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娘は陛下の眠りを守る(墓守OLは先帝陛下のお側に侍る)  作者: 遊森謡子
第5章 鎖をかけて、呪(まじな)いをかけて
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2 皇帝と一般人の違い

 ハティラ先生のお宅は、運河沿いにある白い壁の二階建てです。

 寮から駆けつけてみると、ちょうど誰か知らない男女がお宅を訪ねた所で、中からやはり知らない女性が顔を出して迎え、三人で中に入っていきました。親戚の人たちでしょうか。

 ヘルアさんは、いつ倒れたのでしょうか。親戚が集まっているということは、ヘルアさんの具合はあまり良くないのでしょうか。まさか、もう……。不安で胸がいっぱいになります。

 血縁でもない私が踏み込んでいくのは、やはりためらわれました。けれど、私が熱を出したときに親切にして下さったヘルアさん、美味しい食事をごちそうして下さったヘルアさんの顔が次々と浮かんで、私は少し離れた運河沿いを行ったり来たりしていました。

 そうこうしているうちに、一頭の馬が角を曲がって現れました。乗っているのは、ハティラ先生の息子さんのナウディさんです。

「トーコ」

 ナウディさんは私を見ると、手綱を引いて馬を止め、さっと降りました。

「ナウディさん」

「ばあさんは?」

「わ、わからない。私、来た、でも、会っていない、です」

 いつもよりさらにぎこちなくなってしまう言葉。ナウディさんはちらっと家の方を見てから、もう一度私を見ると、「待ってて」と馬を家の前の杭につなぎ、中に入っていきました。

 それからまた、ずいぶん待ったような気がします。

 やがて、家から出てきたナウディさんが、凪いだ瞳で私を見て――首を横に振りました。

 周囲の音が、少し遠のいたような感覚。

 私は木にもたれかかると、視界の隅で揺れる垂れ下がった木の枝を呆然と眺めていました。


 夜になると親戚がさらに集まってくるから、と、夕方のうちにナウディさんが家に入れてくれました。さっきの知らない人たちはミルスウド近辺に住む親戚だそうで、台所で何かしているようです。

 ヘルアさんの部屋、寝台の枕元の椅子に座っていたハティラ先生が、顔を上げます。いつもの溌剌さがありません。赤くなった目と視線が合うと、先生は微笑んで私を手招きしてくれました。

 先生に抱き寄せられるようにして対面したヘルアさんは、もう、わずかな生の気配さえまとってはいませんでした。今朝、なかなか起きてこないので先生が様子を見に行ったときには、すでに意識がなかったそうです。とても静かなお顔です。

 私は両手を合わせ、心の中でヘルアさんに何度も何度も、お礼を言いました。


 それからは、事態はどんどん進んでいきました。

 次々と親戚が訪ねてきて、出たり入ったりしながら、どうやら何かを待っている風です。私は女性たちが食事の用意をする手伝いをさせてもらい、ずっとそこに残っていました。

 やがて陽が落ち『藍の刻』になると、みんなぞろぞろと外へ出ました。ヘルアさんも布に包まれて板に乗せられ、男性たちに担がれて運ばれます。ランタンの灯りがゆらゆらと揺れます。

 一行はそのまま街の外へ向かい、川沿いに下流の方へと草原を歩いていきました。

 到着した川縁は、草を抜いたのか茶色い地面がむき出しになっています。何か穀物のようなものが円形に撒かれていて、その手前に呪い師さんらしい、黒の上下を着た年配の男性が一人立っていました。円の中では先に着いていた人たちが、たくさんの薪を積み上げています。

 火葬だろうかと思っていると、その通りでした。ヘルアさんの包まれた炎、人々の歌声。私は一番後ろ、少し離れたところで、草原の風に吹かれながらその儀式を見ていました。

 炎が弱くなってくると、呪い師さんが両手を不思議な形に動かして印を結びました。すると、燃えていたもの全てがさらさらと崩れ始めました。

 炎とともに空に溶け、風に溶け、そして灰は川の水に溶けて、ヘルアさんはどこかへと帰っていきます。

 急にこみ上げるものがあって、私はこぼれ落ちる端から涙を拭いました。

 日本の存在しない、不思議な世界。けれど、ここでも人々は生まれ、死んでいくのです。いつか私にも、寿命が尽きる時が来る。日本に帰れなくても、おそらく――この地で。


 儀式が終わり、人々が円の外側に座って休む様子を見ていた私は、ふと気づきました。

 この様子だと、ヘルアさんには、お墓が作られない……?

 そういえば、私が見たことのあるお墓は皇帝廟だけ。一般の人のお墓は見たことがないし、例えばハティラ先生が誰か親族のお墓参りする話なども聞いたことがありません。

 私は知識を総動員し、考えました。誰かに教わろうにも、複雑な質問をすることが私にはできないので、自分の頭で必死に考えました。

 日本では、私は仏式のお葬式しか出席したことがありません。そして、それは火葬でした。仏教……輪廻転生……生まれ変わり。

 一方、キリスト教はイエスの復活とか、最後の審判とか、そんな話があったような……。そして映画や何かで、棺を埋めるシーンを何度も見たことがあります。

 火葬は未練を残さず生まれ変わるため、土葬は身体を残していつか復活するため?

 実際に生まれ変わったり復活したりするのか、ということはこの際置いておいて、宗教観としてそういうことだとすると……。

 ヘルアさんのような一般の人々は、火葬になってお墓もない。それでは皇帝は、どんな宗教観のもとで葬られているのでしょうか。葬列で運ばれた先帝陛下の棺は、現在は仮廟にあり、これから本葬が行われて立派な皇帝廟に入るわけですが、それは何のため……?


 ヘルアさんの親族は、そのまま川岸で話をしたり仮眠したりして夜を明かしました。夜空の星が薄くなり始め、朝陽が草原にさぁっと光を走らせると、みんな立ち上がって、朝陽に向かって祈りを捧げます。私もそれに倣いました。

 祈り終わると、みんな街に戻り始めます。列の一番後ろについて歩いていると、前の方からナウディさんがやってきました。

「トーコ、ありがとう。大丈夫か?」

 私が微笑んでみせると、ナウディさんは並んで歩きながら言いました。

「これでばあさんは、どこかで新しく始められる」

「新しく?」

「そう。死んで、夜が明けて、朝陽と一緒に」

 やはり、人々は生まれ変わりを信じているようです。朝陽に向かって祈ったのは、生まれ変わったヘルアさんが幸せな生を送るように……ということだったのかもしれません。

「先帝陛下も、新しく始まる?」

 私は尋ねてみました。先帝陛下も本来なら、ヘルアさんのように生まれ変わっているはずなのか、それとも火葬されていない様子からして違うのか。そのあたりを聞きたかったのです。

 するとナウディさんはちょっと考えて、答えました。

「まだ、わからない。ゼフェナーンを守るか、新しく始まるか」

 ……守る? 新しく始まる? よく、意味がわかりません。

 ナウディさんは、私にもわかる言葉で何とかして説明してくれようとしましたが、結局誰かに呼ばれて行ってしまいました。


 その日は結局、霊廟の仕事を欠勤することにしてしまいました。ハティラ先生が親族の方の食事を用意したり休んでもらう準備をしたりするのを、そばで手伝おうと思ったのです。

 陛下とは前もって、欠勤する場合の連絡を決めてありました。私はハティラ先生の家に戻る前に、急いで寮に戻ると、裏手へと回りました。

 サダルメリクが、草の陰でおとなしく「伏せ」をして待っていました。起きあがってしっぽを軽くゆらめかせます。

「遅くなってごめんね。サダルメリク、私は今日は行けないの」

 私は屈みこんで、青い花を一輪摘み取りました。ミルスウドの街の周りに咲いているエミンという花で、日本の菊の花弁を少し幅広にしたような感じです。

 それをくるりとわっかにして、重なった部分を草で結んで固定したものを、サダルメリクに差し出します。彼はふんふんとにおいをかいでいます。

「ちょっと、口開けて……」

 私は指先で、彼の閉じた口の合わせ目をなぞりました。彼は「何?」と言いたげに口をわずかに開けます。むき出しになった牙に、エミンの花輪をひっかけました。

「これを陛下に渡してくれる? 陛下に」

 日本語とゼフェニ語で「陛下」の部分を繰り返して頼んでから、私は後ろに下がって手を振りました。その仕草で私が来ないことがわかったらしく、彼はちょっと足を踏み変えてから、後ろを向いて助走をつけ飛び立ちました。すぐに、その姿は遠くなります。

 あの花は、「休みますが心配しないで下さい」の合図。朝開く花を開いたままで運んでもらえれば、私が朝起きてそれを摘んで輪にできる、つまり心配ない状態であることが陛下に伝わります。誰かに見られても、まさか幽霊への言伝だとは誰も思わないでしょう。

 以前、熱を出した時は、迎えに来たサダルメリクをハティラ先生がどうにかしてなだめ、帰して下さったようです。あの時みたいに、私に花を輪にする余裕がない時は、「虎に青いものを渡すと安心するんです」とちょっぴり嘘を言って、私の飾り紐を先生かどなたかからサダルメリクに渡してもらおうと思っています。「余裕はないけど心配しないで下さい」という意味になりますね。飾り紐なら私の匂いがするから、受け取ってくれる……はず。

 何も持って行かせられない時は……うーん、相当ご心配をおかけしそうです。

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