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4 取り返しのつかない失敗

 はっ、と身を起こすと、空の一部が群青に染まっていました。朝が近づいています。

 私はサダルメリクの首のあたりに、顔をうずめて眠っていたようです。身体の上に彼の翼がかかっています。

「おはよう。布団代わりにしちゃってごめんね。……陛下?」

 見回すと、

「ここにいる」

 サダルメリクの身体を挟んだ向こう側から、陛下の顔がのぞきました。

 陛下は、眠る必要はないはずなので……やっぱり、寝顔、見られてたのかしら。うわぁ。

 にわかに火照った頬に、朝の清涼な空気の冷たさが心地よく感じます。私は陛下の瞳をまっすぐ見て、「おはようございます……」とあいさつしました。

 陛下はうなずき、おっしゃいました。

「私の寝所で、一夜を明かしてしまったな。これは大変なことだぞ、トーコ」

「え? それはどういう」

 うろたえて尋ねると、陛下はからかうような、そして嬉しそうにも見える笑顔になりました。

「私の寵姫になったことが、宮殿中に知れ渡るわけだからな」

 私は「はあ」と間抜けな返事をしてから、笑って立ち上がりました。

「それは光栄ですね。さて、カーフォ豆カーフォ豆! 夜明けのコーヒーを準備しなくちゃ」

「夜明けの? 何か特別なのか?」

 片方の眉を上げる陛下に、私は首を横に振って言いました。

「いいえ、全然。これっぽっちも」


 コーヒー豆の香りを楽しんだ後、私は霊廟を辞すことにしました。

「それでは陛下、年が明けたらまたお伺いしますね」

「うむ」

 そんな、簡単なやり取り。

 私はいつものようにぺこりと頭を下げると、石壁に設けられた金属の門を施錠しました。

 そのガチャンという音が、心に区切りをつけるように感じられました。


 サダルメリクに送ってもらってミルスウドに戻ると、学院寮のすぐ裏手で下ろしてもらいました。霊廟に戻る彼を見送ってから、急いで寮の部屋に駆け込みます。気合の入った格好で男性の所に出かけていたのがバレてしまうと、やっぱり恥ずかしいですから。

 普段着に着替え、買っておいたパンを朝食に食べて、荷物をまとめてから学院を出ました。その頃には他の寮生たちも出てきて、街で朝食を採ってから故郷への帰路に着くようでした。


 ハティラ先生のお宅に伺うと、先生とナウディさんはまだ朝食の途中でした。

「おはようございます、私、早い、すみません!」

 恐縮して言うと、ハティラ先生はニコニコと

「いいのよいいのよ、朝食は? 食べたのね? お茶どう?」

と言って、台所の方へ足取り軽く歩いて行ってしまいます。

 ふと気付くと、ナウディさんが私をじっと見ていました。どうしたのかしらと首を傾げて見せると、ナウディさんは「いや」と首を横に振り、朝食の残りに手をつけ始めます。

 ――その時やっと、あれ? と思いました。

 初めて会ってからクレエラに一緒に行った頃までは、よくしゃべる陽気な人だと思っていたのですが……ナウディさん、最近ちょっと様子が変……?

「はいトーコ、お茶どうぞ」

 先生が戻って来たので、結局私が感じたことはそのままになってしまいました。


 こうして、『清めの七日』が始まりました。

 まずはその日とその翌日で、ハティラ先生のお宅を大掃除しました。三日目と四日目には、先生と私は繕い物や縫い物、ナウディさんは家の補修。

 五日目からは、精進料理(?)の準備が始まりました。親戚の女性たちが何人かやってきて、台所や家の表に置かれたベンチで野菜を切ったり洗ったりしている様子は、とても賑やかです。男性陣は自宅の補修が済むと、街の整備に出かけて行ったようで、四つ辻に作られた集会所の方からトンテンカンと音が聞こえてくるし、ちょっと用事があって学院に行ってみたら門が綺麗に塗り替えられていました。

 七日目の昼には、それも終わりました。人々は正装をし、静かにお茶を飲みながら旧い年にあった話を振り返っています。新年を迎える心の準備をしているのです。

 私はヘルアさんの形見の服を身につけると、少し考えて鍵束と火口箱も首からかけました。鍵束は服の中に隠し、装飾品にもなる火口箱はそのままに。年が明け、陛下にお会いしに行く時間ができたら、すぐに出発できるように。

 今日で『清めの七日』は終わり、明日からまた仕事が始まります。また陛下にお会いできると思うと嬉しくて、でも本葬の時が近づいていると思うと切なくて。

 親戚の女性たちと話をして気持ちを紛らわせていると、女性たちはヘルアさんの服が私に似合うと、口々に褒めてくれました。

「ハティラの教え子なのよね?」

「ナウディと夫婦になるの?」

 そう聞かれ、私はどうお返事していいか迷いました。

 まだ、ナウディさんに、この家で暮らすかどうかのお返事をしていません。暮らさないならともかく、もし『結婚しないけどここで暮らす』なんて言ったら余計に話がややこしくなりそうで、ただ笑って首を横に振ります。

「でも――よ。本当は――ない?」

 ハティラ先生やナウディさんと違い、親戚の女性たちは私がどこまでゼフェニ語を習得しているか知りませんし、早口です。言葉がわからなくて困っていると、呼びかけられました。

「トーコ」

 ナウディさんでした。玄関に左手をかけてこちらを覗きこみ、右手で手招きをしています。

「ちょっといい?」

「はい」

 これ幸いと、私は立ち上がって女性たちにへこへこと会釈し、ナウディさんに続いて外に出ました。女性たちは「あらあら」と含み笑いをしながら、私たちを見送っていました。


 晴れている日は、夕方になると家の前の運河が西日を反射して眩しいくらいなのですが、今日は曇っています。家々の玄関に灯された明かりがぽつぽつと浮かび、路地の奥はすでに闇に沈んでいました。そろそろ『青の刻』でしょうか。

 ランタンを手にしたナウディさんは「こっち」と言ったきり、無言で進んで行きます。運河沿いに、街の外に向かっているようです。私は後をついていきました。

「ナウディさん、先生と住む、どうするの話ですね?」

 私が言うと、ナウディさんは「うん……」とうなずきましたが、そのまま歩いていきます。どうしたのでしょう。

 街から出てすぐの所に、小さな泉があります。数本の木々や藪に囲まれたそこは、ひっそりとしています。そこまで来てやっと、ナウディさんは振り向いて私と向き合いました。

「人に、聞かれたくないから。遠くまでごめん」

 私は軽く息を弾ませながら、「いいえ、大丈夫です」と首を横に振ります。

 ナウディさんは泉の水面を見つめながら、私に尋ねました。

「それで……トーコは、母とあの家に住んでくれる?」

 私は喉を鳴らしてから、はっきりと言いました。

「ごめんなさい。住む、できません」

 ぱっ、とナウディさんがこちらを見ました。

「なんで」

 その勢いにちょっと驚きながらも、私は説明しました。

「ナウディさんと夫婦と思われる、よくない。私、寮出て、一人で住んで、仕事探します。でも先生心配、先生にたくさん会いにいきます。いいですか?」


 ――今日、親戚の人たちに『ナウディと夫婦になるのか』と聞かれて。

 胸に陛下への想いを抱えたままの私には、どうしてもそれが辛くて。やはり、先生のお宅では暮らせない、と思いました。

 陛下が正式な霊廟に移られたら、私の仕事は終わりです。新しい仕事を探さなくてはならないし、その仕事次第ではミルスウドを出ることも考えられます。

 色々と理由は思いつきますが――とにかく一度、一人になりたいと、そう思ったのです。


「…………」

 ナウディさんは少し黙ってから、言いました。

「仕事したいなら、俺の仕事を手伝ってくれてもいいんだよ?」

「はい?」

「俺と一緒に来てもいいんだ」

 私は唖然としてしまいました。

 何の話でしょう? ハティラ先生が心配だから、私に先生と住んで欲しいのでは? 私がナウディさんと一緒に旅に出てしまったら、先生の様子も見に行けないではありませんか。

「あの……?」

「いや……駄目か。わかってるんだ。でも」

 ナウディさんは眉根を寄せ、ひどく辛そうな表情でつぶやきましたが、やがて視線を落したまま、言いました。

「トーコ。正直に答えて。自分がゼフェナーンになぜいるのか、君はもう知っているのか?」

 私は「えっ」と、一瞬うろたえました。陛下の霊をお慰めするために私が来たのではないかと、陛下が言って下さったのを、何かの手段で聞かれていたのかと思ったのです。

 けれど、ナウディさんは続けました。

「トーコは最初に宮殿で保護された時、どうしてゼフェナーンにいるのか、覚えていない……と言ったんだよね。でも、今は思い出しているんじゃないか?」

 私は不安になってきました。思い出した? 何を?

「何? ナウディさん、わからない」

 恐る恐る聞き返す私に、ナウディさんは固い表情で、思い切ったように言いました。

「俺は知ってるんだ。トーコ、先帝陛下の霊廟に、シェイリントーン姫の耳飾りを隠しているよね。なぜ君が、そんなものを持ってる?」

 ナウディさんが私に向けた視線に、私は背筋が寒くなるのを感じました。


 もしかして、私は――何か、取り返しのつかない失敗をしてしまったのではないでしょうか。

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