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娘は陛下の眠りを守る(墓守OLは先帝陛下のお側に侍る)  作者: 遊森謡子
第5章 鎖をかけて、呪(まじな)いをかけて
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5 一夜の邂逅

 きちんと服装を整え、私はサダルメリクとともに、霊廟のある丘までやってきました。

 丘のふもと、階段の近くの木につながれた馬が数頭、ふと頭を上げてこちらを見るのが影の動きでわかります。……五、六……結構います。サダルメリクは階段には近づかず、私を乗せたまま林の中をぐいぐいと登って行き、霊廟を取り囲む石垣の外側に出ました。霊廟の中にはいくつかの人の気配がしますが、こちらに気づく人はいないようです。

 ここで下ろされるのかと思ったら、彼は石垣に沿って軽く走り出しました。翼がバサッ、と横に広がります。

 え、まさか。

 とっさに首にしがみつき直した瞬間、サダルメリクの脚が力強く、地面を蹴りました。

 やっぱり助走だったー!

 ぐんっ、と重力がかかり、急上昇したと思ったら、すぐに胃が浮くような感じがして固いものの上に着地する感触。目を開けて見回して、私は息を呑みました。

 私は、霊廟の上――あの、白い角砂糖のような建物の、屋上にいたのです。

 サダルメリクが動きを止め、喉を鳴らしました。私は彼の背からそっと滑り降りると、音を立てないように端の方へ近づき、膝をついて下をのぞきました。

 ちょうど、霊廟の入口の真上です。開け放たれた扉の両脇には篝火が焚かれ、石畳の参道が照らし出されています。黒い服に白いズボンの調査官が二人、話をしているのが見えました。呪い師さんの姿は見えません。きっと、中にいらっしゃるのでしょう。

 後ろから、くいくいと上着の裾を引っ張られました。振り向くとサダルメリクが口を離し、入口と反対側、位置的には玄室の上へ向かいました。ついて来い、ということでしょう。

 高い場所にいるという緊張感から、何となく中腰でそろそろと歩いていくと、サダルメリクは正方形の屋上の、私から見て左奥の角で立ち止まりました。かろうじて、下からの灯りが届いています。私は目を凝らしました。

 ――角のあたりの天井が、崩れています。

 私ははっとして、駆け寄りました。最近、サダルメリクがせっせと爪とぎをして私や陛下に注意されていたのは、ここを……いえ……これはもしかして。

「通気口?」

 思わずつぶやきました。

 崩れたその奥に、空間が続いています。サダルメリクはここから玄室に入ろうとして、何日もずっと通気口を広げようと爪で削っていたのです。

 覗きこむと、雨が吹き込まないようにするためか、細い穴が傾斜して壁に沿って降りています。奥の方がぼんやり光っており、いつか嗅いだような匂いが漂ってきました。

 その時です。


 「トーコ」


 密やかに反響した声が、通気口の中から私の耳に、微かに届きました。


 一瞬、身体が竦みました。続いて、心臓がうるさく脈打ち始めます。

 今の声は、誰? いつもの陛下の声ではありません、明らかに肉声でした。

 ……ダウード将軍の声に、似ているような気はします。前のように、将軍もここに来られているのでしょうか。でも、将軍は私の名前などご存知ないんじゃ……。

 私は首を横に振りました。問題はそこじゃありません。私がここにいることを、なぜ。

「トーコ。いるのだろう? そこ、入れ。大丈夫だ」

 一つ一つ、言葉を区切る話し方。私が、ゼフェニ語が不自由なことを知っている……。

 私は唾を飲み込み、改めて穴を覗きました。狭くてサダルメリクは入れませんが、私なら通れそうです。サダルメリクはその場で寝そべって、こちらを穏やかに見守っています。

 私は、穴の中に足を降ろしました。ざらざらの通風口の側壁をいざるようにして降りると、終点は平らになっていて、横に網のかかった四角い空間が開いています。

 この建物自体は昔からあったもののようで、金属の網の縁は錆びてぼろぼろでした。私は突起に引っかかっていた網をどうにか外して脇に置くと、再び足から降りました。


 壁際に積み重なった、美しく彫刻された石の箱の上に降り立つと、私は中を見回しました。

 玄室の中は、三メートルくらいの高さの天井の広い空間になっています。装飾された石の箱がいくつも壁に寄せておいてあるのは、埋葬品でしょうか。

 そして中央には、白く細長い形の――石の棺。その蓋は今は開き、棺に立てかけるように置かれています。中には、白い布に包まれた大きなもの。先帝陛下の、ご遺体でしょうか。

 そして私の位置から見ると、棺の向こう側に、小さな灯りが点っているのがわかります。

「来い」

 灯りの方から、また、声がしました。

 私は静かに棺に近づき、回り込もうとして――ぎょっ、となって足を止めました。

 すぐそこに、呪い師さんが座っていたのです。私から見ると横向きで、何か不思議な紋様の入った布を床に敷いた上に、あぐらをかいて座っています。

 良く見ると彼女は目を閉じていて、その細い上半身はまるで眠りかけのようにゆらゆらと揺れています。彼女の両脇には香炉が置いてあり、白い煙とともに強い香りを発していました。

「大丈夫。起きない。来い」

 また、声。私はおそるおそる、棺をぐるりと回り込みました。

 棺の向こう側に、ダウード将軍がいらっしゃいました。

 今日は紅色のマントは身につけていらっしゃらず、紺の上着に黒のズボン。呪い師さんの座っている方に頭を向け、棺と平行に仰向けに横たわっています。脇に、ガラス張りのランタンが一つだけ置いてあって、この玄室の唯一の光源になっています。

「……ダウード様……?」

 呼びかけると、将軍の片腕が上がりました。指先をちょっと煽るように動かし、また腕が身体の横に落ちます。何だかすごく、だるそうな動き……けれどどうやら、私に「近う寄れ」とやっているみたいです。

 私は、将軍の身体の傍らに膝をつきました。青い瞳が私をじっと見つめ、顔がうっすらと笑みを浮かべます。将軍が笑ってらっしゃる……。

 そして、言葉が発せられました。

「トーコ。夜に、私の寝所に入って、良いのか?」

 無意識に、私は自分の口を両手で抑えました。

 ダウード将軍だけど、違う。話しているのは将軍ではありません。


 先帝陛下です!


「サダルメリクが大人しいと思ったら……やはりお前を連れてきたのだな」

「へいか……? どうして……」

 私が混乱して二の句を告げられずにいると、将軍――先帝陛下はまた腕を上げました。

「起きる。手伝え」

 そして身体をゆるりと横に倒し、肘をついて起き上がろうとなさいましたが、ひどく緩慢な動きです。私はとっさに上側の腕の下にもぐりこみ、肩を貸すような感じで引っ張りました。陛下の手と私の手が触れ合い、体温が伝わってきます。

 何しろ体格の良いダウード将軍の身体です。必死で格闘して、どうにかこうにか、棺を載せてある石の台に寄りかからせました。

「死んで、最初の、七の月の七日、夜」

 腕を私の肩に乗せたまま、陛下はかすれた声で話し始めました。私は聞き逃すまいと、身体を支えた姿勢で耳を傾けます。

「呪い師の力で、一晩だけ、近い……親しい者に――できる」

 聞き取れない個所は、乗り移るとかとりつくとか、そういうこと……?

 万物の力が最大になるという七の月の七日、呪い師によって、死者は生者にこうして憑依することができる……。

「前から、決まっていたですか? どうして、陛下、言わなかったですか!?」

 動揺して尋ねると、陛下は苦笑されました。

「お前に会えると、思っていなかった」

 そ、そりゃそうか……調査官たちや呪い師さんがいる中、まさか天井から、なんて思わないですよね。

 動揺の収まらない私に、陛下はもう一言、付け加えました。

「トーコに、この姿で会おうと、思わなかった」

 私は言葉を呑みました。陛下も少しの間、黙り込んでしまわれました。

 やがて、私の肩にかかった腕に少し力が入り、引き寄せられて。耳に、ささやきが忍び込んできました。

「外に聞こえないように、話す。呪い師たちが、私をこうしたのは、私を死なせた人間がいれば、それを知るためだ」

 一瞬、手が震えてしまいました。

 公開されていなかった、そしてご本人には尋ねることのできなかった、陛下の死因。

 何者かに、殺されていた? え、でも、死なせた人間が「いれば」って何?

「死なせた人間、いれば? いるかいないか、わからないですか? 何?」

 私が混乱してささやきを返すと、陛下は言葉を選びながらおっしゃいました。

「私が倒れているところを、女官が見つけた。傷はなかった。病気か、――か」

 ああ……外傷がなくて、死因がはっきりしなかったんですね。病気か……毒? 陛下はまだお若いし、ずっと健康でいらしたとすると、突然倒れたら確かにおかしいです。

「皆は、私が病気で死んだのなら、仕方ないと思うだろう。が、死なせた人間がいるなら捕え……私が、憎しみの心を残さないようにしなくてはならない」

 陛下は平易な言葉を使うようにして、説明して下さいます。 

「憎しみの心を持って、国をずっと守ることはできない。新しく生まれなくては。憎む心なければ、国を守って行く。呪い師、それを決める」

 そうか。何かを恨む心を持ったままでは、本葬の後もゼフェナーンを見守る存在になることはできない。それこそ、帝国に害をもたらす悪霊のような存在になってしまうかもしれないし、そこまで行かなくても、単純に縁起が悪いと言えます。それなら、ヘルアさんのように新しく生まれ変わるべき。そういう宗教観なのでしょう。呪い師さんは、憑依した死者の様子を見極める立場……ということでしょうか。

 ナウディさんが「ゼフェナーンを守るか、新しく始まるか、わからない」と言っていたのは、このことだったんですね。

 やっと落ち着いて理解を始めた私の頭に、次の言葉が飛び込んできました。

「ダウードは、犯人ではない。皆、知っている。それで、ダウードが望んで、ここに来た」


 その時、頭の中でいくつかの出来事が、パズルのようにかちりとはまりました。

 霊廟に一人も参拝においでにならない、陛下の親族の方々。宮殿で見かけた、調査官たち。

 ダウード将軍は自分から、今日、陛下に憑依される役割を引き受けた――

 つまり、陛下を殺した容疑者は、陛下の身内の中にいるのです。


 身内を恨むがゆえに、火葬されて生まれ変わるのか。それとももう恨みを忘れて、本葬で立派な霊廟に祀られてゼフェナーン帝国をずっと見守って行くのか……何だか、どちらにしても、辛い。胸が痛みます。

「陛下は、犯人、知ってる……? 誰か、憎みますか?」

 おそるおそる尋ねると、陛下は目を細めて私を見つめ、おっしゃいました。

「知らない。しかし、私を殺した理由は、わかる。犯人、誰でもいい」

 え、ええっ? 動機がわかっていて、犯人はわからず、しかも誰でもいいって。

「お前のお陰で、憎むこと、やめた」

 そうおっしゃる陛下は、どこか達観していらっしゃるようで。

 何と返事をしていいか迷います。私のお陰で、って……私が危なっかしく仕事をしているのを、からかいながらご覧になっているうちに、人を憎む気持ちが削がれちゃったと……?

 あっ、もしかして。先日私が調べてきたあのことが、関係しているのではないでしょうか。

「陛下、姫の結婚のこと、急いで調べなさい、言いました。今日のため? どうして?」

 すると私の顔を覗き込むようにして、陛下は微笑みました。

「トーコ。顔が悪い」

 無意識に眉をしかめていた私は、慌てて瞬きをして表情を変えました。

 って、陛下、顔が悪いってヒドい……もうちょっと言いようが。

陛下は、肩から前に垂れた私の髪に、すくうようにして触れながらおっしゃいました。

「トーコ、今は、違う話をしよう。……お前がゼフェナーンに来た理由、わかった」

 私が「えっ」と驚いて目を見張ると、陛下は優しい瞳でおっしゃいました。

「私や、私の周りの人間たちが、望んだのだ。お前を。私を安らがせる人間を」

 その瞬間、私は不思議な感覚に包まれました。光や色が、ひときわ明るくなったような感覚です。

 陛下は以前から、「お前は私のためにこちらに来たのだ」とおっしゃっていました。でも、今おっしゃった言葉は、それと似て非なる意味を持っています。

 私がゼフェナーンに来たのは、この国の先帝陛下が憎しみに飲み込まれないようにするため。望まれて、呼ばれたのではないかと。

 もちろん、本当にそうなのかはわかりません。でも、陛下はそう思って下さっている。周囲に迷惑をかけ通しの迷い子ではなく、意味のある存在として、認められたような気がしました。

 こみ上げてくるものがあって、私は目を伏せました。

「これからも、気を抜くな。私を守れ」

 陛下は笑って、私の髪を見つめながらゆっくりと指で梳きました。

「はい……」

 私はうなずくしかできません。もっと何か伝えたい……でも、不自由な言葉は紡がれることのないまま。

 普段、霊体の陛下と会話する時の方が、ずっとスムーズに意志疎通できます。それでもなぜか、今のこの時間、七の月の七日にしかないこの時間が、貴重に思えました。

 身体はダウード将軍ですが、いつものような表情をなさる陛下。動いて、私に触れる陛下。ゼフェナーンの他の人たちと同じように、言葉を区切って話して下さる陛下。

 まるで、陛下が生きているみたいです。ご存命ならこんな風に、「妾」として寄り添っていたかもしれない。

 ……いつもそう言われるのを嫌がってる私が、こんなことを考えるなんて。

 呪い師さんは、相変わらず目を閉じたまま、気配すら希薄です。たった一つのランタンに照らされた玄室の中、私と陛下のゼフェニ語が、密やかに交わされて……。

 私は満たされた気持ちで、陛下に寄り添っていました。

 ――ふと、我に返りました。私、夜中にこんな、男性と寄り添い合って髪を触られ……っ!

 急に顔が熱くなって、肩を支えていた手を思わず離してしまいました。陛下の身体がわずかにかしぎ、慌ててもう一度支えましたが、手のひらを密着させるのが恥ずかしくて手をグーにしてしまいます。軽く頭を傾げた陛下の頬が、私の額に触れます。温かい……。

「私の身体ではないから、動かすのが難しい。まあ、その方が良かったのか」

 そんなことをつぶやかれた陛下は私の髪を軽く引っ張り、ぱらり……とお放しになると、私から身体を離しました。そして身体をゆっくりと倒し、転がるようにして、元の場所に仰向けになりました。私は急いで、その手助けをします。

「明日、また、話そう。そろそろ、ここ、出ろ。呪い師、起きる」

 優しい響きの声。私が黙ってうなずくと、陛下はもう一度微笑みます。

「そんな顔をするな。明日、会える。本当だ」

「……はい」

 私は立ち上がりかけ――もう一度座り直し、手を伸ばしました。

 陛下の身体の横に置かれた手に、そっと、指先を当ててみます。体温が伝わってきます。

「……失礼、します」

 立ち上がってお辞儀をした私は、陛下に背を向けました。

 足早に壁際に向かって箱に上り、通気口の口に手をかけ、ざらりとした壁面に足をかけてよじ登ります。

 脇に置いてあった網を手に取り、嵌める前にもう一度、陛下の方を見ようとしました。

 でも、ここからは陛下の――ダウード将軍のお姿は見えず、ランタンの灯りが揺れて壁に不思議な形の影が揺れるばかりでした。

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