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1 その年最後の月命日

 七の月、三十六日。

 陛下の、仮廟では最後の、月命日です。

 薄曇りのその日、しんみり過ごすことになるのかと思いきやとんでもなくて、参拝客が次々と霊廟を訪れました。というのも、七の月の七日の儀式で、ダウード将軍に憑依した陛下によってもたらされた遺言の内容が、調査官の調査を経た後に公開されたから――なのです。

 遺言はあまり細かくは発表されず、大まかに

「我がゼフェナーン帝国に恨みなど残していない、穏やかに眠っている」

というようなこと、そして家族や婚約者への感謝の言葉が書かれ、

「新しき皇帝に栄光の世が訪れんことを」

で締められていたとされる発表で、死因についてはやはり触れられていなかったようですが。

 そして、帝国の首都クレエラの北の地に正式な廟が建てられ、来月の月命日である一の月の三十六日に、先帝陛下が本葬されることが正式に公布されました。皇帝家の何らかの建物を建てるための、清められた基礎のようなものがあちこちにあって、そのうちの一つにまずは霊廟だけを短期間で建てるんだそうです。

 その結果。死因はともかく、先帝陛下の霊が災いをもたらすことはないと安心した近隣の民が、最後の月命日にと参拝に押しかけたわけです。正式な廟はここからは遠いですしね。

 本葬についての公布からこっち、参拝客は増えてはいたのですが、今日この月命日に比べたら可愛いものでした。私は早朝からひたすら、参拝客に参拝料と引き替えに香木のかけらを渡し、祭壇の香炉の火を確かめに行って、また戻って――という感じで、陛下とお話しする暇どころか霊廟を閉めるタイミングすらつかめないまま。

 ようやく人が途切れたのは、いつもの時間を大幅にオーバーした「青の刻」の終わり頃でした。だいたい、午後の四時前後でしょうか。

「長かったな」

 陛下が呆れたようにおっしゃるのに苦笑し、私は祭壇を片づけながら言いました。

「それだけ、みなさんが陛下をお慕いしているという証拠じゃないですか」

 陛下はまんざらでもなさそうに「まあな」などと頷かれ、そしてお続けになりました。

「しかしそのおかげで、トーコは今日の授業をすっぽかしたということになる」

「気になさらないで下さい、ハティラ先生もわかって下さいます」

 霊廟の建物の外に出て足を止めた私は、扉に寄りかかっていらっしゃる陛下に笑いかけます。

 陛下は、色気のある笑みを浮かべました。

「気にしてなどおらん。お前がいつもよりずっと長くここにいるのだ、悪くない。悪くないぞ」

 私はただ笑いながら霊廟の扉を閉め、首から下げた鍵で施錠しました。

 ――陛下はいつも、私にまるで言い寄るような感じで、こうしてからかいます。が、私がここにいつもより長くいることを喜んで下さっているのは、本当かもしれません。

 陛下は霊廟の敷地から出られないので、いつも昼に私が帰った後は次の朝まで、一人ぼっち。私がここに長くいればいるほど、無聊をお慰めする事になるのでしょうから。

 でも、陛下にこんな風にからかわれたら、以前の私なら何と言っていたかしら。ばっさりと「勘弁して下さい」とか、それともちょっと冗談混じりに「サービス残業はごめんです」とか?

 でも、今の私は……陛下が、私と長い時間いられて悪くない、って言って下さることが、とても嬉しいのです。

 そう、陛下に素直にお伝えできたらいいのに。もうすぐお別れでさえなければ……。

 ふと、視線が合いました。

「…………」

 私は何も言わず、管理事務所になっている石造りの小屋の方に身体を向けて軽く首を傾げ、そして歩き出しました。陛下も、何もおっしゃらずにゆっくりと後をついてきます。

 沈黙も、一人より二人の方が心地いい。陛下も、そう思って下さっているのでしょうか……。


 事務所の軒下に入ろうとした時、羽ばたきの音が聞こえました。大きな姿が壁を飛び越え、翡翠色と黄色の差し色の入った翼を持つ白い大きな虎が、私たちの前に降り立ちました。

「サダルメリク」

「戻ったか」

 私と陛下が声をかけると、サダルメリクはグルグルと喉を鳴らして足踏みしました。

 今日はあまりに参拝客が多く、騒がしいのを厭ったのか、彼は途中で姿を消してしまっていました。どこかで狩りを済ませ、静かになったのに気づいて戻ってきたのでしょう。

「いつもと違う時間で悪いんだけど、送ってくれる?」

 私がサダルメリクの首をわしわしと撫でながら言うと、陛下がさらりとおっしゃいます。

「ここに泊まっても良いのだぞ? 私の寝所に」

 さすがに何か言い返そうとしたとき、グゥッ……という音が鳴りました。

 あ、と両手でお腹を押さえると、陛下は平坦な調子でおっしゃいました。

「そうか。トーコは昼飯も食っておらんのだったな」

「す、すみません」

 私はうろたえてしまいました。確かに、昼からずっと空腹を覚えていたのですが、本当は陛下にそれが伝わらないようにしたかったのです。霊体の陛下の前で、「お腹すいたー」っていう態度は取りたくなくて。

 陛下は片方の眉を上げておっしゃいました。

「なぜ謝る、早く帰ってたらふく食え。ああ、私が言ったことを気にしているのか?」

「え? 陛下がおっしゃったこと?」

「お前が着痩せする方だと」

「気にしてませんっ!」

 きっぱりと言うと、陛下は今度こそ声を上げて笑いだしてしまわれました。べ、別にダイエットしなきゃいけないほど太ってませんから! 絶対!

 私はぷんすかしながらちゃっちゃと事務所の片づけを済ませ、

「それでは、失礼します!」

と頭を下げて霊廟を辞しました。陛下のニヤニヤ笑顔が、鉄柵の門扉越しに見えました。


 丘の斜面の林をすり抜け、私を乗せたサダルメリクは滑空しながら下降し、草原に出て一度助走して再び草の海を滑空します。風が私の、後ろで一つに結んだ髪をなびかせます。

 ――わかっています。来月の月命日になれば、陛下は本葬され、私は陛下とお会いすることが叶わなくなる。私にとって母国語で会話できる相手がいなくなってしまうから、きっと落ち込むだろうと……それを気にして下さって、あんな風に茶化して下さっているのでしょう。

 もちろん、自由に会話できる方がいなくなるのは悲しいです。でも、それだけじゃないのに……人の気も知らないで。

 勝手に片思いして勝手に怒るのも、どうかとは思います。思いますけど、いつもいつもからかわれ続けているのですから、本葬までに何か――そう! ちょっとくらい仕返しさせていただいても、いいですよね? それで、私の気持ちが吹っ切れるような、何かを。

 そうしよう、と決めたら、やっと少しだけ気持ちが落ち着いてきた私でした。


 ミルスウドに戻ってきた頃には、そろそろ街のお店も残った商品を売りきろうと声を張り上げるような時刻でした。

 いつもならミルスウドの少し手前、学院寮が見えるあたりでサダルメリクから降ろしてもらうのですが、今日は少し回り込んだ場所で降ろしてもらいます。

「ありがとう、時間外勤務させちゃってごめんね。また明日」

 日本語で言って手を振ると、サダルメリクは大きな足で地面を踏みしめ、優雅に数歩走ってから草の海を滑空して霊廟へと帰っていきました。

 私はてくてくと歩いて、白茶けた泥煉瓦の建物の連なる街に入りました。布の屋根を張った露台のある店が立ち並ぶ間を抜け、歩いていきます。

 中心部の四つ辻に出ると、私のゼフェニ語の先生、ハティラ先生のお宅はもうすぐそこです。早ければそろそろお仕事が終わり、お宅に戻られる頃なので、今日授業を無断欠席したお詫びを伝えられると思ったのです。

 黄昏時の表通りはランプのオレンジ色で明るくきらめいていますが、ちょっと角を曲がると夕闇の青紫色が忍び込んでいました。私は表通りの一本裏手の道へと足を進め、運河沿いの道に出ました。とろりと流れる運河に、家々の玄関に灯された明かりが映って揺れています。

 ハティラ先生の家と、隣の家との間に、二つの人影が見えました。表通りの明るさからは陰になった場所で、何か立ち話をしています。

 背を向けてはいますが、片方はどうやら先生の息子さんのナウディさんのようです。彼はコーヒー農園を見て回るため、年明けには旅立つ予定です。そして、相手の人は、黒いローブのような服を着た背の高い……呪い師さん、でしょうか。

 呪い師さんって、すごい人になると、亡くなった人の魂を他の人に憑依させることまでできてしまいます。が、普段は街なかで見かけることはないので、あんな場所にいるのは珍しいです。ヘルアさんのお葬式が終わってだいぶ経つのに、まだ何か用事があるのかな?

 二人が話していたのはほんの短い間で、すぐに呪い師さんは夕闇にとけ込むようにして去っていきました。ナウディさんもすぐに、家に入っていきます。私には気づかなかったようです。

 家に灯りがつきました。ナウディさんがつけたのでしょう。もしハティラ先生が家にいらしたならとっくに灯りをつけていたでしょうから、ハティラ先生はまだ戻っていないんだわ。

 私は踵を返し、四つ辻に戻ると学院の方へ歩き出しました。


 街はすでに、少しずつ新しい年を迎える準備を始めていて、あちらこちらに模様や文字の入った赤い吊り灯籠が下がっています。黄昏に映え始めたその赤に、私はつい目を伏せてしまいました。嬉しい出来事とは、とても思えなくて……。

 今月が終われば、次の月――新年を迎える前に、特別な一週間があります。『清めの七日』と言うそうで、その間にゼフェナーンでは新年を迎える準備をするのです。家や物の修理をしたり、呪いの札を張り替えたり。身体の中の旧いものもすっきりさせるため、普段と異なる特別な食事をしたり(デトックス?)、親戚で集まって旧い年にあった出来事を振り返ったり。七日目にはみんな正装して、夜を徹して新年の朝日を待ちます。お金持ちの人たちは、この時に着る服を毎年新調するそうですが、一般の人たちは「次の年へ持っていく大事なもの」として着回したり、親から子に受け継いだりします。

 日本にいたはずの私が、いつの間にかゼフェナーンにやってきたのが一の月だったので、新年の行事は初めて。以前は少し楽しみだったのですが、来月になれば陛下とお会いできなくなると知ってからは、その日が来なければいい……という気持ちになっていました。

『しばらく、ここに住まない?』

 ――ふと、ナウディさんの言葉が思い出されました。

 ヘルアさんが亡くなり、ナウディさんももうじき旅立つと言うことで、一人暮らしになってしまうハティラ先生を心配して、ナウディさんが私に言った言葉です。

 まだ、お返事してなかったな。今月中には、結論を出さなくちゃ……。

 先生のお宅に住むと、周りの人々からは私がナウディさんのお嫁さんになったと思われてしまうでしょう。けれど、当のナウディさんは旅に出てしまいますし、頓着していないようです。

――すでに亡くなっている先帝陛下に、特別な気持ちを抱いてしまったことに気づいた今、この寂しさを紛らわせられるなら……先生と暮らすのも、いいかもしれない。

 そう思いながらふと顔を上げると、人混みの向こうにハティラ先生のふくよかな姿が見え、私を見つけてぱっと笑顔になりました。

笑顔を返しながら、ふと思いついたことがありました。

 ヘルアさんの形見分けで、いただいたもの。あれを身につけて――陛下にちょっとした仕返しをして。

 想いを、吹っ切ってしまおう。

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