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5 コーヒー農園の監督官

 先生はお母様と同居されていて、お名前はヘルアさんとおっしゃいます。少し腰が曲がっていますがとてもお元気で、自宅用の野菜を育てている小さな畑のお世話をしたり刺繍をしたりと、いつも何か手を動かされています。目を細めて笑っているようなお顔をされていて、無口ですが私にも穏やかに接して下さいます。

 先生がお仕事でいない間、ヘルアさんが食事を用意して下さり、鍋にお湯も沸かして下さったので、タイル張りの浴室で身体を拭くこともできました。さっぱりして、またひと眠り。

 起きた時には、『青の刻』の半ばでした。日本で言えば、午後の四時くらいです。寝台から降りて歩いてみると、多少ふわふわしますが問題ありません。良かった、これで今夜ゆっくり休めば、きっと明日は仕事に戻れるでしょう。

 私はヘルアさんに丁重にお礼を言って、学院の寮に戻ることにしました。先生にお会いできればお礼も言いたいし、途中でちょっと買い物もしたかったのです。


 ハティラ先生のお宅は、ミルスウドの街の西側、川に面した場所にあります。他の家々と同じく白い壁の二階建てですが、この街の中では少し広くてやや贅沢な作りになっています。

 暖簾のように布の下がった玄関を出て石段を降り、私は家の前の通りに出てみました。目の前は運河で、陽の傾き始めた時刻ともあって、夕陽に染まった空が川面に映っています。ゆらゆらと揺れる温かな光は、まるでいつかテレビで見たオーロラが川面に下りてきたようです。

 先生のお宅を回り込み、運河に背を向けて道をまっすぐ行った所が、ミルスウドの街の中心の四つ辻です。角を曲がると、コーヒーの芳しい香りが漂ってきました。あの喫茶店です。

 私はそこで、少しだけコーヒーの生豆を買いました。霊廟のお仕事を休んだお詫びに、明日はこれで陛下にコーヒーの香りを楽しんでいただこう、と思ったのです。

 ふと、中庭にちらりと目をやると、すぐそこの壁に私の似顔絵の描かれたポスターが貼ってあります。文官のアルドゥンさんが描いて下さった、私の身元を尋ねるポスターです。

 そして――今日はその前に、一人の男性が立っていました。 

 な、何でじっと見てるのかしら。それにしてもあのケープ姿、何だか見覚えがあるような。

 と思ったとたん、男性が振り向いて目が合いました。

 あの、霊廟で私の顔をいきなりのぞきこんできた、細面で目の大きな男性でした。相変わらず髪は無造作、ブーツも薄汚れています。足元には大きな背負い鞄が置かれています。

 男性はびっくりしたように目を見開き、ポスターと私を見比べると、ポスターと私を交互に指さしながら何か言いました。単語を拾って、ついでに口調から想像すると、こんな感じ。

「霊廟で会った時、どっかで見たことあると思ったんだ。これ、君だよね!」

 私が反射的にうなずくと、男性は一つ手を打って何か言いました。「だろ? やっぱりなー」といった感じです。

 私はあいまいに微笑むと頭を下げ、踵を返してお店を出ました。今の人、霊廟にも旅姿で来ていて、今も旅姿……霊廟からどこかに行って、それからミルスウドに来たのかしら。

 振り返ってみて、ギョッとしました。あの男性が荷物を肩に、人波を縫ってついてくるのです。陛下の、「妙な男に引っかからないように気をつけろ」という言葉が頭をよぎりました。

 いえ、方向が同じだけかも。ここは目抜き通りで人目もあるのだし、学院にだって人は大勢いるのだし、気にすることはありません。

 私はもう振り返らずに、まっすぐ学院へと向かいました。自然と、早足になっていました。


 二本の石の柱が学院の門になっていて、授業を終えて街へ出る人々が何人も出てきていました。私はすれ違うように中に入り、白茶けた土の広場を横切りながら後ろをいったん振り返りました。あの男性は勝手知ったる、という感じで門を入ってきます。

 早足で広場に面した廊下に上がり、開けっぱなしの戸口から教室に入ると、ハティラ先生が子どもたちに「早く帰りなさーい」と声をかけている所でした。

「トーコ! 大丈夫なの?」

 大きなお胸をゆさゆささせて近寄ってきた先生に、私はひきつった笑顔で答えます。

「はい、ありがとうございます。先生、あっち、男の人」

 後ろを指さした時、あの男性が戸口から中を覗き込みました。ぎょっとして先生に身体を寄せる私。

 すると男性は、私のわかる単語でこう言いました。

「やあ、母さん」

 えっ、お母さん!?

「ナウディ!」

 ハティラ先生は両手を広げて男性に近寄りました。細身の男性はハティラ先生の勢いに押されるようにしながらも、ニコニコと抱擁を交わしています。

 親子だったんですね! に、似てない……男性はお父さん似なのかしら?

 ハティラ先生が私を振り返り、何か早口で男性――ナウディさんに私のことを説明したようです。ナウディさんは、すたすたと私に近寄ると、「よろしくトーコ!」と私をハグ。ぎゃあ。

 体温と、土の香り……陛下と一緒にいる時には感じたことのないそれに、私はひどく戸惑ってしまいました。


 ハティラ先生とナウディさん母子が説明してくれたところによると、ナウディさんはゼフェナーン帝国やその属国を何ヶ月もかけて回って、「コーヒー農園を見る」お仕事をされているそうです。えーと、農園の様子をチェックする監督官ということでいいのかしら。

「霊廟で会ったね」

 そう笑ったナウディさんは、なるべく簡単な言葉で話そうとして下さっているようです。ジェスチャーも大きくて表情も豊かで、そういう所はハティラ先生にそっくり。

 ナウディさんは続けて、「あの後、首都クレエラの宮殿に行ったんだよ」というようなことを言いました。つまり、ずっとあちこちの農園を見て回って、宮殿にその様子を報告しに行く途中で、私のいる霊廟に寄ったんですね。で、宮殿への報告が済んでから、久しぶりに故郷であるここに戻ってきた、と。ここまではどうにか、私にもわかりました。

 ナウディさんはハティラ先生に何か言っていますが、難しくてどうにもこうにも……その中に、「陛下に話した」という言葉があって、私はハッと顔を上げました。

「陛下に?」

 するとナウディさんはうなずいて、教えてくれました。

「今の、皇帝陛下。先帝陛下の、弟」

 あ、陛下って今の陛下……ですよね、驚いた。今の皇帝陛下は先帝陛下の弟さんなんだ。ナウディさん、私が先帝陛下の霊廟で働いていることを思い出して教えて下さったのでしょう。

 私が興味深そうにしていると、ハティラ先生が教室の棚から巻物のようなものを出してこられました。それは皇帝家の系図で、先生が「先帝陛下」と指さした場所には数字(何代目皇帝か、ということでしょう)しか書かれていませんでしたが、陛下には合計十一人もの兄弟姉妹がいらっしゃることがわかりました。

 そしてこれを見ると、皇帝家は一夫多妻のようです。でも、先帝陛下が誰かと婚姻関係にあるという風には書かれていません。シェイリントーン姫が初めてのお妃さま(正妃?)になるはずだったのでしょう。見た目三十歳前後の陛下が今まで未婚だったのは、これだけ後継者候補がいるので結婚を急ぐ必要がなかったのかしら。まあ、他にも色々と想像だけはできますが。

 そうこうしているうちに、夕闇が迫ってきました。寮の食堂で夕食を早めに済ませて休むことにしようと思い、ハティラ先生とナウディさんにそれらしいことを言うと、お二人は

「わかったわ、無理しないようにね」

「今度はうちで、一緒に食事をしよう」

というようなことを言って帰って行かれました。今夜はヘルアさんと三人、家族水入らずで賑やかに過ごすのでしょう。

 今度、何かお礼をしたいです。こちらの人はどんなものを喜ぶのかしら。

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