4 仮の霊廟と正式な霊廟
ナウディさんのお仕事はまだまだかかるということなので、ハティラ先生と私は二人で街に出てみることにしました。クレエラの街に降りるのは初めてです。
まず、自分がゼフェナーン帝国にいると気づいた時に立っていた、あの宮殿前広場に出ます。今日の広場は、陛下の葬列を見かけた時とは違って、馬に荷車を引かせた人や宮殿に勤める制服を着た人々が大勢行き来しています。
広場の両端に何本も並んでいる柱の上には、相変わらず黒い旗が翻っています。私はふと思いついて、旗を指さしてハティラ先生に尋ねました。
「黒い、あれ。先帝陛下、亡くなったから?」
あの黒い旗は、この国が喪に服している印なのかなと思ったのです。
ハティラ先生はうなずいて、教えて下さいました。
「先帝陛下は、一の月に亡くなりました。次に一の月が来るまで、黒い旗、あそこに」
なるほど。亡くなってから一年は、喪に服すのでしょう。そういえば、婚約者のシェイリントーン姫も、髪に黒っぽいリボンを下げていました。
ちなみに現在は、六の月の二週目。この国は一年が七ヶ月なので、もうすぐ一年が経つということになります。
一周忌には何かするのかしら。霊廟で何かするなら、私もお手伝いできるかな。
そうは思ったものの、さすがにそこまで難しいことは私の語彙では質問できませんでした。
広場から橋を渡ってやってきた、クレエラの街。さすが城下街だけあって、ミルスウドとは規模が違います。
ミルスウドの市場は、終わるとサーッと片付けられるような簡易的な店が多いですが、クレエラ中心部のお店はほとんど常設。看板や植木、絵入りのタイルの埋め込まれた外壁が人々の目を誘います。大きな通りを、大勢の人や荷車が行きかっています。
遅めのお昼は、藤棚みたいな棚の下にテラス席のあるおしゃれなお店で食べました。ふかした大きなお芋の上に、塩漬けの魚を刻んだのと小さな木の実を山盛りしたもの、野菜と干した果物をドレッシングで和えたサラダ、揚げたお肉をクレープみたいな皮で包んだもの。美味しいものばかりです。寮の食堂で見たことのない素材もあるので、もしかしたらゼフェナーン以外の国の料理も入って来ているのかもしれません。さすがは帝国の首都ですね。
腹ごしらえが済んだら、次は買い物。ハティラ先生は服を見たり、靴を見たり、お母さまのヘルアさんへのお土産を買ったりとフル回転です。
私もヘルアさん、それにアルドゥンさんやお医者様に何かお礼を……と思っていたので、先生に一緒に選んでいただきました。
首都の品物はどれも華やかで、お店は様々な色であふれ返っています。見ているだけで楽しく、時間はあっという間に過ぎて行きました。
「いたいた」
気がついたら、ナウディさんが店の中を覗き込んでいました。お仕事が終わったようです。お店の時計(あの、虹色の気温計のようなものです)を見ると、緑から青に変わる時刻でした。
「ナウディ! ちょっとこれ持ってて!」
ハティラ先生がそれまでに買い込んだ荷物を押しつけると、ナウディさんは苦笑いして
「まだ買うの! はいはい、どうぞごゆっくり」
と外へ出て行きました。目で追っていると、ナウディさんは通りかかったワゴンから飲み物を買い、通りの真ん中にある石のベンチに座りました。
……心なしか、座った姿勢が沈み込むように見えます。疲れているのかな……。
「――、――かい?」
店主のおじさんに何か早口に言われ、反射的に愛想笑いをしてしまいましたが、改めて頭の中の単語帳をめくってみると、どうやら「旦那をほったらかしでいいのかい?」と聞かれたようです。私とナウディさん、夫婦に間違われたみたい。
そうでした。霊廟と学院を行き来していると忘れてしまうけど、私くらいの年齢の人はこちらではもうとっくに結婚してるんです。
……もし、このままこちらでずーっと暮らすことになったら私、一人で生きていけるのでしょうか。お金は溜めるにしても、ずっとあの寮に住むわけにも行かないでしょうし。
日本に帰る当ても今の所ないわけですし、この辺はちゃんと考えておかなくてはなりません。
「トーコ、これは?」
シャランと音がして、ハティラ先生のふくふくした手が横からすっと出てきました。私の耳に、重そうな耳飾りを当ててみています。大きな菱形の、透かし彫りの入った金の耳飾りです。
私は笑って、ハティラ先生に首を振りました。
「私、いつも、霊廟の仕事。大きい飾り、いらないです」
霊廟におしゃれして行っても、何だか逆に不謹慎な気がしますし。
するとハティラ先生は、ジェスチャーを交えながらこんなようなことをおっしゃいました。
「それじゃ、小さな飾りは? 女の子はそれだけでも、気持ちが明るくなるわ」
……確かに最近の私、女子力が下がってる気がします。うん、そうですね! 少しでもおしゃれして気持ちを明るくした方が、色々なことにやる気が出るってもんです!
そこで私はハティラ先生と、あれでもないこれでもないときゃあきゃあやった末に、派手すぎない色の口紅(小さな丸い容器に入っています)と、翡翠のような石の連なったアンクレットを買うことにしました。アンクレットなら、長いスカートの裾からちらっと見える程度なので、目立ち過ぎないと思ったのです。それに、翡翠色は宮殿の女官が身につける色ですから、陛下のご機嫌を損ねることもないでしょう。
お会計を頼んだ時、店主のおじさんの「これも半額でどう!?」という言葉に乗せられて、腰に結ぶ飾り紐も買ってしまいました……うう、次のお給料まで色々と節約しないと。
先生がお金を払ってくれようとするのを、私は「私、働いたお金、使います。自分で買う、嬉しい」と必死で単語をつなげ、どうにかこうにか自分で稼いだお金で買う達成感を伝えました。それに先生は、ただでさえ先ほどの昼食代とか、もう色々出して下さってるんです。
「トーコは、仕事をとても大事に考えているのね。偉いわね」
ハティラ先生はそんな風なことをおっしゃって褒めてくれ、そして何か思いついたように店の外に出ると、ナウディさんに駆け寄りました。
「……トーコ……霊廟……」
「用事が……明日……行きたい」
二人は早口で、何か相談しています。何でしょう?
聞き取れずに私がお二人の顔を見比べていると、お二人はこちらを見てにっこりしました。
「トーコ、明日、いい所を見に行きましょう」
「朝、俺の仕事が終わったら出発。夕方にミルスウド。いい?」
どうやら、ミルスウドに帰る前にどこかへ寄ろうということらしいです。
「はい。何を見ますか?」
聞いてみると、ハティラ先生はにこやかにおっしゃいました。
「霊廟!」
……はい?
言葉も出ないまま、私は門の手前で立ち止まってその建物を見上げました。
アーチを描く門の上には、青い地に白い文字の看板。『皇帝廟』という文字と、その皇帝が何代目かという数字が書かれています。けれどその数字は、先帝陛下のものではありません。
ここは、先帝陛下のお父さん――先々代皇帝の、霊廟なのです。そしてそこは、私が働いている霊廟とは、何もかもが違っていました。
門を入ると、宮殿前広場のように平らな白い石の敷き詰められた広場。真ん中には池があって、錦の魚が泳いでいます。すぐ右には、軒先から飾り灯籠の下がった小さいながらも美しい建物があって、女官の服装をした若い女性が二人、受付をしています。
池の奥には幅広の石段、そしてその上には、私の働く霊廟の三倍はある大きな角砂糖のような建物。白い壁には青いタイルが美しい文様を描いています。両開きの扉が三つもあって全て開け放たれ、大勢の人が出入りしており、その隙間から大きな大理石の石板があるのが見えました。先々代皇帝らしき人と何か動物、それに風景などが彫りこまれているようです。建物は一つではなく、何かの儀式に使うような建物や、小さな祠のような建物もありました。
専用の厩に馬を預けてきたナウディさんが戻って来て、私たちは中に足を進めました。
門に入って一礼してから、受付へ。ハティラ先生が参拝料を払うと、綺麗な女官さんが紙包みを渡してくれました。このあたりは、普段私がやっていることと同じです。私と女官さんは、同じ女かというくらい全然違うけど……わあ、お化粧上手だし装いも華やかで似合ってる……。
「トーコも、あんな風におしゃれしたらいい」
ナウディさんが、ちょっとからかうようにひそひそと耳打ちしてきましたが、私は驚くばかりで、うまく返事ができませんでした。
霊廟の石段を上り、開け放たれた扉から中に入ると、大きな香炉が祭壇の上にいくつか置かれています。まるで宝石箱のようにきらびやかな、金の香炉。恐る恐る、香木をくべます。
一体なぜ、私の働く霊廟とこんなに違うのでしょう。
「ここ、違う。私、働く、霊廟。すごい……」
つぶやいていると、ナウディさんが両腕を深呼吸のように広げて言いました。
「先帝陛下の霊廟も、――までにはすごいのができあがるよ」
「……?」
知らない単語が出て来て首を傾げていると、ナウディさんが「あれっ」という顔をしました。
「トーコ、知らなかったのか?」
何を……?
ナウディさんは両手を使って、一方から一方へ何かが移動する動きをしながら言いました。
「えーとね……先帝陛下が亡くなり、まず今の霊廟に入った。一年目の月命日に、大きい葬式して、大きい霊廟に入る。そこが、本物の霊廟。大勢、人が来るようになる。わかる?」
驚きのあまり、すぐには返事ができませんでした。
全然、知りませんでした。今、私が働いているのは、仮の霊廟だったのです。