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6 陛下の過去、娘の未来

 翌朝。

 朝靄をまとった門を、静かに開けた私は、そっと敷地の中に入りました。

「……おはようございます」

 返事はありません。が、柔らかな風が私の頬を撫でるようにそよぎ、身体を包み込むように感じました。私は立ち止まったまま、答えるように言います。

「もう、すっかり良くなりました。二日もお休みして、申し訳ありません」

「……だから、謝るなと言うのに」

 すっ、と陛下のお姿が目の前に現れました。ふふ、やっぱりお傍にいらっしゃったんですね。

「こちらは、何もお変わりありませんでしたか?」

 お聞きしてみると、

「ない。……静かだった」

と陛下。

 静かで良かったのか悪かったのか、どちらともとれる口調でしたが、私はただ「そうですか」と答えました。

 事務所を開けたり、敷地内の掃除をしたりする私を、陛下は霊廟の側に立ってじーっと観察していらっしゃいます。見張られてる感がビシバシ伝わってきます。私の体調を心配して下さっているのでしょうけれど、ちょっとでもよろけたら「帰れ」って言われそうで緊張します。

 一通り準備が終わってから、私は事務所に入ると、持参した手焙煎器を取り出しました。かまどでコーヒーの生豆を煎り始めます。陛下の気配が、すぐそばにあります。

「陛下、私、この間のあの男性にお会いしました」

 豆の様子を見ながらそう言うと、気配が動きます。

「何? 何かあったのか」

 その口調がとても深刻なものだったので、私はすぐにつけたしました。

「いいえ。私が言葉を教わっている先生の、息子さんだったんです。あちこちのカーフォ農園を回って監督なさっていると……。その報告で、陛下は前に会ったことがあったんですね?」

 陛下が黙っていらっしゃるので、私はハッと顔を上げて言いました。

「あ、申し訳ありません、今のは質問じゃありません。私には何もなかったことをご報告したかっただけです」

 芳ばしい香りが立ち始めました。しばしの沈黙ののち、陛下は私のすぐ横に移動して、私の手元を見つめながらおっしゃいました。

「質問されることを厭っているのではない。皇帝家の周辺事情など、お前は知らない方が良いこともある」

 あ……そうか。私はてっきり、陛下は色々詮索されるのが嫌なんだ、ましてやもう過去になってしまったことなど聞かれたくないんだ……と思っていました。

 でも、そうじゃなかったんですね。陛下は、私を、心配して下さっていたのです。本来なら知るはずのないことを、私が知ってしまうことで、おかしなことが起こることのないようにと。

 それでいつも、はぐらかしたり冗談をおっしゃったり……。

 過去の人となってしまった陛下が、私の未来を心配して下さっている。そう思ったら、鼻の奥がツンとなってしまいました。慌てて、コーヒーの香りを胸一杯に吸い込みます。

「あ、この間のより好きな香り! 陛下、この間と違う豆なんですけど、いかがですか?」

「うむ。こちらの方が好ましい。お前とは好みが合うな。シェイはカーフォを好まなかったしな」

「へ、陛下!? あんな綺麗な方と比べたりなさらないで下さいっ、恐れ多いっ」

 別に自分をブスだとまで思ってるわけじゃないですけど、美女ではないのは確かだし、シェイリントーン姫の美しさと来たら次元が違います。何よりこちらの世界では私、嫁き遅れ(気にしてないですよ!)ですからね。

 すると陛下は、さらりとおっしゃいました。

「今、私のそばにいるのはお前だ」

「え」

 顔を上げると、すぐそばで陛下はじっと私を見下ろしていらっしゃいます。

 どういう……意味でしょう?

 あ、そうか、どういうも何も、言葉通りですよね。今の陛下とお話できるのは私だけだから、陛下は私を色々と構っておいでなのかも。生前は大勢の人にかしずかれてきたのに、今は婚約者にさえ話しかけたくても話しかけられない。そんな思いを紛らわせられるのが、私。

「……不思議ですね。もし陛下がご存命だったら、私がお側にお仕えする事なんてきっとない……あ、し、失礼しました」

 もし生きてたら、なんて、ご本人に言うことじゃないですよね。無念だっておありだろうし。

「豆が焦げるぞ」

 陛下に言われ、慌てて手元に注意を戻しながら、私は言いました。

「お役に立てるかわかりませんけれど、私にできることがあればおっしゃって下さい」

 すると、陛下の声が、かすかに笑いを含みました。

「私の話し相手をしていればそれで良い。ずっとというわけでもないのだから」

「え?」

 ずっと、ではない?

「いや……」

 一瞬、言葉が途切れたような気がしましたが、陛下はすぐにお続けになります。

「……足腰たたない年齢になったら、トーコも引退するだろう?」

「長っ! そういうのを『ずっと』って言うんじゃないでしょうか!」

 陛下は短く笑った後で、こうおっしゃいました。

「私も、足腰立たないほど老いるまで存分に働き、自ら帝国を繁栄に導いてから余生を送りたかったものだな。もはや、私の後を継ぐものに託すしかないが」

 後を継ぐもの……。

 私はすでに、それが陛下の弟さんであることを知っています。が、言わないことにしました。せっかく陛下が、私が余計な知識を持つことを心配して下さっているのですから。

 働いた後に、享受するもの……私は、それを想像したことなんて、なかったように思います。いつだって、目の前の仕事しか見えていなかったから。

 仕事と人生は、確かに重なり合っているものだと思います。でも私はその重なりが、一部じゃなくて全部になってしまっていたのかもしれません。だから、何か失敗をしたり体調を崩したりすることで、仕事を取り上げられると、全てを失うようでとても怖かったのです。

 でも、仕事以外に大事なものが私にありさえすれば……それを守るために働くことができたのかも。そうしたらきっと、仕事に対する考え方も変わっていたのではないでしょうか。何かを守るために自分の仕事をちゃんとやろう、そのためには自分を大事にしよう。そんな風に。

 今、私が守りたいものは、何かしら?

 私はそっと、陛下を見上げました。陛下のきりっとした目元が、私を見て和らぎます。

「何だ?」

「いえ」

 私はただ、笑顔を返しました。

 

 私は、陛下のいらっしゃるこの場所が好きです。

 だから、おばあちゃんになるまでとは言いませんが、なるべく長く働けるように、自分を大事にしようと思います。

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