久しぶりです、と言いかけて、私は咳込みました。呼吸を整える私の口元に、陛下は素早い動きで顔を近づけます。

「この匂いは」

 そうつぶやいた後、陛下は絶句してしまわれました。私が呪い師に飲まされたものに、心当たりがあるのでしょうか。

「あの、ごめん、なさい……姫の、耳飾り」

 私は途切れ途切れに、事情を説明しようとしました。

「返せなくて……隠してたのを、見つかって」

「そうか。わかった」

 陛下は静かに頷かれました。

 本当に今のでわかったのでしょうか? 私には全然わからないのですが。

「呪い師、私の記憶、消すって……陛下のこと、忘れる、嫌……逃げ、たら……」

 日本語なのに、途切れ途切れの言葉。その先はもううまく話せず、私はすすり泣くことしかできませんでした。

「うむ。もう良い」

 陛下は、今までで一番、優しい顔になりました。大きな口が、笑みを作っています。

 そして、おっしゃいました。

「トーコ。頼みがある。辛いだろうが、今少し耐えられるか?」

 私は小さく頷き、慎重に身体を起こします。生まれたての赤ちゃんのように、頭がぐらぐらします。

「火口箱を開けろ」

 言われた通りに、何も考えずに火口箱を開けました。

「そう。火口を出して、そこに置け。火をつけられるか?」

 私は震える手で、おがくずのような火口を取り出し、敷石の上に置きました。火打ち石を取り出し、火口箱の底に取り付けられた火打金と打ち合わせます。

 何度も失敗してしまいましたが、ようやく火口がちらりと赤く光りました。

「もう良いぞ、トーコ」

 陛下の声がして、すうっと風が吹きました。火口がぱっと燃え上がって、あたりがわずかに明るくなります。もしかして、私がいつも早く火を起こせていたのは、陛下がこうやって手伝って下さってたからだったりして。

 風が渦を巻き、枯れ葉が宙を舞いました。枯れ葉は綺麗に螺旋を描き、くるくると霊廟の上へ舞い上がっていきます。そこに、火口の火が移りました。火はたちまち枯れ葉の螺旋を駆け上がり、霊廟の上の方へと運ばれていきました。

 サダルメリクに寄りかかったまま、火の踊るような動きをぼーっと見ているうちに、だんだん気が遠くなってきました。

 闇の中にぼんやり見えていた景色がさらに暗くなり、白く光っているはずの陛下のお姿さえぼやけてきます。私はそちらに手を伸ばそうとしましたが、もう、腕が上がりませんでした。

「よくやったな、トーコ」

 陛下の低い声が、優しく心地よく、身体に響きます。

 まるで、包み込まれているようです。

「私が側にいる。もう誰も、お前の記憶を消すことはない。ゆっくり眠れ」


 陛下が、側に……。


 安心して頷くとすぐに、瞼が重くなって――


◇    ◇    ◇


 あまりのまぶしさに、手で顔の前に影を作ろうとしながら、私は目を開きました。

 不思議なことに、目を開いたとたん、強い光はすーっと収まり――


「うわぁ?」

 私は目を見開いて、前後左右、上下も全て、見回しました。

 身体が、真っ白な空間に浮いていました。あちらこちらに銀河系のような虹色の渦が浮かんでいて、まるで白い宇宙のようです。虹色の渦の中には、人間や動物、魚たちなどが活動する様子が、スクリーンのように映し出されていました。

 気がつくと、自分の手足まで何だか白っぽく、半透明に見えます。服らしきものが見えず、あれっヘルアさんの形見のあの服は? と思った瞬間、私は白の上衣に青のスカートを身につけていました。

 私の足のずっとずっと下にも渦があり、吸い込まれそうです。怖くなって、どこかにつかまろうと手を泳がせました。

 その手が、温かいものに触れました。

 顔を上げると、太い眉の下のきりっとした目が、私を見つめていました。

次話とエピローグは同時投稿です。

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